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ガチムチでマッチョなエリート騎士が、友達以上になりたいと相談してくる

作者: 工藤 でん

ガチムチなマッチョが、可愛いげなくきゅんきゅんします。

いや、可愛いです。可愛くなってきます……たぶん。

「君とは、友達以上になりたいんだ」



……想像してみてほしい。

昼下がりの穏やかな風の吹くオープンテラスで、香り高い紅茶とスコーンを前に、男性からこんなセリフを吐かれてみたとしよう。


どんな乙女でも頬を染めて――それって、私のこと好きなの? きゅん――ってなっちゃうよね。

私だってそうだ。王子様みたいにキレイめ爽やかイケメンから言われたら、光の速度で真っ逆さまに恋に落ちるだろう。


でも、私の現実は違った。

先程のセリフを吐いた男は、眉間にシワを寄せたまま氷のように固まった無表情で、ムキムキのガタイをパツパツのシャツで閉じ込めたガチムチでマッチョな男だった。

威圧感と脅迫感で言葉が出なくなる。


さらに想像してみるといい。

クロテッドクリームとラズベリージャムたっぷりの輝かしいスコーンの向こうに、金色短髪で冷たい青い目をしたゴリゴリの男感丸出しの男が、じいいいっと自分を見据えている情景。

酸素が薄くなって、呼吸すら苦しいぞ。


あまりに場違いな男がオープンテラスを陣取っているためか、カフェには新しいお客さんが入ってこない。軽くこの店の営業妨害をしている気もする。おかげで私とこの男の二人きり感もハンパない。


ねえちょっと、ヘルプミー。誰か助けろ。



私は先ほど言った自分の言葉を心の中で反芻した。

私は彼に、「まずはお友達からお願いします」と言ったのだ。


今までほぼ接点のなかった人から、ミリのブレもない切れ口で単刀直入に「俺と付き合って欲しい」と言われたら、「お友達から」っていうのは普通だよね。

いわゆる常套句というやつだ。まあ待ちなよあなたのことよく知らないしという、古今東西使い古された誰も傷つけないための美しいお断り文句である。


しかも私の目の前に座っているゴツイ男は、魔法騎士団に所属する魔法騎士のエース様だ。

詳しくは知らないが、数年前に地方で徴兵された一兵卒なのに魔法を使ってとんでもない活躍をして、そのまま魔法隊に入隊し、戦果を重ねて魔法騎士団隊長職にまで上り詰めたという、異例の出世を遂げた人だ。


そんな注目度高い、見た目も色んな意味で注目度高い人が、実家の食堂でホールを担当してる庶民ど直球の、私みたいな普通の小娘に求愛とか、ありえんでしょ。何かの罠かと普通に思う。



そこで彼から冒頭のセリフが吐かれたわけだ。


「 君とは、友達以上になりたい」


つまり、友達から始めるのではなく、友達以上から始めたいと。

……うんうん。だからさ。


まずは友達からって、この人には通用しない言葉なのかな?

婉曲にお付き合いを断ってんだよー。あなた今エリート街道をまっしぐらに突っ走り中だよ?

あなたの一時的な気の迷いが、あなたの未来を傷つけないようにするための、私の優しい心遣いなんですよー。


彼の微塵も動かなそうな冷たい青い目を見る。

……私の心遣いは、全く伝わってませんね。



しくったな。こんなの引き受けるんじゃなかった。

私は表情の動かない岩みたいな男の顔を見ながら、幼なじみのチャラけた顔の男を思い出していた。



◇ ◇ ◇



「あの冷酷って噂のエリート騎士が、私の事好き?」


私の言葉にネイサンはこくこくと頷いた。 明るい赤毛もこくこくと揺れた。

なに言ってんだこいつ、と私はモップの柄を握り直して床掃除の続きを始めた。下らない妄言のために仕事の邪魔をしないで欲しい。


ネイサンは食堂の椅子を逆向きに座り、背もたれを使って頬杖をついた。魔法騎士という、国の中でもエリート部隊に所属しているくせに、子供みたいな仕草をする。

いや違う。こいつ、ガキの頃から成長してないんだ。


「だってさ、俺がこの縞猫亭を紹介してからだろ。隊長が外でメシ食い始めたの。今まで寮の賄いで済ましてた人がさ」

「それは、ネイサンの営業力と、騎士隊の寮の近さと、縞猫亭の抜群においしい料理のせいじゃない?」


私がモップでネイサンに近づくと、ネイサンは自然体で足を上げた。その下をせっせとモップがけする。本当は椅子をどかして掃除したいのに。

それもあるんだけどと、ネイサンは私に指を突きつけた。ビシッと、音がしそうなほど無駄に鋭かった。


「ミーヤ、おまえがいるから」

「寝ぼけたこと言ってないで、さっさと騎士寮戻りなよ。今営業時間外なんだからね」

「やだー! 今日休日だもん! 男しかいないムサイ寮に閉じこもってられるか!」

「彼女作りなって」

「言われなくてもこれから作るっ。遠征が終わって、やっとまとまった休暇が取れそうなんだ。その休暇中に彼女作るっ。

その前におじちゃんのチキンピラフを食わないと、俺の今日の活力湧かないのっ」

「へいへい、毎度。遊びに来るのはいつでも構わんが、飯食いたいなら営業時間内に来いよ」


父さんが山盛りのチキンピラフを持ってネイサンの前に置いた。「うひょー」とか言ってネイサンはピラフをがっつき始める。


ネイサンはお隣の宿屋の息子である。歳が二つしか違わない私たちは、おむつの時代から一緒に遊んでいたという、いわゆる幼なじみだ。

お隣はとても繁盛している宿屋なため、しょっちゅうネイサンはうちに預けられていた。うちの母さんが面倒見のいい人でもあったしね。おかげでネイサンは縞猫亭のごはんで育ったようなものだった。


ネイサンは魔力が強かったので魔法学院に入学が認められ、さらに騎士の修行をして、魔法騎士にまで出世した。エリートコースを歩んでいるくせに、ネイサンの態度は子供の頃と全く変わらない。


「話、戻るけどな。

俺の上司、魔法騎士のエースなんだけど。

ヒューゴ・グレッグ隊長は、基本的に冷酷な人なんだ。命令違反は容赦なく断罪するし、部下の弱音は許さない。

しかも、やんなるほどに厳格。軍の規律は明確に守り、それを部下にも求めてくる」

「責任者としては、当然じゃないの?」

「やり辛いんだよ、部下としてはさ!

