③
事件が起きたのは夜の10時頃だった。
南区の魔法訓練場は大型魔法を使用する場合を除き、すでに使用されていなかった。
大型の魔法の必要以外はもう閉じた。
でもあの夜、一人の二年生はこっそりと訓練場に入り、「実景転写術」を試そうとした。
実景転写術とは、現実の対象から魔力構造層を読み取り、術式として“再現”する技法であり、ただの映像投影ではない。
成功すれば一時的な“現実の復写”となるが、失敗すれば構造層のずれによって魔力磁場の混乱、陣列の暴走、最悪は空間の破断が起こる。
学院では、単独での実験は厳禁とされていた。
その学生は失敗した。その魔法陣は暴走し、三百年前の旧式校内防衛ロジックを起動させてしまった。
夜空の上に魔法陣が現れた瞬間、学院内は朝のように明るかった。
結真は早足で宿舎に戻りたいが、遅かった。
その魔法陣は大きく、丸く、空に浮かんでいた。
――目が、なかった?
その忌々しい魔法陣を見て、その考えが、ふと結真の頭をよぎった。
次の瞬間、地面が割れた。
割れた地面から石が跳ね上がり、魔法陣の縁をなぞるように炎が走り出した。
結真が逃げ出した。
周りの魔力は土砂降りの雨のように結真の体を打ちつけ、圧と痛みが彼を襲ったが、悲鳴を上げることすらできなかった。
彼の頭の中に、一つの声が聞こえた。
「核がここにある、核がここに……」
その声はまるで地の底からきたようだった。
「ああああ……!」
結真は突然の風に吹き飛ばされ、立つことすらできなかった。
外から膨大な魔力が彼を襲った。
彼自身の魔力も暴走した。全身に耐えられない痛みが走って、意識が霞んだ。
意識が完全に飛ぶ前に結真はまだ自分の先生を視界に入った。
白いコートと、風に揺れている髪——5分前に廊下の奥に見かけた。
結真は多分、ここへ逃げなければならない、と咄嗟に思った。
そもそも自分が「これ」から逃げられるのかな?
そんなことを考えるうちに白栖先生は核の前に立った。
風が軽くなった。結真はやっと息ができると感じたが、目の前の光景にびっくりして、声すら発せなかった。
白栖先生は核の前にある巨大な魔法陣に手を伸ばした。
彼の手は触れてはならない魔法陣をすんなりとすり抜け、核を触れた。
結真は先生の顔を見えなかったが、その声はとっても穏やかで、ただその一言——
「帰れ」
その一言は決して大きな声ではなかったが、その魔力は本当に「帰った」。
魔力の暴走をおさめたあと、白栖は、こっそり訓練場に入り込んだ二年生と結真を、駆けつけた巡回の教師に引き渡した。
彼は学生二人を叱っていないし、何も説明してすらなかった。
いや、説明があった。その説明で結真とその学生をゾッとした。
「夜に実景転写術を試さないでください。あなたは今、体の中に別人がいる」
その学生はその夜眠れなかった。次の日に記憶消去の手続きを申請した。
念の為結真は医務室で一夜を過ごした。
夜一度目を覚めて、いつの間にか、自分の手が見覚えのない文字だらけの紙で包まれていた。
それから、自分へのメッセージが残されていた。
「結真くん、大変でしたね、次は逃げるようにお勧めします。ゆっくりと休養をとってください」
署名がないが、この字跡は誰のなのか結真はわかっていた。
翌日、学院より事故に関するお知らせが出された――『南区の魔力異常について』
昨夜、学内において大規模な誤作動が発生しましたが、
幸いにも人的被害は確認されておりません。
当該異常は、当直講師・白栖による迅速な対応により封鎖され、
現在は安定しております。
なお、本件は序列認定の変動には該当せず、匿名扱いとします。
重ねて通達します。
夜間における模擬実験は、厳に禁止されています。
学生たちは、誰が罰を受けたのかには興味がなかった。だが、一つの名前が、学生たちをざわつかせた。
――白栖先生の名前が、また出た。
彼はまた、誰にも知られないうちに、大きな事件を解決していた。
学院の学生ブログでは、新しい話題が一つ浮上した。
『#白栖先生はまた手を出さなかった!』
初めてのレプライは結真だった。
「僕は現場にいた……怖かった。先生はほんと、一言で……神すぎた」
レプライは一瞬で、何十件ずつ増えていった。
『まじ?目つきで発動……なんでね』
『オラで発動したじゃない?』
『かっこよさそう!』
最後のレプライは5文字だけ
『彼は龍だった』
――それは匿名の投稿だった。
結真はそのレプライを読んで、二度、瞬きをした。
その日の日記はたった一行だけだった。
『白栖先生はまた、手を出させなかった』
――彼がその場にいるだけで、すべてが解決する。
結真はその夜、白栖先生の言葉を思い出していた。
『懐かしな……私の心臓だ……』




