①
龍は存在していた。
『古代生物』という伝説の生き物でも、テキストに載っている魔法理論の「魔力の具現体」でもない。
本物の――口を開けたら火を吐き、神光をまとい、翼で空を翔び、爪で虚空を踏み、雷雲を身に纏う、あの龍なのだ。
とある時代の末、龍王がいた。ただ一匹で南の山に住み着いた魔獣の群れを撃退し、その爪痕は千八百里にわたる焦げ土を残した。
さらに昔の話、とある銀の角を持つ白龍は帝国の王を前に、一言も発さず、ただその目つきと威圧だけで帝国の王を降伏に追い詰めた。
「…… それは大陸の龍の話でしょ?」
神原結真は魔法史のテキストを閉じ、ため息をついた。
「僕たちが知っている龍は…… ふわふわすぎだもんな」
この ふわふわ、というのは体が柔らかいことではなく、気迫のない、毎日温泉に浸かって、豆大福をほおばって頬をふくらませているのを意味している。
神原結真と彼の友達は「列島風味の龍」だと冗談で呼んでいた。
もちろん、強い龍もいますけどね。
例えば去年卒業した人と龍と人のハーブの先輩は銀翼軍団のおさそえ受けた。
その先輩の尻尾は10kgの斧を持ち上げるできる。そしてその先輩は敗を知らなかった。
確かに強い。
それでも「傲天」に届かなかった。
この時代には『ランキング』と呼ばれる序列があった。
この体系こそが、社会における魔法と規則の基礎だった。
魔力量があり、知識と経験を重ね、実力を示せば、その者は序列を手に入れることができた。
序列は「傲天公榜」と呼ばれる公の記録に記され、人も龍もその榜に名を連ねていた。
榜は5階十段に分かれ、S階〇段(神の右手)から、D階十段(魔力所有者)までが定められていた。
そして、そのさらに上に存在するのが『傲天』――榜を越えた、最も高い位階。
「傲天」の序列に届いたら、龍より強い存在になる。
龍は、ただの種族名にすぎなかった。
だが、ひとつだけ、どの榜にも記されない名があった。
「あの人、評価申請すら出してないらしいぞ」神原結真は寮の廊下で叫び声を上げた。あやうく先生に引きずられそうになった。
「先生だろう?!せめてB階八段の人じゃないか?!」
「声を抑えろ!その先生、この階に住んでるって知ってるだろ?」黒木が結真の口を抑えようとしている。
「ありえない!あの先生見た?の顔だけじゃない、髪型も肌の色も、仕草も、いかに『大陸の龍』だったから!」結真が頭を抱え、世界観が砕けたようだった。
「結真、マニアックだな……」
結真がその先生に初めて会ったのは、入学式のときだった。
先生は教壇に上がり、灰白の立ち襟の上着をまとい、顔立ちは穏やかだった。
その瞳は光を受け、奥に霜雪を宿しているように見えた。
「私は人を叱るのか好きではないので、授業には遅刻しないよにね」それは先生の初めての言葉だった。
先生は微笑んでいたが、なぜかその一言で、みんな一斉に背筋をピンと伸ばした。
そして彼は名前を書いた。
――『白栖』
「大陸の文字では『バイ・シー』と読みますが、ここ、列島では『しろすみ』と読みます。『はくせい』と読む人もいます。好きな呼び方で構いません――名前の意味は心の中にありますから」
それからというもの、どの授業でも、どんな実技でも、どんな学生同士の揉め事でも、白栖先生はいつも、どこか超然とした、そして穏やかすぎて恐ろしいほどの態度で現れた。
そして穏やかすぎて恐ろしいほどの態度で現れた。
声を荒げることは一度もなかったが、言葉を発した瞬間、誰も逆らおうとはしなかった。
一回だけ、一人の学生は実技の授業で先生のいうことをちゃんと聞かないのせいで
火がその学生の腕から燃え始めた。皆が慌てて消そうとしたとき、彼はただ手をその学生の頭に置き、その火が消えた。
火が鎮まったというより、火が『消えた』というべきだ。
その場では、火の粉ひとつすら、落ちなかった。
そのあと白栖先生は「これは怒りの炎」と言った。その言葉が冗談に聞こえないのが、もっと怖かった。
「先生の序列が低すぎるっていう噂もあるけどさ……これ、序列が低すぎるんじゃなくて、レベルが高すぎて榜に載せたくないパターン、アリ?」
結真は『傲天認定理論』パラパラとめくり、ため息をついた。
「それな……実は結真だけ思っているだけではないわ。毎回失敗しているだけどな」黒木はそう言ってあははっと笑った。
「マジ?ははっ、僕にも仲間がいた!」
