⑩
授業はこれまで通り行われているが、白栖の学生たちにとって、「これまで」のように彼らの先生を見ることはもう無理だった。
白栖はいつも通り教室に入り、黒板に今日の課題を書いた。
――「変異の魔力理論」
だが、今日の学生たちは異様に静かだった。
その上、誰一人黒板を見ていないし、授業中なのに誰も雑談していなかった。
すべての学生が彼を見ていた。
「今日、先生の心臓ある?」
「……心臓はあるけど、胸の中にあるかどうかは……」
「心臓がないと魔力はどうなるだろう?」
「先生、ちゃんと呼吸してるのかな?」
「あ?なに?怖いけど……」
「先生って、肺だけでどれくらい生きられるんだろう?」
「……今日は左じゃない?知らないけど」
「右に1票!」
「しー先生に聞こえちゃう!」
白栖は微かに笑った。
「今、皆さんの集中力はすごいですね。3割しか授業に集中していない。残りの7割は、私の胸……心臓が気になっている。気にしないで、と言っても難しいでしょうね。わかります」
学生たちは苦笑した。
「今は2割くらいの集中でいいかな?あとで質問には答えます」
「先生!なんでも答えますか!?」
「聞かれれば、なんでも答えます」
「やった!」
そう言ったが、「先生の心臓はどこにある」の投票はまだ終わっていなかった。
【先生の心臓はどこにある?】
A.左
B.右
C.引き出しの中
D.今日は持っていない
今はCが一番多い
その理由は――先生がさっき、冷たい目つきで引き出しに一瞥したからだ。
まるで自分の心臓が脈打ちすぎていると、怒っているようだった。
――自分の心臓に怒る。
人類は、自分の心臓ができるだけ長く保つように気をつけているのに、
彼らの先生は「うるさい」と心臓に文句を言っていた。
「先生って、どうやって教師として学校に入ったの?」
授業が終わってから、結真はそっと聞いた。
その声は決して大きくなかったが、教室を出ていた学生たちも、全員足を止めた。
皆が知りたい。
――心がない。授業のときにテキストも読めない。魔法を使うときも詠唱すらない。
そんな「人」が、どうやってこの学院に入ったのか――知りたかった。
白栖はその問いを聞いて、結真をじっと見た。
「推薦状をもらったからです」
その言葉で学生たちが沸き立った。
「だ、誰ですか?」
「私たちが知っている先生ですか?!」
「校長先生ですか?」
「王室の顧問でしょうか?」
白栖は優しい笑顔を見せ、何も言わなかった。
結真「……先生、自分で書いたんですか?」
「……そこまでして教師になりたいわけでは……」
結真「……本当に誰か書いていたんだ!」
「そうですよ」
「誰ですか?ちょっとだけでも!」
「私の昔の教え子です」
すべての学生が静まり返った。
結真「昔って?どれぐらい『昔』ですか?」
白栖「もう、会うことがないと思います……」
「どういう意味ですか?!」
「もうお亡くなりに……」
「転生した、とか?」
「神になった、とか?」
白栖が笑った。
「……あなたたちの想像力は彼の卒業論文より面白いですね」
そして学院の学生ブログでは、新しい話題が生まれていた。
【白栖先生の推薦状を書いたのは王様か神か?】
【白栖先生は代理神である!】
白栖はただ笑って、「あなたたち、作家さんになりませんか?」
結真は我慢できず、こっそり先生に聞いた
「先生……あの推薦状はまだ、持っていますか?」
「もちろん、持ってますよ」
「どこに?」
「あ……気になります?」
今日はどこか嬉しそうだった。
「そうですね……私の心の中に、かな……」
「ほんとですか?!」
「さあ……結真くんはどう思います?」
白栖の授業はいつもどおり面白かった。
が、何かが違う。
今日、先生はチョークを使っていない。
彼は手を上げ、指で宙に何かを書いた。
黒板はそのまま白栖が書いたものを写し出した。
黒木が結真に聞いた。
「……なんで?」
「何を?」
「先生、黒板使ってないだろ?」
「……黒板くんはいい子なんじゃない?知らんけど」
白栖はすでに次の概念の説明に移っていた。
――「文字は空間による“誤差”」だった。
今、先生はその「誤差」の例を見せた。
――白栖は一人の学生のノートを取り上げた。
「この言葉は、列島の文字じゃなく、大陸の文字ですよ」
その学生は驚いた。
「僕、列島語しかわかりません」
でも、もう一度見たら、本当に読めない文字だった。
白栖は優しく笑い、指で何かを書くと、文字は列島語に戻った。
その理論が説明されても、理解できていない学生もいた。
白栖はその学生を一瞥して、説明を続けた。
その学生ははっと先生を見た。
「先生!私の頭の中に、何か書きましたか?」
「バレましたか。あなたが理解して、忘れないようにしたかっただけですよ」
他の学生たちはざわついた。
これは禁呪に近い魔法だった。
「大丈夫、何日かすれば忘れますよ」
「いいえ!忘れたくないです!」
「……なら、今夜は早く寝ましょう」
「……はい……」
授業が終わる前に、白栖は学生たちが知りたがっていたことに答えた。
「……ちなみに、今日は心を持ってきましたよ」
「!!!?」
「引き出しの中に置いていました。ご心配をおかけしました」