そんなグレッグ隊長が、最近丸くなったと言われているんだ。多少のミスには目をつぶってくれるし、無駄口叩いててもあんまり怒らない」

「ネイサン、くだらないことずっと喋ってそうだもんね」

「俺は、場を和ませてるんですぅ。

グレッグ隊長のこの変化は、縞猫亭に通い始めてからなんだよね」


私は喋りながらもチキンピラフを着々と減らしていくネイサンを眺めた。よく食うこと。

ピラフの脇に水の入ったコップを置いてやる。手だけでありがとうと私に伝えると、ネイサンは水をごくりと飲み込んだ。


「グレッグ隊長が縞猫亭でミーヤと話せた翌日、訓練が緩くなるんだ。筋トレ十セットが、八セットになったり」

「はあ」

「それが、グレッグ隊長がミーヤと話せなかった翌日、訓練の厳しさが微妙に増す。魔力どん底まで追い込まれた直後に、魔法連射指示がきたり」

「へえ」

「へえじゃねえんだ! 超キツいんだ! ガチで目の前真っ暗になんだよ! しかも倒れたらペナルティありだ!

それもこれも、ミーヤが隊長と毎回話さないのが悪いんだっ」

「知らんて。

話すって言っても、ちょっと世間話するだけだよ。常連さんにはみんなやってるけど」

「それがうちの隊の死活問題になってんだよ!

そこでな、うちの隊の平和を守るために、ミーヤに一肌脱いでもらおうと」

「何」

「グレッグ隊長と、一回デートして」

「馬鹿なの?」


ダメかあ、とネイサンは空になったピラフの皿にスプーンを置いた。

「おじちゃーん、あのパスタ、スピナーチェだっけ。あれも食いたい。出るー?」と厨房にむけて叫んでいる。まだ食うのか。



私はネイサンの上司だという、グレッグ隊長を脳裏に浮かべた。よくお店に来てくれるから、脳裏にはすぐに出てきた。

岩みたいなゴツイ金髪。

…… いやいや、もうちょっと丁寧に思い出せ、私。



グレッグ隊長、年齢は三十歳過ぎてるくらいかな。身長は、平均的なネイサンより頭一個分くらい大きい。金髪は刈り上げていて、いかにも軍人さんぽい。濃い色の青い目はいつも何かを見据えているように見える。常に刻まれた眉間の皺のせいで、不機嫌そうな雰囲気を持っていた。


そして目を引くのは鍛え抜かれた身体だろう。魔法騎士は剣も振るうが魔法がメインになるので、そこまで筋骨隆々な人は少ない。そんな魔法騎士の中で、グレッグ隊長は群を抜いて筋肉の塊だった。そのまま王国騎士団に混ざっても何の違和感もないほどの、ガチムチの身体に仕上げていた。



正直、怖そうで苦手なんだ。何にもしてないのに怒られそうな気分になってしまう。そんな人と、デート?

ないわー。


「あんな怖そうな人とデートとか、ないでしょー」

「隊長、とっつきにくいけど、悪い人ではないよ。指示は的確だし、何より抜群に魔法センスがいい。まあ、これはデートに関係ないか。

ミーヤもここんとこ、彼氏いないんだろ」

「余計なお世話だっての。

しかも、グレッグ隊長が私のこと好きなんて情報、あんたの不確かな直感だけでしょ」

「うちの隊の連中はみんなそう言ってるよ。間違いない」

「ホントかよ」


軽くあしらってやると、ネイサンは私の袖をつんつん引いた。

顔の前で手を合わせて、私を拝んだ。


「なあ、頼むよ。隊長と一回お茶するくらいは、ダメか?」

「あんな怖そうな人と二人きりでお茶?

ムリムリ」

「……名店『月明かりの雫』のスペシャル・スコーンのセット、グレッグ隊長の奢りで」

「あの『月明かりの雫』! スコーンの名店!幻のクロテッドクリームたっぷりのっ……」

「紅茶は大きなポットで出されるので、優雅でゆっくりとした時間が過ごせます」

「優雅でゆっくりティータイム…………やだ、まるでお姫様……」

「ジャムはブルーベリーとラズベリーが選べるけど、どっちがいい?」

「ラズベリー!!!」

「じゃあ決まりな」

「あ」


ネイサンはちょうど父さんの持ってきたほうれん草のパスタに、オリーブオイルをドパドパかけた。フォークでパスタをぐるぐる巻いて口に入れる。ひと口がでかい。


「あしゅた………明日、店予約しとくから。

グレッグ隊長も振られるにしたって、早いに超したことはないだろ」

「……ネイサン、あんた」

「せいぜい楽しんでこいよー」


私は黙って、激辛唐辛子オイルをネイサンのパスタにぶっかけてやった。「いやあああ!」という悲鳴がエリートの口から飛び出てきた。



◇ ◇  ◇



そんな事情で私は今、スコーンを前にガチムチの筋肉男と対峙しています。

友達以上、の概念について詳しく語り合うには、相手の男が怖すぎる。意見が対立して「おまえ、ふざけるな」、なんて言われたら、今すぐ泣いちゃう自信がある。



……それにしても。

グレッグ隊長は私を見据えたまま微動だにしなかった。「俺と付き合って欲しい」とか言ってる人の態度だろうか。こっちから話すネタなど、何も無いからね。



話すきっかけが掴めず、相手も黙っているため、私は目の前のスコーンを攻略する事にした。


ほんのり焼き色のついた美しいスコーンを手に取った。真ん中からパカッとふたつに割る。温かいスコーンからバターの香りがふんわりと香った。そこへお店の名物のクロテッドクリームをたっぷりと、さらにラズベリージャムを塗った。

パクッと頬張れば、バターの香りと濃厚なクリームと酸味の強いラズベリージャムが一体となって…………至福! さすが名店、最高のバランス。これはすごい!


あっという間に、半分なくなってしまったスコーンを眺めて、私は深い思考に陥った。スコーンはお皿に二個しかないわけだ。


これ、スコーン自体が美味しいから、クリームだけつけてもきっと美味しい。ジャムだけでも絶対美味しい。ダブルでつけた方が最高なんだけど、単品でも味わいたい。

悩ませるわあ、スコーン。しかも、冷める前にやり切れってんでしょ。だって温かいうちが勝負じゃない。課題が鬼だわ。



「……何を難しい顔をしている」


難しい顔をした大男が目の前にいることをうっかり忘れていた。グレッグ隊長は眉間の皺を普段より深くして私を見ていた。

うわ、怖あ。


そして、私はグレッグ隊長の手元を見た。隊長の前にはコーヒーしか置かれていなかった。


おいコラ何やってんだ、グレッグ。

このスコーンの名店に来ていながら、スコーンを頼まないって、なんて背徳的なんだ。

罪が深いわ。悪徳が凶悪すぎてもはや犯罪だわ。今すぐ謝罪会見だ、グレッグ隊長。


反省を促すためにも、これは直に味わった方がいい。わかんない人には分からせた方がいい。うん、その方が絶対いい。


「グレッグ隊長、スコーン食べません?」

「……甘いものは、それほど得意ではない」

「甘いもの……得意じゃない……」

「ああ」

「……ああああ、もったいない! 人生損してる! 負け組決定、はい確定!」

「……は?」

「大丈夫! ここのスコーンはいけます! 計算し尽くされたバランスの極み!

