⑨
白栖が医務室に入ってきた。
先生は襟すら乱れていなかった。
彼はいつも通り優しい笑みを結真たちに向けた。
まるで何事もなかったかのようだった。
「目を覚めましたね。よかったです」
「先生……」
白栖はベッドのそばの椅子に腰を掛けた。
「図書館の中はもう落ち着いた。結真たちの名前は記録に残っていないから、安心していいですよ」
他のことは学校側に任されていると、白栖は言った。
「……」
「聞きたいことがあれば、どうぞ」
結真は言葉に詰まった。
どこから聞けばいいのかすらわからなかった。
「『あれ』はなんなのか、知りたいですか?」
白栖は結真が迷っているのを見て取ったのか、自分から切り出した。
「……はい、知りたいです」
「……お恥ずかしい話ですが、『あれ』はずいぶん前になくした、私の落とし物です」
「落とし物……ですか?」
「そうです。もう見つからないと思っていました」
「……え?え?信じられません!どうやって、心臓なんて落とすんですか?!」
白栖は苦笑いをした。
「さあ……どう落としたかと聞かれても……人間だって、よく心をなくすじゃないか?」
「それはただの例え話です!」
「そういうものですか?」
「そうですよ!」
結真は白栖の話を聞いて、なぜかほっとした。もともと詮索しないと決めていたが、やはり知りたいことがあった。
「先生、あの……その『心臓』は、本当に先生のですか?」
白栖の口調は軽く、まるで『いい天気ですね』と言っているようだった。
「そうですよ。前はうるさかったからね……落ち着かせた」
「なんで……ですか?」
「結界の邪魔をしてたからですよ」
「……信じて、いいですか?」
「もちろん。先生は嘘をつけません」
結真は思い出した。
――燃える街。翼を持つ龍が空を飛び、雷を呼んでいた。
その叫び声は、空を裂くほど大きかった。
そして心臓は一度脈打っただけで、すべてが静まった。
自分が見たのは心臓だけではなく、彼の遠い記憶だった。
「……それは、『傲天』?」
「『傲天』なんて、ただ人類がつけた序列にすぎません」
「先生は自分で序列から外れたんですか?」
「心臓がうるさかったから、止めただけかもしれませんよ?
序列は、人類が力の限界を知るためにあるものだったと思います」
「やっぱり、人類じゃないんですね」
「私は今先生です」
「先生って、人じゃなくてもなれるんですか?」
「授業できるなら誰でも気にしないですよ」
「規定はゆるすぎませんか?」
「そうですか?」
「……せめて心臓をなくすのはなしです」
「……次は気をつけます」
そんなツッコミも受け流す白栖に、結真は顔を手で覆った。
「もしかして、まだ何かありますか?」
「さあ……」
「先生は龍ですよね?」
「想像にお任せします」
その次の日に、お知らせがありました。
――【白栖先生の授業はこれまで通り行われます。】




