Óðr
タイトルの意味は「激情」。
「Andvaranautr」(https://ncode.syosetu.com/n5802ip/)の後日談で、
「Brynhildi Buðladóttur」(https://ncode.syosetu.com/n8654gr/)の前日談です。
だから、あの女があの指輪を引き合いに出さなければ、私だって大人しくしていたのよ?
あなたが私に贈って、そして私から奪い去った指輪。
あの日、川辺で私とグズルーンはつまらないことから口論になって、
こともあろうに―ああ、本当にこともあろうに!―グズルーンが私に見せびらかして言ったの。
「シグルズは、私の兄のためにあなたを騙したの。
グンナルは炎を越えられなかった。それを為したのは私の夫、シグルズだったのよ!」
そんなこと言われなくたって知ってたわ。沸々とはらわたが煮えくり返る。
あなたは私から夫だけじゃない。名声まで奪うつもりなの?
あんまりにも無垢な顔をして「私の夫は龍殺しを、そして誰も成しえなかったブズリの娘への求婚を成し遂げた」なんて言うものだから、そりゃあ私だって我慢ならないじゃない?
――もう死んでしまおうと思ったの。
このまま生きていたって何にもならない。
グンナル王との間に子を儲けることもないだろう。
勇敢さの欠片もない王に、私は抱かれない。それだけのことだ。
グズルーンとの口論がシグルズに伝わったみたいで、彼はすぐにバツの悪そうな顔をして私のところへ来たわ。
「私の名誉が地に落ちたとなっては、もう生きてはいられません」
「どうしてそんなに悲しんでいる」
「私が悲しいのは、今すぐにこの場所をあなたの血で染められないことです」
「恐ろしいことを言ってくれるな」
私の目を見て落ち着くようたしなめる彼にも、私の怒りはどんどん積み重なっていく。
「あの指輪に纏わる話を、あの娘、グズルーンは知っていたのよ。
今では誰もがあの晩私はあなたに抱かれたと思っていることでしょう。
辱められてまで、私は生きようとは思わない」
頭に血が上りすぎて、めまいすら感じる。
「……お前には、私の妻になってほしかった」
「黙らっしゃい。あなたはグズルーンの夫で、不貞を働くような下衆でもありますまい」
「ではグズルーンと別れよう。それなら……」
「私は同時に二人の夫に仕えるような、卑しい女ではございません」
それに、と私は続ける。
「私は誓ったのです。ゆらめく炎を乗り越えて来たものを殿方にすると。
そして……それはグンナルだった」
「違う、それは俺だ。俺がグンナルのフリをしてお前に求婚をした」
「そして私から指輪を奪った」
そこまで責め立てると、シグルズはぐっと何かを堪え、
「――全て忘れていたんだ」
力なくつぶやいた。
そんな彼の様子に、私も少し頭が冷えてくる。
「知っています。あなたは何も悪くはありません。きっとグズルーンだって」
「他のどの女よりも、お前をこそ愛してる。ブリュンヒルド」
縋るような眼をしてシグルズがそう言うものだから――
私は――――
「私はあなたを欲しません」
彼を拒絶した。
「私は誰も、欲しません」
全てを拒絶した。
気落ちした彼が、私のもとから去っていく。
その背中を見送りつつ、私は絶望に打ちひしがれていた。
今更よ。
すべて、今更なのよ。
あなたが愛らしいグズルーンを捨てたって、私が哀れなグンナルを捨てたって、私たちに名声と栄誉に溢れた未来など来ない。
「あなたは私のことを真実理解してくれはしないのですね。
私はあなたのことであれば、誰よりもおぞましくなってしまうのよ」
ある晩、
「どうすればお前は私を受け入れてくれる」
なんてグンナルが聞いてくるものだから、私言ってやったわ。
「ならばグンナル。お前が誰よりも勇敢だと言うことを私に示してちょうだい。
シグルズが生きている限り、私がお前に自由にされることは断じてないでしょう。
さあ、選びなさい。私の死か、龍殺しの死か」
それからというもの、青白い顔をして日がな一日兄弟たちと策を巡らせているものだから、私笑ってしまったわ。
彼らに正面からシグルズとやり合う気はないでしょうから、きっと卑劣な手を使うに決まってる。
けど、それでもいいの。彼の死をこそ、私は希う。
それだけが私の生きがい。彼の死ぬ日を今か今かと待ち焦がれている。
あの日、あなたが迎えに来るのを今か今かと恋焦がれていたように。
――そしてその夜はやってくる。
私、ブズリの娘ブリュンヒルドは、命をかけてあなたを愛し通す所存でございます。