甘みと酸味と香りの組み合わせなんて、ネイサンの三点倒立よりバランスいいですからっ」

「あ、ああ」

「絶対食べといた方がいいです! 人生観変わります! 嫌い嫌いも好きのうちっていうでしょ。小さなことでも一歩から。お客さん、絶対損はさせないよ」

「……君、ここの店の人じゃないだろ」

「いいからいいから、気にしない。ほら、口開けて。もっと大きく!

はい、あーーーん」


私は反射で開けたグレッグ隊長の口にスコーンを押し込んだ。

青い目をぱちぱちさせながらもぐもぐしているグレッグ隊長を見て、満足する。


ふふん。ほら、おいしい。間違いない。

これがおいしくない人は、人としておかしいからね。


隊長は咀嚼を終えると、黙ったまま片手で顔を覆った。なんだかものすごく、深いため息が漏れてきた。



私は愕然としていた。

……まさか、スイーツ最高到達点を記録したこのスコーンが、口に合わないっていうの? 食べちゃったこと後悔してるの? ため息が漏れちゃうくらい、イマイチっだったってことなのっ?!

信じられない。ダメだ、この人!


食堂の娘やってる私としては、食の不一致って致命的なのよ。

自分のおいしいは一緒に共有してほしいじゃない。私のおいしいを否定されるって、自分を否定されてるみたいだ。

だから、私は悲しい。


名店のスコーンなのにもったいないけど、さっさと食べて帰ろう。ちゃんと味わいたいけど、この男の前ではおいしさ半減だ。

せっかく楽しみにして来たのに、こんな気持ちになるなんて。

後でネイサンにドロップキックかまそう。思い切り当たり散らしてやろう。


私が乱暴にもう一つのスコーンを割った時だ。



「………………いい………………」



ものすっごく小さい声で、グレッグ隊長が呟いた。

ガチムチの筋肉しかない体躯の、どこから漏れた声だろう。発声器官が見当たらない。


私はそろーっとグレッグ隊長の顔色を窺った。隊長は顔を片手で覆っているが、それでもちゃんと見てしまった。

岩みたいな顔が、ほんのりピンクに染まっていた。


「グ、グレッグ隊長……?」

「……いい」

「何ですか?」

「さっきの」

「さっきの?」

「………………さっきのやつ。

あーん」


……あーん。

私が隊長の口に、いきなりスコーン突っ込んだ、あれか?

何がいいんだ? いいってどういう事だ?


グレッグ隊長、強制執行とか好きな人なのかな? 抗えない強い力で押さえつけられ、無理やり従わされるとか好きなの? うわ、考え方によってはなんかエロいな。

そういうプレイを求めてるなら、なおさら他を当たってもらわないと。私、そういう趣味ないんで。


訳がわからずぐるぐる思考を回していると、顔から片手を外したグレッグ隊長が、明後日の方向を向きながら、ボソボソと呟いた。隊長の頬は、まだほんのり赤かった。


「……俺、田舎者で。恋愛経験とか、少なくて」

「はあ……」

「見かけがこんなだし、田舎で、周りがカップルになっていくのを、黙って見てたクチで」

「ああ、わかる。そんな感じ……」

「親友たちはどんどん両想いになって、それを俺に自慢してくるわけだ。

手ぇつないだら彼女の手すげえ小さいとか、目が合ったら必ず手を振ってくれるとか、買い物付き合ってやったんだけど女の買い物長えとか」

「よくある若気の至りの、俺モテてるマウント勝ち抜き戦じゃないですか」

「……めちゃくちゃ、羨ましくて」


……おおう。


若気が至りきっていない、おっさんがここにいた。


事情を聞いた私は、眉間にぐっと力を入れたグレッグ隊長が、威圧感と共に悲壮感も漂わせていることに今気づいた。

モテない男の恋愛への憧れが、三十過ぎてこんな形で溢れ出た、ってとこだろうか。

たかだか「あーん」で、これほどの反応をするなんて。


「つまり、グレッグ隊長」

「なんだ」

「さきほど話に出てた、友達以上になりたい、っていうやつ」

「…………」

「友達以上恋人未満の最中の、くっつききらない間の、ジレンマ的なジレジレを味わいたい、とか」

「…………そうなる、のか…………?」


羨望は、心の根底にはびこる。

グレッグ隊長の羨望が、こんな形で現れたとしたら。


私はグレッグ隊長を、さっきよりほんの少し身近に感じた。

少なくとも、魔法騎士のエースって注目されてる遠い存在の人ではないし、近寄っただけでこっぴどく怒られるような怖い人、ではない。


私がお茶飲みながらお話しできるような人、だったんだね。



「グレッグ隊長は。

手近なところにいた、初対面から他人に対して垣根作ることしない、私みたいな女に白羽の矢を立てた、ってことかしら」

「いや、そういうことではなくて……!」

「まあねえ。私の職業柄、気さくに声がけ出来ないと商売になんないし。食堂のホールって天職かなって、ちょっと思ってはいるんだよね」


実際、私目当てでやってくるお客さんも多いから。

夜は口説かれることもあるけど、酔っ払いの言うことなんて、私は信用してない。ネイサンみたいな、酒飲むと見境なく女の子口説いてるような男も見てるんで。

今のところお客さんが恋人になったことは、一度もない。



「グレッグ隊長の、友達以上になりたいっていうの、わかりました」

「……ああ」

「恋人未満で、っていうことですよね」

「あ?」

「恋人になるまでの、進んでるようで進んでない、もやもやしてるけどそこがなんだかくすぐったくて、そして些細なことで胸キュンする……そういうのがしたい。

だから、友達以上恋人未満でお付き合いしたい、というのなら、やってみてもいいですよ」

「…………」


私の言葉に、グレッグ隊長は戸惑うように目をしばたかせた。その青い目は冷たいんじゃなくて、思いのほか光って見えるせいなんだな、と私はその時気づいた。

グレッグ隊長、綺麗な目をしてるんだ。なんか、意外。


「いきなり男と女として、踏み込んでお付き合いしましょうって、魔法騎士エースのグレッグ隊長相手に、抵抗あるじゃないですか。

友達以上恋人未満なら、そこまで抵抗ないかな」

「…………むう」

「私たち、お試しで付き合ってみてます。という、軽い関係はどうですか?」


険しい厳つい表情のままのグレッグ隊長は、私を見ると、時間をかけてうむと頷いた。

その重々しいうむは、世界を滅亡から救うために何かしらの重い決断をしたかのようだった。


いや、重たいなー。試しに付き合ってみよ、ってだけなんだよ。



私としてもこうなる事は、予想外だったんだけど。

ちょっと、面白そう、と思ってしまったのだ。目が合っただけでドキッとしたり、話せたら今日はラッキー、みたいな。そんな若い頃の気分は、今思い出してもキラキラしている。いや、私今二十二歳ですから、充分若いんだけどっ。


