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私の口うるさいお義兄様

作者: 月白奏
掲載日:2025/11/21

初めての短編です。よろしくお願いします。

「アンナ――!!」

 

 学園中に怒声が響き渡る。呼びかけられた少女は、またか、と言いたげな表情で顔を顰めた。

 

 伯爵令嬢アンナ・ヒューズは元平民である。

 十四歳になるまで、彼女は母親と二人慎ましやかに暮らしていた。だが、美しい容姿と、本来であれば貴族にしか使えない魔法の才があるせいで、二年前に伯爵家の養子として迎えられたのだ。

 伯爵家の実子は魔力が乏しく、出世が見込めない。そのためアンナに求められたのは、学園に通って魔法の腕を磨き、王宮魔術師として活躍すること。そして、いざとなれば義兄に代わって伯爵家を継ぐこと。その二つだった。


 しかし、養子となった時点でアンナは十四歳。一朝一夕で貴族らしいふるまいが身につくはずもない。

厳しい淑女教育に耐えきれず母親の元へ逃げ帰ると、彼女は新たな家庭を築き人生を満喫中。そこでようやく、アンナは自分が母親に売られたのだと気がついた。

 衝撃のあまり、その後どうやってヒューズ家の屋敷へ戻ったのかは全く記憶がない。帰る場所をなくした彼女は失望した。


 ――私はもう、誰も信用しない。

 

 魔法があれば一人でも生きていけるはずだ。家の役に立たないことを義両親に見せつけ、さっさとこの家から追放されよう。アンナはそう決意した。

 だが、そこに立ちはだかったのが義兄のセシルである。アンナよりも一つ年上の彼は、初めて会った時、


『僕はお前を妹だと認めない』


 なんてのたまったくせに、何かとアンナに干渉してくる。

 たとえば、食事中ナイフで嫌な音を立てた時。貴族らしくない言葉遣いが出た時。試験の成績が悪かった時。

 こんな時、必ずセシルはアンナを怒鳴りつけてくる。特に学園に入学してからは、わざわざアンナのクラスにまで押しかけてくるのだ。おまけに彼の声はかなり大きい。学園でアンナに人が寄り付かないのは、自ら孤立を選んでいるということもあるが、半分はセシルのせいだ。

 今ではもう、彼の声を聞くだけでげんなりしてくる。


「今日は何ですか、お義兄様」

 

 アンナが渋々振り返ると、セシルは肩を怒らせ、悪魔のような形相で仁王立ちしていた。

 彼はやや吊り上がった目とツンとした鼻が特徴的な、いかにも気位が高くて短気そうな印象の青年である。燃えるような赤毛だけはアンナと共通しているが、それ以外は全く似ていない。

 面倒くさそうなアンナの返答に、セシルはさらに激昂した。


「なんですか、じゃない! お前がレグルス殿下を土下座させた、という噂が学園中に広まっている。それは本当か?」

「あれは殿下が勝手にしたんですよ」

 

 アンナの返答に、セシルは目を剥いた。

 

 レグルスはここトワイライト王国の第二王子で、アンナとは同学年だ。見た目は穏やかで知的な好青年。しかし、その中身はストーカーだった。

 この一か月間続いていた、薄気味悪い出来事をアンナは思い出す。

 裏面までびっしりと文字で埋められた手紙が届いたり、施錠されたはずの部屋に贈り物が届けられていたり、ハンカチなど身の回りの小物がなくなっていたり――だから呼び出して問い詰めたところ、レグルスは土下座して泣き始めたのだ。


「そういう問題じゃない!! 王族に恥をかかせるなんて、不敬罪で捕まったらどうするつもりだ!?」

「チッ、うっさいわね……」

 

 舌打ちをしつつ、アンナは説教を受け流す。

 なぜ被害者であるはずの自分が怒られなければならないのだろうか。理不尽だ。


 さらに理不尽なことは続く。

 騒ぎを知った王家は、ヒューズ家に対してアンナとレグルスの婚姻を持ちかけたのだ。王子がストーキングを行っていたという不名誉な事実をもみ消すため、二人は相思相愛だった、ということにしたいらしい。

 義両親は良縁に恵まれたと喜んでいたが、ストーカー野郎との結婚だなんて、冗談じゃない。だけど相手はこの国の王族だ。断ることも逃げ出すことも容易ではない。

 

