花の咲くような笑顔で
「――お疲れさま、朝陽くん。もう上がって大丈夫だよ。遅くまでごめんね」
「あっ、いえお気になさらず! それでは、キリの良いところまで終わらせてしまいます」
「うん、ありがとね朝陽くん」
それから、三週間ほど経て。
午後5時50分――フライパンを磨いていた最中、蒼奈さんからそう声を掛けられる。もともと本日の勤務は5時までだったのだけど、予想以上に忙しくなりこの時間まで残っていた――それが、蒼奈さんの謝意の理由です。少しでもお役に立てたのなら良いのだけど。
それから数十分後――着替えを終え、扉の前で改めて蒼奈さん達にお疲れさまですと伝える。
……さて、ここからどうしようかな――ぼんやりそんなことを頭に浮かべつつ、お洒落な木組みの把手をゆっくりと引き外へ。そして、漫ろに辺りを見渡しつつ歩を進め――
「――お疲れさま、新里」
「…………へ?」
卒然、馴染みのある柔らかな声が届く。その方向へ視線を向けると、果たしてそこには――
【……あの、斎宮さん。その……どうして、こちらに……?】
些か驚愕を覚えつつ、雑貨屋さんの白い壁にそっと凭れていた斎宮さんへと尋ねてみる。と言うのも、彼女も今日勤務していたのだけど、時間は午後4時まで――つまりは、今から2時間以上前には終了しているわけで。
もちろん、いつ何処にいようと彼女の自由だし、今ここにいること自体が何ら不自然なわけでもない。……ただ、彼女のこの様子だとまるで……あっ、そうか。
【……あの、斎宮さん。きっと郁島先輩は受験勉強など大変お忙しかっただけで、斎宮さんと会いたくなかったわけでは決してな――】
「うん、なんでだろうね。慰められてる理由に全く覚えがないんだけど」
【………………へっ? 全く覚えが、ない……?】
「いやそんな驚くとこあった!? むしろ、なんでそんな結論に至ったのか聞きた……いや、まあ何となく察しはついてきたけど」
すると、僕の言葉に最後は少し呆れたように話す斎宮さん。……あれ、違ったのかな? 勇気を振り絞り郁島先輩を誘ってみたものの、真に残念なことに今回は芳しい返答を得られず、どうせなら僕に話を聞いてもらおうと待っていた――てっきり、そういったご事情なのかと。
「まあ、それはともかく……あのさ、今から時間あったりする? それとも、誰かと会う予定とか……いや、流石にないか」
「なんか酷いこと言われました!?」
「あっ、いや違うの! ほら、新里ってただでさえ友達少ないはずだし、ましてやこんな日に他に会う人がいるなんて思わないってだけで――」
「何のフォローにもなっちゃいませんけども!?」
唐突な罵倒に喫驚する僕に、珍しく狼狽える様子で弁明する斎宮さん。……いや、まあ別に良いんだけどね。実際、友達どころか話せる人自体ほとんどいないし。
ただ、それにしても……ほんと、ツッコミの時だけは何故か声出るよね、僕。
【ところで、先ほどのご質問ですが――はい、時間は十二分にありますよ。僕、友達いないので】
「あれ、実はちょっと根に持ってる?」
そんな僕の返答に、少し困惑した様子を見せる斎宮さん。まあ、別に気にしてないんだけどね。ただ、珍しく少し慌てた様子の斎宮さんをもうちょっと見ていたいなと思っただけで……うん、中々に性格悪いね、僕。
ところで、それはそれとして――
【……ですが、斎宮さん。ひょっとして、ずっとここで待っていらしたのですか?】
「ああ、それなら心配しなくて大丈夫だよ。こういう日だし、多分それなりに遅くなるだろうなぁとは思ってたから、さっきまでこの中にいたし」
僕の問いに、軽く視線を移し答える斎宮さん。視線の先には、彼女がつい先ほどまで凭れていた可愛らしい雑貨屋さんが。……うん、それなら良かった。きっとこの中なら、寒くもなければ退屈もしなさそうだし。
……ただ、それはそれとして――
【……あの、斎宮さん。それで、どのような――っ!?】
刹那、問い掛けた言葉が止まる。いや、言葉だけでなく思考も。何故なら――卒然、雪のように白く柔らかな手がさっと僕の手を取ったから。そんな思いも掛けぬ事態にフリーズしていると、彼女は花の咲くような笑顔で告げた。
「――それじゃ、行こっか新里!」