グレッグ隊長がそんな青春時代に憧れを持っていて、ジレジレする気持ちを味わいたい、しかも相手は私がいいっていうのなら、乗っかってみて面白いかも、と思ってしまった。内心きゅんとかしてる隊長って、どんなかな、とか。



ただし、と私はグレッグ隊長に身を乗り出した。かなり重要な案件が残っていた。


「 問題が一つ。

私、食の好みが合わない人、ダメなんですよね」


私がスコーンをチラ見して、グレッグ隊長を見上げた。

グレッグ隊長はテーブルに両肘をついて、手を結んだ。底冷えのする青色の迫力のある目を私に向けて、隊長は唸るように言った。


「……うまかった」

「それ、本気で言ってます?」



私とグレッグ隊長の『友達以上のお付き合い』が、ここから始まった。



◇ ◇ ◇



「なあ、おまえホントに付き合い始めたの、グレッグ隊長と」


ネイサンが食堂に一番乗りして、私に絡んできた。カウンターの端っこがネイサンの指定席だ。厨房の父さんや兄さんと話したり、今みたいに私と話すのにこの席は丁度いい。


ネイサンは訓練が早く終わると、午後営業の始まりくらいに来れることもある。今日の訓練は早く終わったのだろう。ネイサンの赤毛は、訓練後に浴びただろうシャワーのせいで、少し湿っていた。



私はネイサンの前に水のコップを置きながら、頷いた。けしかけた本人のくせに何言ってんだ。


「そうだけど」

「ミーヤ、隊長みたいなの、タイプだっけ?」

「私のどストライクは、細マッチョのキレイめ爽やか系です」

「隊長、ガチムチマッチョじゃん。いかつめ重量系じゃん。方向性、全然違うじゃんか」

「見かけだけなら、確かに方向性真逆だけど!

……ちょっと面白そうかなって、思っちゃって」

「あのグレッグ隊長が面白いわけないだろ。真面目な筋肉が服着て毎日戦闘訓練してんだぜ」

「いや、そのシチュめっちゃ面白いな」


服着た真面目な筋肉って。グレッグ隊長そのまんまだ。


チキンステーキとアーリオオーリオ、というネイサンの注文を厨房に伝える。「チキンステーキ、アーリオ、グリーンサラダ」「サラダ頼んでないっ」「野菜も食べなさいっ」「せめてポテトサラダでっ」というやり取りはいつものことだ。


ネイサンが苦そうな顔で私を見た。


「ミーヤが本当に隊長と付き合うなんて」

「お試し期間みたいなもんだけどね。あれから隊長とはお店でしか会ってないし」

「ああ。グレッグ隊長、忙しい人だから」

「今度のお休みには、お出かけする約束してる。『キャットテイル』のクレープ食べてくる」

「……グレッグ隊長が……ガチムチ筋肉が、街角でクレープ」

「文句ある?」

「似合わないとか思ってないし、ちょっとキモイなとか思ってないし」

「あんたのその軽い口、しばらく閉じてた方がいいわよ」


入口が開く音がした。

グレッグ隊長が同僚二人と共に入店してきた。隊長は一人で来ることが多いが、たまに何人か連れてくることもある。今日はお友達と一緒か。


一人で来る時はしばらくお話したりするけど、連れの方がいる時は遠慮している。今日は話せそうにないな。


だから、グレッグ隊長と目が合った時に、にかっと笑って小さく手を振った。

グレッグ隊長は私を見つめると、ギリっと口を一文字に結んで、深く眉間に皺を寄せた。ものすごく凶悪な顔が出来上がった。

同僚さんたちがわずかに引いている。


最近、私は知った。

この他を寄せつけないグレッグ隊長の凶悪な顔は、隊長の内心がきゅんきゅんしている時の顔だ。

グレッグ隊長は、私が手を振っただけで、どうやら脳内がバラ色になるらしい。この前あまりに顔が怖すぎるから、別れを盾に聞き出したらそう言ってた。


たぶん隊長は今頃、頭の中のお花畑をスキップしてまわり、三回くらい軽やかにターンを決めているかもしれない。あの怖い顔で幸せいっぱいなのだ。

脳内のきゅんが外に出ないように我慢すると、途端に凶悪顔になってしまう。グレッグ隊長はそういう人なのだ。

いやホントに、たった今人殺してきたんだってくらい、顔怖いんだけど。


私はそれに気付いてからというもの、周りがドン引きしている凶悪顔と、彼の内面とのギャップが可笑しくて。

今もちらりと私を見てきたので、べえっと舌を出してみた。グレッグ隊長は殺意レベル急上昇したみたいな顔になった。

あ、ダメだ、おかしい。


声を出して笑いたいのを堪えて、私は手にしたお盆で顔を隠した。あのおっかない顔で、絶好調のきゅん、だからね。脳内では「ミーヤのシークレットラブアピール、見た!」とか思ってるんだろう。誰にも言えないけど、落差激しい、面白い、ヤバい。


そんな私を、ネイサンが微妙な顔して見つめていた。



◇ ◇ ◇



お出かけの約束の日。


私は待ち合わせ場所の広場の噴水前に来ていた。デートの待ち合わせといえば、噴水前は定番だ。待ち合わせの男女が、いつもそこかしこにいるスポットだ。


私は噴水に近付いて首を傾げた。

今日は、なんだかガランとしている。


噴水を背にして腕を組んで仁王立ちしているガチムチマッチョが、存在感出しまくりで鋭い目で辺りを睥睨しているからだ。

今日もパツパツのシャツで鍛え上げた筋肉を世間にお披露目しているグレッグ隊長。

体がこれで顔がこれだと、みんな遠巻きにするよね。できれば私も後ずさりたい。


そんなわけにもいかないので、私はちょっと遠くから手を振ってアピールしてみた。グレッグ隊長はぐぐっと眉を寄せて私の方へ歩いて来た。はい、ただ今グレッグ隊長の、きゅん発動中。


「こんにちは。お待たせしましたか?」

「……待つの、いい」

「好きな人を待つ、というシチュエーションを満喫してましたね……」

「ミーヤを見つけた瞬間に、鼓動が凄まじく上がった。心臓に何か問題があるのかも。俺はもう長くないだろう」

「大げさでーす」


歩きながらグレッグ隊長を見上げた。改めてでかい。

金髪の角刈りの下、太い首から分厚い肩。シャツがパツパツだから胸の厚さや腕の太さも丸わかりだ。

この前お茶した時も、パツパツのシャツだった。こういう服が好みなのかな?