 ――あぁ、もう。最悪。


   ◇◇◇


 アンナは貴族の社交の場が嫌いだ。その中でも特に舞踏会が嫌いだった。うまく踊れないし、かといってずっと休んでいると義両親やセシルに怒られてしまう。

 今夜の舞踏会も、セシルに強引に連れて来られたせいで、アンナは非情に機嫌が悪かった。


「アンナ!」

「うげ」


 会場に足を踏み入れた途端、レグルスがうれしそうに駆け寄ってくる。

 この王子、顔は悪くない。藍色の髪と紫色の瞳は、夜空とそこに瞬く星のようで綺麗だ。でも残念ながらストーカーである。


「そのドレス、あなたの髪の色によく似合っています」

「あんたに褒められてもうれしくないのよ」

「おいアンナ! 殿下になんて口の利き方をするんだ!」


 ちなみに、レグルスはこの国で忌避されがちな闇属性、中でも死霊魔術の使い手だった。アンナの部屋に侵入して物を置いたりできるのも「お友達」のおかげだらしい。元々闇属性に偏見を持っていなかったアンナだが、彼のような人間がいると少し見方を変えたくなってくる。


「――いったいどういうおつもりですか!?」


 突然、糾弾するような声が響き渡った。

 問い詰められているのは、レグルスの兄でこの国の王太子でもあるシリウスだ。


「確か、お義兄様が取り入ろうとしていつも失敗している……」

「う、うるさいぞ。静かにしろ」


 シリウスに詰め寄っているのは、彼の婚約者である公爵令嬢・ルナリアだ。


「今言った通りだよ、ルナリア。僕は君との婚約を破棄するつもりだ」

「突然そんなことを言われても納得できません! 理由をお聞かせください」

「え、理由が必要なの? うーん、そうだなあ……」

 

 シリウスは顎に手を当て、困ったように考え込む。そこまで考えていなかった、といった様子だ。

 彼は会場中に視線をさまよわせる。ほんの一瞬だけ、アンナと目が合った。


「えっ?」


 そのままアンナの方へ近づいてくる。


「あの、アンナに何か?」


 セシルが庇うように前に出たが、シリウスはそれを無視し、アンナにだけ笑いかけた。弟によく似た顔と、穏やかそうな柔らかい笑み。それなのに嫌な予感がするのはなぜだろう。


「君はセシルの妹だよね。名前は?」

「あ、えっと……アンナ、です」

「そうなんだ。それじゃあ――」

 

 シリウスはアンナの手を取ると、高らかに宣言した。


「皆、聞いてくれ! この僕シリウス・トワイライトは、ルナリア・ガーデン公爵令嬢との婚約を破棄し、ここにいるアンナ・ヒューズ伯爵令嬢を新たな婚約者とする!」

『え』


 セシル、レグルス、そしてアンナ本人までも。

 その場にいた全員が、シリウスの言葉に呆気にとられた。


 後にシリウスはこう語る。

 曰く、彼は天才で何事もそつなくこなしてしまうため、つまらない毎日に刺激が欲しかった。しかし、羽目を外そうとすると、宰相であるルナリアの父が口うるさい。だから意趣返しをしたかったという。

 新しい婚約者にアンナを選んだのは、たまたま目が合ったというのもあるが、レグルスが執心している相手だということに気づいたため、弟をからかってやろうと思ったらしい。たったそれだけの理由。


「巻き込んでしまってすまないね。ほとぼりがさめたら婚約は解消するよ」


 毎日レグルスから死霊を送りつけられて寝込みつつも、シリウスの表情は生き生きとしていた。


 一方、アンナが置かれている状況は笑えるものではない。義両親は宰相を敵に回すことを恐れているし、未来の王妃になるのだから、とセシルは今まで以上に口うるさくなった。シリウスの言葉が冗談だったと知ったら、彼らは泡を吹いて倒れるのではないだろうか。


 おまけに、舞踏会の出来事はすでに市井の間にも広まっているらしい。そうなると、たとえアンナが一般人に戻ったとしても、その後の結婚に支障が出るかもしれなかった。


 ――どいつもこいつも。


   ◇◇◇


「あなた、いったいどういうつもりなの?」

「うへぇ……」

 

 複数の令嬢たちに取り囲まれ、アンナはこっそりため息をつく。これで五回目だろうか。舞踏会でのシリウスの衝撃発言以降、アンナは学園内で絡まれることが増えた。


「どういうつもり、とは?」

「とぼけないで! レグルス殿下だけじゃ飽き足らず、シリウス殿下までたぶらかすなんて。いったいどんな卑劣な手段を使ったの!?」

「別に何もしていませんが」

「嘘おっしゃい! そうでなければ殿下が平民の女を相手にするはずないわ!」


 噂によると、ルナリアはあの日以降ショックで寝込んでいるという。その話を聞いた彼女の友人たちが、義憤に駆られてアンナを問い詰めているのだ。

 もちろん、アンナだってルナリアのことは気の毒に思っている。すべての元凶はシリウスだ。


 おまけに、なぜだかアンナが養子だとバレている。プライドの高い義両親やセシルが話すはずないし、大方金に釣られた使用人が漏らしたのだろう。

 別にバレたところでアンナに不都合はないが、セシルからは、


「お前に隙があるからこうやって足元をすくわれるんだ! お前が非の打ちどころのない令嬢であれば、元平民だとバレても悪口なんて言われないはずだ!!」

 

