第12話「真夜中の告白と結ばれる食卓」
ガルディアの使節団を歓待した晩餐会は大成功に終わり、彼らは翌朝、自らの傲慢さを恥じ入るようにして帝都を去っていった。
帝国の威信は守られ、見事な料理で大役を果たしたミクの功績は、王宮中から手放しで賞賛された。バルトをはじめとする第一厨房の料理人たちも、総料理長としての彼女の指揮と、どんな逆境にも折れない料理への情熱に心からの敬意を表した。
***
喧騒が去り、深夜の王宮に静寂が訪れる頃。
ミクは一人、厨房の片隅にある小さな作業台の前に立っていた。晩餐会の激闘を終えた体は鉛のように重く、指先には包丁を握り続けたマメが熱を持っている。それでも、彼女の心は不思議なほどに澄み切っていた。
『無事に終わってよかった。でも、一番嬉しかったのは……陛下が、私の料理を食べて笑ってくれたこと』
ミクはエプロンのポケットから、使い込まれた小さなノートを取り出した。そこには、この異世界にやってきてから神の舌を通して分析した未知の食材のデータや、レオンの体調に合わせた日々の献立がびっしりと書き込まれている。
パラパラとページをめくるうち、ふと、ある感情が胸の奥で静かに、けれど熱く波打つのを感じた。
料理人として誰かのために食事を作ることの喜び。それは間違いない。だが、毎日少しずつ顔色を取り戻し、不器用ながらも自分を気遣ってくれるあの美しい氷の皇帝に対して抱く想いは、それだけでは片付けられないほど大きく膨らんでいた。
「……ミク」
静かな厨房に、低く澄んだ声が響いた。
ビクッと肩を震わせて振り返ると、入り口の扉の前に、レオンが立っていた。就寝用のゆったりとした絹のガウンを羽織り、結ばずに下ろした黒髪が、月明かりを浴びて青白く艶めいている。
「陛下……どうしてこんな夜更けに」
ミクが慌てて頭を下げようとするのを、レオンは片手で制し、ゆっくりと厨房の中へ足を踏み入れた。
「眠れなくてな。それに、今日の晩餐会の大役を労いたかった。お前のおかげで、帝国の誇りは守られた」
「もったいないお言葉です。私はただ、厨房の皆さんと一緒に、美味しい料理を作っただけですから」
ミクが謙遜して微笑むと、レオンは作業台の前に立ち止まり、彼女を真っすぐに見つめ下ろした。アイスブルーの瞳の奥に、かつての冷たい虚無はなく、静かに燃える青い炎のような熱が宿っている。
「食材が台無しにされたと報告を受けた時、私は……お前が傷つくのではないかと、それだけが恐ろしかった。だが、お前は私を信じ、ありふれた野草と木の実だけで奇跡を起こしてみせた。ガルディアの豚どもどころか、私自身の心までも、完膚なきまでに奪われたよ」
レオンの言葉に、ミクの心臓がトクリと大きく跳ねた。
奪われたという言葉の響きが、ただの料理に対する賞賛を超えた重みを持っていることに気づき、頬がカァッと熱くなる。
「あのソース……本当に見事だった。私の胃を一切痛めつけず、ただ優しく、深い旨味だけが体を満たしていく。まるで、お前自身のような味だった」
レオンはゆっくりと手を伸ばし、ミクの小さな手を取った。包丁ダコができ、火傷の痕が残る働き者の手を、彼の大さく温かい両手が包み込む。
「ミク。私は幼い頃から、食事という行為そのものを憎んできた。それは生きるための苦痛であり、他者の悪意を流し込まれる恐怖の時間だった。だが、お前が作ってくれたあの温かい玉子雑炊が、私の世界を変えたのだ。お前が私に、食べる喜びと、生きる意味を与えてくれた」
レオンの言葉は、嘘偽りのない、魂の奥底から絞り出されたものだった。彼の手から伝わるかすかな震えが、彼がどれほどの覚悟でこの言葉を紡いでいるのかを物語っていた。
「私の命はお前に預けると言ったな。あれは、皇帝としての言葉だ。だが今は、ただ一人の男として伝えたい。ミク、私の傍にいてくれ。これからの生涯、お前の作る料理を、お前と共に味わって生きていきたい」
真夜中の厨房。周囲には冷たくなった石窯と、様々な食材の微かな匂いが残っている。そんな飾らない場所での、これ以上ないほど不器用で真っすぐな告白。
ミクの瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
それは悲しみではなく、あまりにも大きな幸福と、自分の想いが報われたことへの安堵の涙だった。
「私で、いいんですか。ただの、料理が好きなだけの平凡な人間ですよ」
「お前でなければ、私は生きていけない。私の偏屈な舌と心を満足させられるのは、世界でただ一人、お前だけだ」
レオンが真剣な顔で言い切るのを聞いて、ミクは涙を拭い、満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ。では、覚悟してくださいね。私の神の舌は、陛下の体調も好みの味も、全部お見通しですから。一生、美味しいご飯で胃袋を掴んで離しませんよ」
その言葉に、レオンの端正な顔がパッと華やぎ、声を出して笑った。それは、彼が王宮に来て初めて見せる、年相応の青年らしい屈託のない笑顔だった。
二人は手を取り合い、月明かりの差し込む厨房で、これからの穏やかな日々を誓い合った。
平凡なOLが異世界に落ちて、たった一つのスキルと持ち前の情熱で掴み取った幸せ。それは、どんな高級食材にも勝る、世界で一番温かくて美味しい恋の味だった。