「グレッグ隊長、プライベートはいつもそういう服ですか? お店に来る時は訓練服ばっかりだけど」

「……こういうシャツしか持ってない。他は捨てられて」

「捨て、()()()?」

「元カノが、こういうのが似合うからって。同じようなもの買わされて……」

「………………ぁあ?」


思わず低音の「ぁあ?」が出た。


私とのデートに元カノセレクトのシャツで来たってか。元カノが選んだ服捨てずにまだ着てるってか。なんかそれって、どうなの?


てか、グレッグ隊長。

……私の前では、初心(うぶ)な様子で些細なことできゅんきゅんしてるくせに。彼女いたことあんのかい。


私はグレッグ隊長を下から睨みつけた。

見下ろしてくる青い目は戸惑ったように揺れていたが、ぐぐっと眉はひそめられ凶悪顔に変わった。おい、ここでもきゅん発動か。


「予定変更。隊長の服買いに行きます」

「何でだ?」

「何でじゃないでしょ、普通に不快」

「……よくわからないんだが」

「元カノの影チラつかされて、そのままデートできるわけないでしょー! デリカシー足りなすぎ」

「そういうものか? 服には罪はないが」

「元カノの趣味のグレッグ隊長、嫌いになるかも」

「ええっ」

「じゃあさ、グレッグ隊長。このネックレス、元彼から貰ったのー♡って言ったら、どう思う?」


私は首にかけている、赤い小さな石のついたネックレスをつまんで見せた。

グレッグ隊長の顔色がどす黒くなった。殺意のこもった青い目が、ネックレスを射抜いた。


「……引きちぎって、握りつぶしたくなった」

「おっかないです。

でも、気持ちは分かってくれた?」

「わかった。もったいないけど、この服は捨てる」

「あ、もしかして。隊長のご実家は、もったいないオバケの生息地域ですか。うちもオバケいるんでわかります。

捨てないで、古着屋に売りましょう。モノはよさそうだし。売っぱらって、おいしいものでも食べるってことで」

「ああ」

「じゃあ、服を見に行きましょう。キングサイズがある店がいいですよね……」


歩きかけた私をグレッグ隊長が覗き込んできた。私の胸元のネックレスをガン見している。

お? なんすか。


「……で、そのネックレスの由来は」

「あ、ああ。これは。

ネイサンが初給料出た時に、小物屋に引きずって行って無理矢理買わせたセール品で」

「外して」


有無を言わさない口調で即答したグレッグ隊長は、難しい顔してそっぽを向いた。分かり易く、面白くないと顔が言っていた。


「……ネイサンはいいヤツだし、俺たちを取り持ってくれた恩もあるし、ミーヤの家族みたいなものだと分かっているが」

「うん、外す。ごめんなさい」


私はネックレスを外してカバンにしまった。何も考えずに、全く無意識で付けてきてしまっていた。


私も同じことしてたんだ。


いくらネイサンからとはいえ、男から貰ったアクセサリー付けてくるべきじゃないよね。デートだって分かってるのに。グレッグ隊長が不快に思って当たり前だ。私もデリカシー足りないんだなあ。



グレッグ隊長はネックレスをしまった私を見て、二三歩歩いてから急に立ち止まった。そのまま両手で顔を押さえると、その場にしゃがみ込んだ。

金髪角刈りのガチムチマッチョが往来の真ん中でしゃがみ込まないでほしい。何事が起こったのだと、みんな避けて通っているじゃないか。しゃがんだってデカイんだから。


私は慌ててグレッグ隊長の耳元に囁いた。


「どうしましたっ?!」

「…………かわいー…………」

「はっ?」

「……ごめんなさいって…………すっごちっちゃな声で、ごめんなさいって……」

「た、隊長……」

「……元カノの影って……嫉妬したんだ、あのミーヤが。…………うれしー……ヤバい……心臓爆裂してる……俺やっぱり、このまま死んじゃうかも……」

「グレッグ隊長っ!」

「ミーヤの見立てで買い物…………家宝だ……家宝にする……初デートで家宝が手に入る……次は何だ…………国宝がくるのか……」

「隊長ってば!」


グレッグ隊長が正気を取り戻すまで。私たちは広い往来の真ん中で、長いこと見せ物になってしまった。



◇ ◇ ◇



「おい、街中で噂されてるバカップルの片割れ」

「誰がバカップルの片割れよ」


ネイサンがいつものカウンター席で、腸詰めのグリルを食べながら話しかけてきた。エールは四杯目だ。今日はだいぶ飲んでるな。

私は黙ってコップに水を汲んでネイサンに渡した。ネイサンは嫌そうな顔しながら一気に水を飲み干した。


「この前は魔法具店で、一人だけきゃっきゃしてたって?」

「グレッグ隊長もきゃっきゃしてたもん。直前に三人くらい絞め殺してきたみたいな顔しながら、きゃっきゃっ言ってたもん」

「それきゃっきゃ、じゃねえだろ」

「これ買ってもらったのー。グレッグ隊長がなんかしてくれて」


私は髪留めをネイサンに見せた。スミレの花を型どった髪留めだ。素材が魔力を貯めておけるものらしい。何より、可愛い。


「なんかねー、これ付けてると涼しいの。最近暑くなってきたでしょ。冷たい空気が出てきて、超働きやすいの」

「……お前、それ……」

「直に触れないように気を付けろって言われた。低温火傷しちゃうかもだって」

「……ああ」

「涼しさは一日しか持たないけどね。魔力込めるのに時間かかるから二つ買って、交互で持ってきてくれるの。もう一つはスズランなの、これもかわいーの!」

「…………あのな」


ネイサンが呆れを通り越して、ちょっと不機嫌になっている。なんだ、情緒不安定な奴だな。

ネイサンは髪留めを睨んで、片手で頬杖をついた。


「それ、普通に買おうとしたら、金貨十枚くらいの価値あるからな」

「……うそ、そんなにしなかったよ! 銀貨数枚だったよ!」

「髪留めの物自体はな。その飾りの部分に継続式の氷結魔法かけてる。魔法を練り込むことで、価値が爆上がりする」

「……そういうものなの?」

「そういうもんなの。この小さな飾りに継続式の氷結魔法を、しかも人体に害が及ばないくらいの出力で一日持たせるくらいの魔法を練り込むとか、誰にでもできるもんじゃない」

「ネイサン、できる?」

「そんな器用なこと、できるか!