 と、嘆かれた。だからもっと本気で勉強や社交に取り組め、と言いたいようだ。勝手に養子にされたのに、そんなことを強要されても困る。

 

 そのような鬱屈とした日々を過ごしている中、授業を終えて教室を出ようとしたアンナは、一人の男子生徒に声をかけられた。


「おい、そこのお前。話がある」


 相手が断ることなど全く想定していないような、尊大な態度。アンナはすぐにその正体を察した。


(今度はこいつか)


 二度あることは三度ある。なんとなく予想はしていたが、まさか本当に現れるとは。

 

 アンナの目の前でふんぞり返っているのは、この国の第三王子・スピカだ。あの馬鹿王子二人の弟で、アンナよりも一学年下。他の二人に比べると幼い顔立ちをしており、わがままそうな印象を受ける。


「それで、何の用ですか」


 スピカは前髪をかき上げ、フッ、と流し目で微笑む。……どうやら彼はナルシストのようだ。


「単刀直入に言おう。お前、僕の側近にならないか?」


 また結婚を申し込まれるのではないか、と身構えていたアンナは、予想外の言葉に拍子抜けする。


「側近、ですか」

「ああ。悪いけど、お前の入学時の資料を見させてもらったぞ――さすがの僕も驚いたよ、あんなに魔力を有している人間は初めて見た。お前なら王宮魔術師として十分にやっていけるし、女性初の魔法大臣になることも夢じゃない。もちろん、僕も後押しするけどね」


 それは職権乱用に当たるのでは、と思ったが口を挟める雰囲気ではない。


「僕は兄上たちとは違う。純粋にお前の能力を評価しているんだ」

 

 だから僕を選べ、とスピカはアンナに向けて手を差し出す。

 しかし、アンナには彼の魂胆などお見通しだった。


「お断りします」

「え」

 

 スピカの笑顔が固まる。


「殿下は本当に私を必要としているわけじゃない。あなたはただ、兄たちではなく自分が選ばれた、その事実で優越感に浸りたいだけでしょう?」

「い、いや……そんな、ことは……」


 スピカの目が動揺したように泳ぐ。

 彼は次期国王の座を狙っていて、そのために兄二人を蹴落とそうとしている――貴族社会の情報に疎いアンナでも聞いたことのある噂だ。


「あなたたちの相手はもううんざりです。これ以上私を巻き込まないでください」


 愕然としているスピカの脇をすり抜け、アンナは教室を出ていく。今回の件でまた他の貴族に悪口を言われたり、セシルに怒られるかもしれなかったが、知ったことではない。

 

 ――いい加減にしろ。

 

 もう我慢の限界だった。


   ◇◇◇


 夜中。アンナはこっそりと学園の寮を抜け出した。

 土砂降りの雨に打たれながら、忌々しき校舎を見上げる。


「最初からこうすればよかったんだわ」


 魔法が使えるせいで今まで嫌な思いばかりしてきたが、耐える必要なんてこれっぽっちもなかったのだ。百年に一人の逸材と言われたアンナの力があれば、怖いものなんてない。

 アンナは校舎に向けて手をかざし、意識を集中させ――


「何をしている!」


 突然背後から声をかけられ、アンナは驚いて肩を震わせた。手の平に集めていた魔力が霧散してしまう。


「……セシル」


 振り返ると、セシルが駆けてくるところだった。おそらく、アンナがいないことに気づいた侍女が、急いで彼に連絡を入れたのだろう。ヒューズ家の人間の中には、アンナの味方なんて一人もいない。


「今、校舎に向けて魔法を放とうとしていたな? もう一度訊く。何をするつもりだった?」

「それ、答えなきゃいけない?」


 面倒な人間に見つかってしまった以上、計画は中止せざるをえない。この場を離れようとしたアンナだったが、セシルに手首をがっちりと掴まれてしまう。


「くっ、この……っ、離しなさいよ!!」


 幼少時から母の仕事を手伝ってきたため、アンナは力に自信がある。だから貧弱な貴族の息子なんてどうにでもなると思っていた。だが、どんなに暴れてもセシルはびくともしない。