黒木の話によると、先輩たちは白栖先生のスケジュールを調べて、授業のたびにアクシデントを起こしてたらしい。それができない時は、実技の授業で白栖先生に挑み続けたという。
「あなたたちが手に余ることがあれば、お助けします」
だけど白栖先生は全く手を出さない。怒るところもない。
学生の間では、白栖先生のあだ名は『傲天未遂』。
冗談に聞こえますが、結真はこういうあたりまえの強さが一番怖い。
彼はこっそりと「白栖観察日記」を書いていた。
その内容はこうだった。
· 白栖先生は左手にカップを持つのが好きだが、ペンを持つのは右手だった。
· この一学期で、先生がまばたきしたのは、たぶん三回もなかった。(一回の授業は九十五分くらい)
· 授業前に僕たちがどんなにうるさくしても、授業が始まると僕たち全員必ず静かになる。(魔法使用の痕跡なし)
· 階段は使えない。授業のあとどう三階から降りたのかわからない(飛び降りる痕跡なし)
· たまに空を見てる。でも、別のものを見てたっぽい。声をかけたかったけど、一回もできなかった。
「先生は一体何ものだぁ?」
結真は自分の日記を読み返して、呟いた。
結真が悩んでから、何日も経っていないうちに、学院は新しい序列が貼り出された。
その日の昼、多くの学生は掲示板の前に集まった。
古い紙ははがされ、代わりに新しい序列が書かれた紙が貼られた。その紙は、眩しいほど真っ白だった。
結真は首を伸ばし、序列の真っ下を確認したら、案の定あの名前が書かれていた。
――『白栖』
傲天序列:不明
状況:評価資料の欠落備考:候補申請は未開放(システム警告:非人類の疑いあり)
「ほら!言っただろう?!これは完!全!に!序列が低すぎるんじゃない!」
その三行の文字に、結真は思わず奇声をあげた。
「うるさい!先生に聞かれたらどうする!午後俺たち白栖先生の授業があるから」
「うん、いく!そして直接聞く!」
「何を?」
「先生が人類じゃないって本当ですかって!」
「それ、公開講座で聞くつもり?」
「うん!ちゃんと礼儀正しく聞くつもりだ。あ、あと一つ――『先生、こんにちは。お伺いしますが、傲天の認定を受けていないのは……この制度そのものに偏りがあると思われたからでしょうか?』って」
「……お前、本気で頭おかしいだろ。」
***
午後の公開授業は、第七講堂で行われる。学院内で最も広い講堂で、階段状の座席が中央の実演台を囲むように設計されている。室内全体には抑魔用の符文が刻まれており、講師が熱を入れすぎて建物を吹き飛ばす――なんていう事故を防ぐためだ。講師は――白栖。
彼の名前が講師名簿に載ることは一度もない。しかし、それでも毎年一度だけ、必ず公開授業を行う。開催時期も、内容も、すべて不定。告知も行わない。
一度だけ、教務局が無理やり予告を出した年があった。その時の掲示には、こう書かれていた。公開授業のテーマは『竜の心臓と魔力倫理の再構築可能性について』。
それがどんな授業なのか、様々な推測があったが、最後まで誰にもわからなかった。
それでも、その「誰にもわからなかった」授業が毎年満員、いや、超満員だった。
結真は一番前に一つの座席をみつけた。
彼が座ったとき、何人の女先輩がいた。
「先輩たちも白栖先生が手を出すところを見にきたんですか?」
「何言ってるの?」一人の先輩はメガネを指でぐいっと押し上げた。
「今日は10個の問題を持ってきたのよ。2つ答えを見つけられたらいいと思って」
結真は先輩のノートの表紙に書かれた『白栖先生の口調の抑揚について』をチラッと見て、黙っていた。
何分の後、先生が現れた。
白栖は淡い灰色のコートを身に着いて、長い髪を結ばれた。彼の歩みは静かで、足音ひとつ立てなかった。
彼は学生を見てないまま、教壇に上がった。
全ての学生は静かになった。
「では始めましょうか」
白栖は教壇の上に立ち、陽の光はその時に差し込んで、まるで太陽も白栖を歓迎するようだった。
先生の最初の言葉に、結真は鳥肌が立った。
「今日の講義のテーマは『龍の心臓』……もちろん、臓器の話ではありません」
彼は少し間を置いて言った。
筆が動く音すらなかった。
全ての学生が先生の次の言葉が待っていた。「皆さんは魔法学の授業で学んだと思いますが、ご存じの通り、龍は魔法生物です。龍の魔力は『生成された』ものではなく、龍は、魔力そのものなのです」
結真は思わず、深く息を吸い込んだ。
白栖はそのまま穏やかな声で続けた。