前にも言ったろ。グレッグ隊長、魔法センスが抜群なんだって。魔法局から引き抜きの話も出てるくらい」

「へー……」

「その髪留めだけで、どんだけ愛されてるか分かるって」


そうなんだ……。

今もヒンヤリとした空気を送ってくれている髪留め。

愛されてる。……うわー。


ちょっと恥ずかしくなって、私は手で顔に風を送った。顔が熱い。なんか、照れる。



グレッグ隊長が大事に思ってくれていることは、わかっていた。グレッグ隊長から、私に触れてくることはない。多分すごく気を使ってる。

街を歩いていて私が「ねえねえ」って腕をつつくだけで、彼は十秒くらい固まってしまうのだ。憤怒の表情で固まったガチムチ筋肉の塊は、かなり迷惑な置物になるのだが。


グレッグ隊長に愛されてる、なんてね。

私たち、手を繋いだり、キスしたりすらしていないのに。



ネイサンが酔った目をこちらに向けた。


「ミーヤ、気をつけろよ」

「何が?」

「一部の人間から敵視されてる」

「私が?」

「よくない噂を流されてる」


ネイサンの言葉に、私は眉をひそめた。

よくない噂。なんなの?


「仲がいいように見えないのにしょっちゅう二人でいる。あの女、グレッグ隊長に付き纏ってるって」

「何よ、それ」

「どう見ても不機嫌な(ツラ)した魔法騎士のエースに、全く忖度せずに笑顔で付き纏ってる女。空気読めないにも程がある」

「おお、忖度しない女って、私のことかい」

「グレッグ隊長は周囲には丁寧に反論してるけど。

隊長のところには、ひっきりなしにあんな女とは別れろって、抗議が入ってるって」


何それ、初耳。

ネイサンを見ると、妙に据わった目でジョッキを睨みつけていた。ありゃ、かなり酔ってる?


そんなことより、グレッグ隊長からそんな話聞いてない。ひっきりなしに私と別れろって抗議? 何それ。


ネイサンは知ってるのかな。グレッグ隊長の元カノのこととか。まさか、抗議って、元カノからの抗議? ちゃんと別れてるんだよね。


「その抗議、どこから来てるの」

「グレッグ隊長、一部の女子にめちゃくちゃモテるから。いわゆる、筋肉を愛する女子集団」

「……そんなのいるの?」

「いるの。鍛え上げられた男の筋肉に美を感じる集団な。

筋肉を愛でたい、筋肉に触れたい、筋肉に抱かれたいっていう、過激派までいるぞ」

「うわあ」

「グレッグ隊長、ちょっと前までそんなのに引っかかってて、割と嫌な目に会ったって噂。俺の上司になった時には、全く女っ気なかったけどな」


……元カノだあ。

筋肉を愛する女子だから、あのパツパツのシャツだ。

そして、そんな女子が集団でいるの。

そして、その集団が私を敵視してるのね。

……そういうことってあるんだ。


よくわかった。ネイサン、ありがとう。



正直に言おう。

……どうでもいいわ!


グレッグ隊長のことが好きなら、個人で玉砕しに行きなさいよね。

集団化したからグレッグ隊長が自分たちのものになるなんて思ってんなら、それこそおこがましい。隊長はそんな筋肉愛好団体のものなんかじゃない。

みんなで牽制して抜け駆けはなしよ、ってルール作ってんなら、私はそのルールに縛られない。だって、私は筋肉はどうでもいいし。



私は、変な顔してきゅんきゅんしてる、私のことが好きなグレッグ隊長のことしか知らない。



私に嫌がらせとか始めるんなら、やってみなさいよ。こっちは長く商売してるんだ。嫌がらせの対処方法なんていくらでも持ってるんだからね。なんなら、完膚なきまでに叩き伸ばしてけちょんけちょんに……


「ミーヤ、顔怖い」

「うるさい」

「ミーヤ、グレッグ隊長、やめときなよ」

「なんでよ、あんたも筋肉女子たちの味方っ?」

「嫌な思いするくらいなら…………しろよ」

「え? 何?

……ちょっと、ネイサン、ここで寝ないで! 寮に帰りなさいよ、もう!」


カウンターに突っ伏したネイサンの頭を、私は平手で叩いた。チョップも落としてみた。ゆさゆさ肩を揺さぶってみたけど、ネイサンは起きない。耳を引っ張って「ネイサン、こらー、起きろー!」と怒鳴ってみたけど、手を払われただけだった。こんにゃろう。


ドアベルの音がした。

思わず振り返ると、去っていく背中が見て取れた。

もう見慣れた筋肉質の背中は、逃げるように身を翻していた。



今の、見られた。


見られてまずい訳ではない。ネイサンとはいつもこんな感じだし。



だけど、追いかけなきゃ行けない気がした。グレッグ隊長が傷付いたのかもしれない。何に傷付いたのかわかんないけど、ちゃんと話さなきゃ。絶対に、誤解なのに!


「父さん、私ちょっと出てくる!」


私はエプロンを急いで外して、グレッグ隊長を追いかけた。



◇ ◇ ◇



グレッグ隊長の足は早い。

店を出るともう隊長の姿はどこにもなかった。

どこ行っちゃったんだよ、もう。

グレッグ隊長の行先。騎士寮だよね。寮に帰ったんだよね。


騎士寮は部外者はもちろん入れない。家族だって面会要請を出してから対面室で会う決まりになっている。


どうしよう。

勢いで追いかけてきたけど、会える手段がない。寮内に出入りできるネイサンは、寝落ちしてるし。あいつ、肝心な時に使えないな!