 敵わないと悟ったアンナは、投げやりにため息をつく。


「わかったわよ。答えればいいんでしょ、答えれば! 私はね、この学園を燃やすつもりだったのよ」

「は……?」

 

 セシルの力が緩んだ一瞬の隙を突き、アンナは彼から逃れる。距離を取ると、掴まれていた部分をさすりながら彼を睨みつけた。


「私はあなたが嫌い。ヒューズ家が嫌い。そしてこの国が大っ嫌い。だから全部壊してやりたかった。まずはこの学園を燃やし尽くして、あのバカ王子どもをぶっ殺してやるのよ!」

「殺すって――お前、自分が何を言っているのかわかっているのか!」

 

 セシルは再び、アンナに掴みかかろうとする。


「誰かに聞かれていたらどうする!? 王族を害そうとするなんて、死刑になりたいのか!?」

「ああもう、うるっさいわね!!」


 アンナは咄嗟に魔法を放った。彼女が一番得意とする、火の玉。それを至近距離でセシルにぶつける。


「あ……」

 

 気がつくと、セシルは地面に倒れていた。雨のせいでよく見えないが、全身にひどい火傷を負っているようだ。

 興奮していた脳が、次第に冷静さを取り戻していく。


「せ、セシル……? え、死んだの?」

 

 おそるおそる肩を叩くが、反応はない。

 人に直接攻撃魔法をぶつけたのは初めてだった。もしかして自分は今、とんでもないことをしてしまったのでは――アンナの心に、一瞬だけ後悔の念がよぎる。しかし、すぐにかぶりを振った。


(私はすべてを破壊すると決めたもの。この程度のことで動揺するわけにはいかない)


 校舎に向けて一歩踏み出そうとしたアンナだったが、右足を後ろに引っ張られ、思いっきり転倒してしまう。


「うわぁっ!?」


 何が起こったのかわからなかった。体をひねるようにして後方を確認すると、セシルが必死の形相でアンナの足首を掴んでいる。


「ちょと、うそでしょ!?」


 信じられないことに、彼はボロボロになりながらもなお、アンナの行く手を阻もうとしている。


「ったく、しつこいわね……!!」


 何度も火の玉をぶつけるが、今度はもう、セシルの力は緩まない。次第にアンナの方が疲弊してきた。セシルの凄まじい執念に、アンナは半ば怯えた様子で叫ぶ。


「何なのよ、もう! 私のことなんて放っておいてよ! 『妹だと認めない』って言ったじゃない。それなのにどうして関わってくるの!?」

「心配していない、とは言ってないだろう!?」


 いつも鼓膜にダメージを与えてくるセシルの、ひときわ大きな怒鳴り声。

 思わぬ言葉に、アンナは抵抗をやめた。


 ――セシルが私のことを心配している?


 頭の中が混乱している。


 セシルはゴホゴホと咳込みながらアンナを睨みつけた。


「僕が日頃、お前に口うるさく注意しているのはどうしてだと思う?」

「それは、家の名誉が傷つくからでしょ?」


 アンナの知る貴族とはそういう連中ばかりだ。

 しかし、セシルは首を横に振る。


「違う。お前の名誉を守るためだ」

「私のため……」


 声に出して反芻するが、まだ実感がわかない。


「勉強も、社交マナーも、貴族であればできて当たり前のことばかりだ。でも、お前は元々平民だろう? 始めるのが遅かった分、人よりも努力しなければ追い付けないじゃないか」

「私はなりたくて貴族になったわけじゃないのに」

「それはわかっている。だけど、できなくて悪く言われるのはお前なんだぞ? それが、僕には耐えがたかった。誰にもアンナの悪口を言わせたくなかった」

「……」


 言われてみれば、思い当たる節はいくつもあった。

 それに、とセシルは続ける。


「どうでもいい相手を探しに行ったりしない」

「…………………………あ」

 

 ――思い出した。

 アンナの脳裏に、封印されていた記憶がよみがえる。


 それは今日と同じ、土砂降りの雨の日のことだった。

 ヒューズ家の屋敷を脱走して母親に会いに行ったアンナは、新しい家族と幸せそうに暮らしている彼女の姿を見て、この世界に自分の居場所なんてないのだと絶望した。

 その後、茫然自失状態でふらふらとあてもなく歩いていたところ、セシルに声をかけられたのだ。


『この馬鹿、何をしているんだ!!』

 

 雨の中アンナを捜していたのだろう。セシルは全身ずぶぬれだった。それなのに彼は、待機させていた馬車に乗ると、真っ先にアンナの髪を拭いてくれた。


『母親の元に会いに行ったんだな?』 

 

