すずめの戸締まりを見に行って「震災文学」と言うにはすげぇ足りないと思った話。
新海誠監督最新作を、家族にせがまれたので公開二日目で見てきました。
正直CMだけだとローファンタジーっぽいし、主題歌も和製ファンタジーがっちがちっぽく。
とても好みそうだなと思っていたので、鑑賞しに行くのに否はなく。
むしろとても楽しみにしていました、そう、映画館の入り口入った後の、注意書き看板を見るまでは。
※前提条件
非難したいわけではないです。
ウェブ動画作家の時代から割と視聴済み勢、けどガチファン勢にあらず。
すごい人がいるもんだなと素直に思っていたタイプ。
秒速の映像美と、悲恋有り派。
君の名は。視聴済み、天気の子未視聴。
新海誠はキモいまでが作家性で有り派。
一文で言えるか今ちょっと色々考えてますが、えーと。
結論。
私としては「震災文学」(新海誠本にそうご本人が発言されている)と言うからには、きちんと向き合っているという姿勢として、プロモーションの時点からネタバレだろうと何だろうと、きちんと、これは「東北の地震を描いています」とアピールする必要があったと思っています。
上記に尽きる。
これだけでは「何故か」がないので、以下にその理由と思ったものをつらつらと。
「震災文学である」という案内がなかった(小説では書いてる、とか鑑賞特典に書いてありましたがガチファンじゃないから知らんし。そも特典自体、鑑賞前に読める時間が中々無い)ため、「震災文学」前提で鑑賞しようとしていないので軽く捉えられがちで(オールフィクションだと思われても仕方がない)、「和製ローファンタジー」としてはファンタジーとして面白く鑑賞しようとしたらおもっくそ現実で横っ面をぶん殴られるという事象が起きている。
個人的には帰りにそういった感想に行きつきました。
実際若い(多分)方は「まじやばいかんど〜!」ときゃっきゃする人がいたし。
鑑賞特典本の内容くらいじゃ、当時の状況を検索してみよう勢が、どれほど出てきてくれるか……。
災害が、まだ生々しい方にはとてもじゃないけどお勧めできない。
重くも軽くも――見に行くに、少し人を選ぶ映画になってしまっているなという雑感。
東日本大震災をタブー視したいわけじゃない。阪神やそれ以外の災害は遠い日だから良いでしょと言いたいわけじゃない。経過時間の長短関わらずファンタジーに落とし込めるのも有り。
けど、
鑑賞側にまだ「どくどくと血を流し続け、その傷を見ないようにしながら何とか日々を生きている人」がいるかもしれない。
という想定が無いかのような情報開示は、「あの日あの時あの場所で当事者だった人」や「当事者でなくとも、あの場所での突然の消失に関係のあった人」や「当事者でなくとも自分だったらと想像力が豊か過ぎて心がちぎれかける人」にきちんと注意喚起が届くかといったら、すっごくぼかした感が過ぎるから『否』だと個人的に思いました。
ちなみに場所自体がネタバレと思ったのか、公式にもぼかすどころか表記がない。
引用始め――――――――
新海誠監督 集大成にして最高傑作
国境や世代の垣根を超え、世界中を魅了し続けるアニメーション監督・新海誠。
全世界が待ち望む最新作『すずめの戸締まり』は、
日本各地の廃墟を舞台に、
災いの元となる”扉”を閉めていく少女・すずめの解放と成長を描く現代の冒険物語だ。
引用終わり―――――――― 映画「すずめの戸締まり」公式サイトより
引用始め――――――――
すずめが歩む道の先で待つのは、見たこともない風景。人々との出会いと別れ。驚きと困難の数々。
それでも前に進む彼女たちの冒険は、
不安や不自由さと隣り合わせの日常を生きる我々の旅路にも、一筋の光をもたらす。
過去と現在と未来をつなぐ、“戸締まり”の物語。
2022年11月11日。その景色は、永遠に胸に刻まれる。
引用終わり――――――――映画「すずめの戸締まり」公式サイトより
引用始め――――――――
九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽は、「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。
彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。
なにかに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが…。
扉の向こう側からは災いが訪れてしまうため、
草太は扉を閉めて鍵をかける“閉じ師”として旅を続けているという。
引用終わり―――――――― 映画「すずめの戸締まり」公式サイトより
引用始め――――――――