未練がましく騎士寮の周りを歩いていると、十人ほどの女子の集団に出会った。

出会ってしまった。

そこは、どうやらトレーニングルームのそばみたいだ。騎士たちのトレーニングをたまに垣間見ることのできるスポットらしく、騎士様たちの筋肉を愛でようと集まった、筋肉を愛する女子の集団だった。



「あ、グレッグ隊長の寄生虫!」


女子の一人が声を上げた。

その場の女子たちが一斉に私を見た。


……へえ。私はグレッグ隊長の寄生虫と呼ばれているのか。

どんな目で見られてるのか、一発で分かるってもんだ。虫だよ虫。虫扱いだよ。


集団の中のリーダー格らしい女子が、刺々しいオーラ全開で私に近付いてきた。見た目は清楚な可愛い系だが、この子も筋肉愛好家なんだ。見た目って、信用出来ないな。


「なんだっけ、ミーヤ、っていうんだっけ。目障りな寄生虫」

「……どうせ、身バレしてるんでしょ」

「そうね。だって害虫は生態をよく知らないといけないもの。そうしないと、ちゃんと駆除できないからあ!」


清楚な可愛い系女子は、お口が悪かった。


私はじわっと周りを囲まれた。

「この(ツラ)でよくグレッグ隊長にいけるわよね」「グレッグ隊長かわいそう」「迷惑かけてるって気づいてもいないのよ」「グレッグ隊長の嫌そうな顔、見た?」「ホント、厚顔無恥って厄介よね」「恥知らず」などと、ポンポンと不満を投げかけてくれる。

おうおう。

集団女子の言葉リンチ。由緒正しいじゃないの。


リーダー格の女子が私の前に立った。明らかに見下した視線が私に突き刺さっていた。


「グレッグ隊長は、全騎士の中でもトップクラスの肉体を持ってます。今最も目の離せない注目株よ。彼、まだ若いから、ますます際立って美しくなれる。

それを、食堂の娘風情が」


たんっ、とリーダーは足を踏み鳴らした。ギリギリと私を睨みつけてくる。


「邪魔をしないでよ。彼の日常を乱さないで。

グレッグ隊長がオーバーサイズのシャツであの美しい筋肉を隠し始めたのは、あなたのせいでしょ。余計なことしないでよ!」

「筋肉、見世物にするのもどうかと思うけど」

「反論しないで!私たちは彼らの日常を守るために存在するの。筋肉に集中し、筋肉と向き合う時間を大切にしてほしいの。

時に、性のはけ口が必要なら、その時は喜んでこの身を捧げるわ」

「……うわあ」

「私たちは崇高な使命があるの。あなたのような個人のワガママで、グレッグ隊長の邪魔をするのは許せないのよ!」


リーダーはつんと顔を上げて言い切った。

なんだか崇高な使命を持って、騎士様の筋肉を守っている集団なのね。

そうかそうか。

なんか知らんけど頑張っているんだね。

言いたいことは、言い切ったのかな。


はい、よくわかりました。


……この人達と、意思の疎通が不可能なことが。

分かり合おうとする気が、全く持てなかったので。



私は大きく息を吸った。

長年ガチャガチャうるさい店でオーダーを通してきたんだ。どうしたって鍛えられるんだよ。

私の声のデカさ、舐めんなよ。



「ヒューーーゴーーーー!!!」


女子たちはたじろいだ。まだ浅い時間とはいえ、夜に大声を上げることは異常だ。しかもこの女子たちは、こっそりトレーニングルームを覗き見していたのだ。こっそり、ということは、バレてはまずいのだ。

私はさらに声を上げる。


「ヒューゴ・グレッグ! いないのっ?!

私はここだ! ヒューゴーーー!!!」

「……ちょ、ちょっと、あなた。やめて……」

「ヒューゴーーー!!! あなたのミーヤが呼んでます! ヒューゴ、ここに来て!!!」


バタン、とドアが開いて、半裸のグレッグ隊長が走りよってきた。焦った顔が珍しい。

ガチムチ筋肉を晒したまま、隊長は私の顔を探していた。

こんな時なのに、グレッグ隊長の美美しい筋肉に女子たちの歓声が沸いた。「ああ、きれいな上腕二頭筋っ」「増帽筋が見たいっ。背中見せてっ」「グレッグ隊長の腹直筋ラブっ」とか喚いている。ホントに筋肉好きだな!


隊長は騎士寮の柵に掴まって、私を呼ぶ。


「ミーヤっ!」

「ヒューゴ、来てくれた」

「なんでっ……」


私は柵に手をかけたグレッグ隊長の手を掴んだ。隊長の両手を私は捕らえている。つまり隊長は、顔を隠せないわけで。


みるみる真っ赤になっていくグレッグ隊長を、私は女子たちと共に見守った。意表を突かれた隊長は、顔をしかめることもしないで、恥ずかしそうに私を見た。


「……なんで、初めて名前呼んでくれるのが、今」

「ずっと、隊長呼びはおかしいなーと思ってたんですよ。いずれ名前呼びにしたいとは思ってて、今日たまたま?」

「今日が、初めて名前呼んでくれた記念日かよっ。心の準備が、間に合わないっ」

「心の準備しちゃうと、すぐに凶悪顔になっちゃうじゃないですか。それに、初めて名前呼んでくれた記念日ってなんですか」

「一生に一度のことだぞ。もう二度とないんだぞ」

「隊長、大げさ」

「隊長じゃないだろ」

「あ、そっか。ヒューゴ」


てれっと、ヒューゴが笑った。

あ、こういう顔すると可愛いんだ。

新発見だ。


周囲の女子たちが呆気に取られていた。

グレッグ隊長の寄生虫は、グレッグ隊長にまとわりついてるんじゃなく、愛でられている存在だった。

……って、分かったか、筋肉女子共。

「かわい……」とか呟いてるんじゃない。可愛いヒューゴは私のだっての。



路地の向こうから警備隊が駆けつけてきた。

慌てた女子たちが走り出したが、私はヒューゴの手を掴んだまま立ち尽くしていた。

ヒューゴを見上げると、ガチムチ筋肉の上にある金髪の角刈りが寄ってきて、「大丈夫だ」と囁いた。


うん、大丈夫。ヒューゴが来てくれたから、怒られるくらい、へーき。



◇ ◇ ◇



結局、警備隊に私は怒られなかった。

ヒューゴが、「痴話喧嘩の最中です」とのたまって、警備隊を失笑させていた。


筋肉を愛でる女子たちは、以前から注意喚起されていたみたいだ。騎士寮の周りを執拗にウロウロしていたのだ。もう覗き見はしないと念書を書かされ、泣きながら帰ったそうだ。