 アンナが無言で頷くと、セシルは呆れた様子でため息をつく。


『……何度も言っただろう? お前にはもう帰るところはないんだ。だからうちで生きていくしかないんだよ』

『……』


 お前にはもう帰るところはない――それはよくセシルが口にしていた言葉だ。アンナのことが嫌いだから意地悪を言っているのだと思っていたが、そうじゃなかった。

 セシルはアンナの母親の近況を知っていた。だからアンナに、母親のことをあきらめさせようとしていたのだ。


 どうして今まで忘れていたのだろう。

 一見すると口うるさいセシルだが、本当はずっと、アンナのことを気にかけてくれていたのだ。今日だって、アンナが道を踏み外さないよう身を挺して止めてくれた。


 力尽きてしまったのか、セシルはもう動かない。


「お義兄様……」


 冷たい雨が、二人の体温を容赦なく奪っていった。


   ◇◇◇


「もう外に出ても大丈夫なの?」

「ああ、問題ない」

 

 一週間後。

 一時は危ない状態だったが、アンナの治癒魔法が功を奏してか、セシルは順調に回復していた。とはいえ、攻撃魔法を何回もぶつけたこともあり、完治まではまだ時間がかかりそうだ。

 

 学園の庭園にあるベンチに、二人並んで座る。

 思えば、こうして腰を据えて話したことは今まで一度もなかった。


「お前さ、何か悩んでいることはあるか?」

 

 前を向いたまま、セシルがぽつりと呟く。だからアンナも、なんとなく彼の顔を見ないで答えた。


「そりゃあもう、たくさん」

「そうか。……もっと早く気づいてやるべきだったな。今までの僕は、お前が恥をかかないように、という点にばかり目が行っていたから」

「まあ、お義兄様に相談する、なんて選択肢なかったし。それに、一番の悩みは解決したようなものだから」

「うっ。それはその、すまない……」


 先日、アンナはとうとう、人前で怒鳴り散らすのをやめてくれ、とセシルに伝えた。本人は無自覚でやっていたというのだから驚きだ。


「他には?」

「そりゃあ、あのバカ王子どものことよ!」

「シッ、口を慎め!」


 セシルは慌てた様子で周囲に聞かれていないか確認する。


「まったく、ひやひやさせるなよ……バカ王子という言い方はないだろう? 結婚相手としては申し分ないだろうに。何が不満なんだ?」

「不満しかないわ!」

 

 アンナはレグルスからストーカーに遭った時のことを伝える。どうやらこの話はセシルに伝わっていなかったらしい。すべてを聞き終えた彼はしばらくの間、唖然とした表情で固まっていた。やがて、意を決したかのように拳を握りしめる。


「よし、今度会ったら殴るか」

「殴る!?」

 

 先程まで不敬だなんだを気にしていたとは思えないほどの急変っぷりだ。


「シリウス殿下はどうだ?」

「暇つぶし&レグルス殿下への嫌がらせのために私に求婚してきた」

「は!? じゃあ本気で求婚したわけではないと? ……そっちも殴るか」

「それでもってスピカ殿下は、兄二人への対抗心から私を取り込もうとしてきた」

「それは……まあいいか。いいのか?」

 

 一人で顔を赤くしたり青くしたりしているセシルの様子がおかしくて、アンナは吹き出してしまう。するとセシルは、目を丸くしてアンナの顔を凝視した。


「え。な、何よ」


 妙に照れくさくなってドギマギしてしまう。


「いや……お前が笑ったところを見るのは初めてだな、と思って」

「そ、そう?」


 言われてみれば、ヒューズ家に養子入りして以降、心の底から楽しいと感じたことは一度もなかった気がする。


「お前はむすっとしているよりも、そうやって笑っている方が似合うよ。相手が王族だろうがなんだろうが、これからは僕が守ってやる。だからずっと笑っていてくれ」

「お義兄様……」


 いつになくセシルが優しい。

 アンナはふと、あの時彼が言っていたことを思い出した。


「ねえ、お義兄様。お義兄様は私を妹とは認めていないけれど、心配してくれてはいるのよね? あれ、どういう意味?」

「……」

 

 セシルはなぜか黙りこくってしまう。アンナが顔をのぞき込もうとすると、不自然に逃げられた。


「お義兄様?」

「言わない。絶対に言わない!」

 

 セシルは耳まで真っ赤になっている。

 これってもしかして――


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

評価等いただけると励みになります。


【おまけ】皆の得意属性

・アンナ→脅威の全属性(特に火)

・セシル→火

・シリウス、スピカ→光

・レグルス→闇

・ルナリア→土

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