やがて、日本各地で次々に開き始める扉。
不思議な扉と小さな猫に導かれ、九州、四国、関西、そして東京と、日本列島を巻き込んでいくすずめの”戸締まりの旅”。
旅先での出会いに助けられながら辿りついたその場所ですずめを待っていたのは、忘れられてしまったある真実だった。
引用終わり―――――――― 映画「すずめの戸締まり」公式サイトより
この情報で、東北も絶対出てくる、実在の災害を描いているって読める人、ある種すごい、と私なんかは思います。
ガチファンが行く想定の単館系映画ならまだアリかなと思うけど、大衆映画かのように大々的にCMうっちゃっているので、うん。
どこぞのレビューでは、彼氏がこれまでと同じくファンタジーと思いデートに連れて行き、当事者の彼女を現実に即した悲しい気持ちで泣かせてしまう、という人災的なものが起きていました。
誘ったことを後悔してらっしゃった。
私の場合は、CM見ただけで行っちまったライト層気取ったのも、敗因のうちとも思っていますよ。
情報収集大事。
けど、たまにはCM見ただけで行きたくなったって良いじゃない、人間だもの(パクリがすぎる)
インド映画見に行きたかった、もう終わってた(関係がない)
ちなみに、割と近代である阪神と東日本の違いは何だろう、と考えて「個人が記録した映像を簡単に全世界に広げられるツールのあるなしによる、現実感の有無」かなと私としては考えた次第です。
阪神では、私が無知なだけかもしれませんが、報道が映すものからしかその様子がわからなく、詳細は体験した人しか語れない、そんな時代だったのではないでしょうか。
だから、東日本の当事者や個人が記録した映像でもって現実感をすごく感じた人は軽く扱われたかのようなプロモーションに不快感が出るし、その現実感を知らない層には、何故これでそんなに不快感あらわにしてんの?事故とかは?阪神は?関東は?となる。
震災への捉えようを考えさせることには成功している、とある種言えるのかもしれません。
けど監督は「観客の生が少しでも昂揚」してたらいいな、という気持ちで作っている。
この乖離、監督にとって「被災する」という事への現実感が少しなかったのかなぁと、感じてしまいます。
何故感じたかといったら、新海誠本に現地への言及が薄くひたすら自分とその周囲の話までだったから。
覚悟があればネタバレ本なので、被災地や被災者への想いがついて出ると思うのに、地震に関してだけの記載でそこにいた人への具体的な想いは無し。
企画前書きに至っては、実際の場所と実際の出来事を扱っているのに「エンタメ的死」を描いたとおっしゃっている。
エンタメ的な死なら、実際の出来事を想起させ過ぎてしまう場所を使うのはぶっちゃけてしまえば「禁じ手」なんじゃ……とも思ったり。
普通に廃村とか、軍艦島とかでもできたじゃん?
監督の思いが「観客に『今一度、思い出せ、死が他人事、架空や空想かのように思っていないか、あの日は事実なのだ』と問いかけたかった」でしっかり取材しましたとか言ってたらファンが増えたかも、と個人的には思うところです。
所詮は妖怪の戯言ですけれど。
ポテンシャルがあるだけに、すごく惜しいとも個人的には思いました。
きっと、もうちょっと寄り添って、少し売り上げが落ちたとしてもCMに、東北のとか、被災した少女がとか、文言があればそれ込みで見に行った層が大半になったのじゃないかなぁ。
「震災文学」と言うなら、下の世代に知らせたいなら、鑑賞特典冊子内でもっと言及がないとそれこそ若い子には映画内情景は「ただのファンタジー」として消費する層が出てくる危惧も。
だってどこにも『実在を扱いました、あの風景と似た状態は実際にあったのです』ってなっていない。
ちなみに、私が「ファンタジーでしょ?」と軽く考えたの何でだろと思ったら、
引用始め――――――――
本作には、地震描写および、緊急地震速報を受信した際の警報音が流れるシーンがございます。警報音は実際のものとは異なりますが、
引用終わり―――――――― 映画「すずめの戸締まり」公式サイトより
緊急地震速報は実際と違うよとあったので、無意識に地震描写もファンタジーだし架空だろう、と想定してしまったみたいです。
注意してねというよりそこまでがっつりじゃないよと読んでしまっていた。
行間読みすぎるのも困ったもの、とも言えますかね。
私に対しても、私がやれやれです。
あ、もしもどこかに監督の被災地への想いが書いてあるなら、情報求む! です。
余談ですが、同時期に『天間荘の三姉妹』なる震災関係の映画も公開されている模様。
こちらにはしっかり「想起させる」と明記がありました。
個人的にはこの配慮もらって、覚悟して見に行きたかった映画でした。まる。