「……つまり、魔力は彼らにとって燃料ではなく、存在そのものの形なのです」
白栖は指で輪を描くと、白い魔力の輪が空中に浮かんだ。
結真の知らない呪文が、パズルのように嵌め合わされていった。
白栖は話を続けた。
「『心臓』は、龍にとって魔力の核です。……こう言えば、少しは分かりやすいでしょうか」
「もし核が龍の中から剥がれたら……その龍は生きていられるでしょうか?」
白栖はしばらく話を止めて一番前の列の学生を見た。
結真は考える前に頷き、その隣に座っていた先輩はびっくりしてように顔を真っ青にして首を横に振った。
この一言で、学生たちは一斉にざわめいた。
白栖はいつものように答えを教えることはなかった。彼の手の中の魔力の輪が形を変え、その光は心臓の鼓動のように見えた。
「…………常識的には、魔力の核の脱落は死を意味しますが……龍は違います」
先生の言い方はまるで、「寒くなってきたね」と天気の話をしているように軽かった。
結真が鳥肌を立てたのと同時に、息を呑んだ学生もいた。
「記録に残っている七件の脱核事例のうち、五件は復帰に成功しています。最も短い復帰時間は七日、最も長いものでは六十三年かかりました」
この話は、授業というより、怪談だった。
「その間、龍は何かなっただろう……」結真は呟いた
白栖は結真を一瞥した。その目つきはやさしく、笑っているように見えた。
「抜け殻、幽霊、影……『彷徨う魂』と呼んでもいいです」
結真はまだ軽く震えた。
学生たちは動きがまだあった。
ノートを取る学生がいれば、ぼーっとしている学生もいる。特に上級生は、必死にテキストをめくって、その七件の脱核事例が載っているページを探そうとしていた。
……だが、誰も見つけられなかった。
授業が続けた。
白栖は列島の龍と大陸の龍の核の構造の違い。病んだ龍の核の位置のずれ……
結真は先生を見つめた。ふっと一つ変なことを気づいた。
――白栖先生はいっさいノートも本も使ったことはなかった。
彼の語る内容はすべての魔法体系研究者が夢に見た最も古く基礎な理論だった。
それだけではない。先生が語る様子は、以前から知っていたようだった。
いや、「知識として理解してた」よりもっと……
この違和感はなんだろう?結真はよく言えない。
教室は、息をのむほど静まり返っていた。机や椅子のぶつかる音すらなく、咳ひとつさえ、学生たちは必死に押し殺していた。――それはもう、「公開授業」ではなく、自分自身に語りかけるための「証言」だった。
結真は自分が思ったことで身が震えた。
公開授業の終わりが近づいてきた。
「龍には目と爪と口がありました……」先生は話しながら、龍を描き始めた。
その絵は生き生きして、まるでほんと黒板から飛び出すようだった。
「『画竜点睛』という言葉を聞いたことがありますか?」大陸では一つの熟語で、最後の一手で絵が生きると言う意味です」
先生、また本当みたいに言ってる……
「今回は目ではなく、龍の心臓を指しています。ですので、核は描かないようにしますね」
その美しい絵のおかげで、僕たちの緊張は一気に解けた。
「最後に、龍のジョークを一つ――龍はこころがいれば、龍は生きていける。なければ幽霊と一緒。なので龍がこころをうっかり失くすのはよくあることです。そんなに心配しなくても大丈夫です」
「こわっ、先生!幽霊が怖い人もいるからやめてください!」
僕のクラスの女の子が、悲鳴と同じくらいの声で先生の言葉を遮った。
「すみません、冗談のつもりですが……ではこの話はこの辺で、ほかに何か質問はありますか?」
あるにはあるが、お茶目な質問しかない。
たとえば「先生!もし龍の心臓を見つけたら、どうするんですか?」
「先生のところに行くしかないでしょ?怖いし」
白栖先生が答える前に前に誰かが大きな声で言った。
「そうですね……」白栖は顎に手を当て、少し考えるように目を細めた。
「私のところに来るといいですよ。私の心臓かもしれません」
「先生、心臓ないんですか?」
「さあーどうでしょうか?この問題は皆さんの宿題にします」
結真には、先生の「心臓がいなくなった」という言葉が、冗談ではなく、事実のように聞こえた。
白栖先生実は心臓がいない時期があっただろうか?それでも、彼は『幽霊』なんだろうか?
結真は知りたい。
「はい。今回はここまでにしましょう。皆さんお疲れさまでした」
そして白栖は、まるで「先生」という服を脱いだように、振り返ることもなく去っていった。




