バク
お久しぶりです。
あるところに、ミケレという子供がいました。彼女は7歳です。
彼女は毎日ラムネばかり食べている、怖いお父さんと一緒に暮らしているのです。
お母さんは天使です。お父さんから、ミケレが物心つくころにお母さんはもう天に帰ってしまった、とだけ聞かされていました。だからミケレはお母さんの顔も知らないし、会ったこともありません。お母さんの頭の上にあったであろう、絵本の天使の輪だって、みたことがないのでした。
お父さんは彼女にほとんど会いませんでした。
仕事が忙しいらしいのです。
毎日お札の束を持っては、朝早くからどこかに行っています。場合によっては数日間くらいいないこともあります。
お父さんは不機嫌そうな顔で手ぶらで帰ってくることも、満面の笑みで両手にさらに分厚い札束を持って帰ってくることもありました。
でも、ミケレはほとんど不機嫌そうな顔をして帰ってくるお父さんしか見たことがありませんでした。
そんなミケレは、しばらく寝ることができない日々が続いていました。
悪夢ばかり見て、すぐに飛び起きてしまうからです。
しかし、ある日。手ぶらで帰ってきたお父さんから怒鳴られた日のことでした。
彼女が涙で布団を使用済みバスタオルにしていた時。彼女はふっと夢を見ました。
まるで起きているような感触でしたが。
彼女は、大きな動物に抱かれていました。黒白の、鼻の長い動物です。
ずっと口を開けているのが、彼女には不思議でした。
しかし、その暖かさに、彼女はいつの間にか眠ってしまいました。
動物は、いつまでも微笑みながら彼女を抱いていました。
ミケレは小学生です。昼間は当然学校に行っています。
しかし、段々と学校が嫌になってきました。
近くの席の子が、ミケレに意地悪なことばかりするからです。
特にミケレは、ネロという子が嫌いでした。
彼女はどうやらミケレが気に入らないらしいのです。
糸の端がほつれてピロピロなっている白いシャツも、もう消えない赤や青の絵の具がついた上履きも、ネロに切られてついた腕の浅い傷も気に入らないらしいのです。
何より、そんなふうにボロボロなのに、どこか彼女の人間離れした清潔な美しさと、その明晰な頭脳の神秘さと、星が全て朽ちてしまった夜のような狂気的な漆黒の瞳がどうしようもなく腹が立つらしいのです。
ミケレは、お父さんに隠れて学校を休むことにしました。
学校を休んで、一日…二日…と経っていき、気がついたら一週間になる時。
窓が割れる音がして、ミケレは慌てて一階におりました。
そこー台所の近くでしたーには、ネロとその配下らしき男児が2人いました。
そしてその手には金属のバットが握られていました。
直感的に危機を悟った彼女は、慌てて逃げ出そうとしました。
が、すぐに着ていたパーカーのフードを掴まれ、彼女はこけてしまいました。
バットが顔に振り下ろされる直前、彼女はぎゅっと目を瞑りました。
彼女は、自分の目が一瞬で真っ赤に充血したことに気が付きませんでした。
その綺麗な服が半分破け、本能的な見た目になったことも、誰よりも透明な脳が一瞬で白く混濁したことも気がつきませんでした。
彼女はかまえましたが、いつまでも顔に衝撃は来ません。
恐る恐る目を開けると。
そこには夢のあの夢の動物がしっかりとバットを受け止めていました。
動物は彼女に向かって微笑むと、その鋭利な爪でネロの配下の一人を頭の頂点からつま先まで綺麗に6枚におろしました。
「あなた、名前は?」
ここで初めて、ミケレは動物に声をかけました。声をかけれること自体、意外でした。
しかし、動物は答えません。
ミケレは、配下の一人に食らいついているその動物を、「バク」と呼ぶことにしました。
驚愕するネロと目を合わせたまま、彼女は目を閉じました。
警告。以下残虐描写を含みます。幼児が読むにはちと早い。
以下の文章に一切の政治的な意味合いはありません。
「しかし、あり得るのでしょうか…?B一等警官。」
一人の警察官が言った。
「全く現実離れした話だとは思うが、まあ信じざるを得ないだろうな。A二等よ。」
また別の警察官が言った。
「でも、まだ7歳の女児に、同い年とはいえ人間3名を全員ズタズタに引き裂くことなど可能なんでしょうか?」
Aは台所に落ちていた無数の刃物と、肉の破片が入ったビニル袋を持ちながら言った。
「なんでも精神鑑定によると、彼女にはもう一つ、人格があるらしい。
過度なストレスによるものだろうな。
非常に凶暴な野獣のような人格で、彼女はこの人格を「バク」と呼んでいるらしい。俺らが駆けつけた時の人格はその人格との入れ替わりの時期だったようだ。
彼女が窮地に陥ると現れる人格みたいだな。
ちなみに彼女は全身にバットによる打撃を受けている。腕の骨はほぼ余さず骨折、頭蓋、左足、右胸にも打撲痕が残っていたらしい。」
「へえ…そうなんですか。」
「父親は麻薬取締法違反とその他諸々で逮捕。
あの子は目覚めたらお母さんと会えるだろうさ。」
「え?お母さんいたんですか?てっきりもう亡くなったのかと…」
「いや、いる。あの男が死んだと錯覚していたのは、麻薬による幻覚のせいだ。」
ハッと飛び起きた。
「‥夢?」
私は呟く。両手をみる。
ああ、今のはあの子の…。数年前、あの子をもう一度引き取った時の夢だ。
「どうしたの?エンリさん。」
私は、彼女に母親であるとは隠している。
「いや、特にどうも。大丈夫よ。」
彼女のもう一人の人格ー「バク」。彼女を罵倒する物を全て喰らうもの。私はいまだ彼(彼女)に会ったことがない。
いつか、会えたらいいな。
「会えると思ってるのか?」
読んでくださってありがとうございました。
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