私とヒューゴはその後少し歩いて、川縁にあるベンチに座っていた。

ちゃんと話をしたかったから。


私がヒューゴの手を握ると、ヒューゴは眉間にぐぐっと力をいれて凶悪な顔になった。また、きゅんきゅんしてる。


「……よく、俺がトレーニングルームいると思ったね」

「逃げるように帰って行ったから。これは筋トレして頭の中空にしよう、とか考えるかと思って」

「……正解」

「あの女子たちがいたのは偶然だけどね」


聞きにくいこと、聞いちゃおうかな、と私は思った。聞ける時に聞いて、後腐れをなくしたい。まだ私たちは、始まったばかりなんだし。


「……あの中に、元カノいた?」

「いない。もう俺には近づかない」

「そうなの?」


ヒューゴは言いにくそうに眉をひそめていたけど、諦めたように視線を落とした。


「田舎から出てきた世間知らずの俺は、告白されて付き合えることになって、浮かれていた、と思って」

「うん」

「告られてすぐに彼女の家に連れていかれて、身体中まさぐられて脱がされて、あっという間にそういうことになって」

「……わあ」

「会う度にそんな感じで。恋愛してるんじゃなくて、身体を弄ばれてるだけだって途中で気づいて。

気持ち、悪くて」

「……うん」

「耐えられなくなって、彼女の上で吐いた。それから会ってないし、どこにいるかもわからない」

「……かわいそ」


短い金髪をなでなでした。

驚いたような青い目が私を見たが、私は手をとめなかった。

酷い話だよ。こんなにきゅんきゅんを楽しんでいる人が、すっ飛ばして体の関係しか持てなかったなんて。


だから、友達以上なんだ。

ヒューゴは一つ一つ積み上げて、恋人にまで登りつめていきたいのだ。途中経過は、とても大事な糧になるから。お互いを知る過程は、二人だけの秘密で試練で、かけがえのない宝物に繋がるから。


ヒューゴは自分を撫でる私の手を取った。ヒューゴから触れてくれたのは初めてかもしれなかった。


「かわいそう、なんて言ってくれたのは、ミーヤが初めてだ」

「そうなの?」

「男連中はヘタレとか、毒引いたなとか」

「きついねえ」

「ちょっと、泣きそうなくらい、嬉しい」

「泣いちゃえば」

「……二十五の男に泣けとか言う?」

「…………え、ちょっと待って、ヒューゴって二十五歳っ?! 私と三つしか違わないのっ?!」

「……いくつだと思ってた」

「三十、越えてるかと……」

「老けてんだよ、悪かったな」


私の手を取ったまま、そっぽを向くヒューゴ。

か……わいいな、ヒューゴ!

なんだ、これが冷酷って噂の魔法騎士隊長ってか。



もう一つ、聞かなきゃ。

さっき、お店に入りかけて逃げ出したこと。

私がネイサンを起こそうとしてたとこ、見てんだよね。それで背中を見せて逃げ出した。


ヒューゴに尋ねると、私の手を離して頭を抱えた。うーっと、唸り声を上げた。


「あれは、完全に嫉妬で」

「嫉妬? ヒューゴが、ネイサンに?」

「ネイサンの立ち位置が、今俺の欲しい全てで。ミーヤに容赦なく罵倒されたり叩かれたりとか」

「ネイサンは、家族だからさ」

「ネイサンはそう思ってない。ネイサンはミーヤのこと好きだよ」


ヒューゴがキッパリと言い切った。

なんでっ? ネイサンは子供の頃からずっとあのままで、ずっと家族だ。兄弟よりも近くて遠慮がなくて、私のこと好きなんて全然思ってなくて。

私がそう言うと、ヒューゴは首を振った。確信を持っているようだった。


「ネイサンは器用なやつだから。ミーヤには自分の気持ちは欠片も見せないよ。プライドも高いしね。

ただ、ずっと好きだったんだと思う」

「なんでっ? ネイサン、何度も彼女いたよっ。私、知ってるよ!」

「ミーヤはネイサンのこと家族としてしか見てないし、他に恋人だって作るし。

それ見てたらネイサンだって彼女くらい作るだろ。あいつ、普通にモテるしな」

「うう」

「待ってればミーヤは自分しかいないことに気付く。それまでは自分も遊ばせてもらって……とか、そんな感じだったんだろ。

ところが、俺がガチで立候補」

「あ」


ヒューゴは私を見て苦笑いした。

実は、とヒューゴは告白する。


「騎士寮でめちゃくちゃリサーチしてた。食堂のあの子はどんな子か。彼氏いるのか好みのタイプはとか」

「ひええ」

「細マッチョのキレイめ爽やか系」

「バレとる!」

「ネイサンが、そのまんまだろ。ミーヤの理想に寄せてるんだ」

「あー……言われてみれば」

「俺が騒いでたせいで、騎士寮にいる人間は、俺がミーヤ狙いだってみんな知ってた。ネイサンもね」

「……」

「ネイサンは俺の気持ち知ってて、これみよがしに当てつけてたからな。ミーヤに絡んであしらわれて。俺がすげえやりたいやつ」

「ああ、うん」

「カフェの予約して取り持ってくれたのも、さっさと玉砕してこいよ、ってことだろ。そうはならなかったけど」


ヒューゴはししっと歯を見せた。子供みたいな笑い方は、なんだかとても幼かった。


私は初めてのカフェで、ヒューゴと話したことを思い出していた。色々と勘違いして話していたような気がする。


「……友達以上恋人未満の、ジレジレを味わうために、私を選んだんですよね」

「初めから恋人になりたくて選んでるよ」

「恋人未満のもやもやを楽しみたいとか」

「うん、かなり楽しんだな。

でも、その先を楽しんでもいいかな」

「わ、私、恋人未満のつもりで!

だから、ヒューゴのことホントに好きかわからなくて……!」

「まだ、わからないの?」


ヒューゴが私と目を合わせてきた。

綺麗な青いヒューゴの目が、私のすぐそばにあった。きゅんを表に出すの我慢しなければ、ヒューゴの顔は凶悪なんかじゃなかった。眉間の皺がなければ、割といい顔してて。

私の腰を抱き寄せた手がすごく優しい。


気がつけばガチムチの筋肉に包まれている私がいた。

その居心地は、思いの外悪くなく……というか、積極的に心地いい。ムキムキの胸に頬を寄せると、そのまま強く抱きしめられた。


あ、これは沼って抜け出せないパターンかも、と思った私に、ヒューゴがとろっと甘い声で囁いてきた。



「今から、恋人以上を始めるからね」


ほら、マッチョ、可愛くなりましたね……?


冷酷な騎士団長から溺愛される話を書こうとしてたのに、色々こねくり回した結果、マッチョが溺愛してきました。

そういう事って、あるよ。あるあるだよ。


評価★★★★★、ブックマーク、リアクション、感想など頂けると、作者は天に召されます。すぐ帰ってきますが。


楽しんでいただけたら嬉しいです。

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若い頃は細マッチョが良いって思ってた。ダンサーとかのチラっと見えるキュッと割れたシックスパックが可愛いなって。 でもなんか段々、ガチムチも可愛く思えてきた…厳つい顔でヘラっと弛んだ表情見せられたらもう…
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