母親探し
翌日光希は、一通りの課題を済ますと愛子に声を掛けて家を出た。
門を出てそのまま家城神社の方へ足を踏み出しかけたが、くるりと背を向けて自転車を出してきた。颯爽と向かった先はスーパーだった。家から距離があるため、愛子から買い出しを頼まれるときは決まって自転車に乗った。
ゆったりとしたシャツにジーパン。色気がないと言われたからといって着飾ろうとは思えなかった。
まだ十時をまわったところだが、晴天の日差しは強く、自転車を漕ぐたびにじわりと汗をかく。風は微かに吹くのだが、空気が生ぬるいため涼しくもなかった。
光希はスーパーに着くと、ぐるりと店内を回りお菓子売り場を眺めた。
いつか真人が買ったサラミの駄菓子を見つける。手を伸ばしかけてから、もう少しだけ歩いてみると、酒のつまみの中に似たようなものを発見した。
“腹の足しにならん”といういつかのシナトの台詞が蘇った。
光希は駄菓子の十倍はある大きなサラミを、五個手に取った。
自転車のハンドルにスーパーの袋をぶら下げ、そのまま家城神社へ向かう。
(今日は真人はいるだろうか)
彼のことだから、用事がない限り訪れている気がした。悠人が夏の大会を終えるまでは、家族として出かけることもないはずだ。
そして、風の神はいるだろうか。
光希は駐車場の端に自転車を停め、横から神社へ入って行った。
光希が来る時間帯はいつも人気がない。この夏の一番暑い時間帯に、わざわざお参りする人はいないのだろう。
境内は木漏れ日できらきらとしていたが、何の気配もなかった。
「いない」
光希はつい言葉を発してしまった。来いと言ったのはそちらだろう。
それでも彼は、言葉に信を置いているはずだった。
仕方なく石碑の前の石段に腰掛け、少し待ってみることにする。
蝉が叫ぶように鳴いており、夏の盛りを歌っている。境内はアスファルトの道路と比べれば気温がわずかに低い気がして、さらさらと吹く風が心地良い。ここでなら、光希は飽きることなく待っていられるだろう。
そう考えていた矢先、参道の方から元気な声が聞こえてきた。
何を喋っているかまでは聞き取れないものの、声は馴染みのあるものだった。
「あ、光希!」
真人が駆けてきて光希に向かって手を上げた。
足音がもう一つ聞こえると思ったら、シナトもすぐに姿を現した。
「一緒にいたの?」
光希は真人に小声で確認した。
「うん、今日もいろんなとこ連れてってくれたよ」
彼は光希の様子には付き合わず、明るい調子で言う。
「そろそろ光希が来るからって、シナトが言うから戻ってきたんだ」
どうして分かったんだろうと、疑わしそうな目で風の神を見上げた。
「もしかして部屋まで見に来たんですか」
「そんな回りくどいことするか」
シナトはぴしゃりと言った。彼はいたっていつもと同じ態度だ。
光希はすみませんと小さくこぼす。
気を取り直したシナトは、真人の前にしゃがみ視線を合わせた。
「しばらくこいつの母を探さなきゃならない。真人と遊ぶのはそれが片付いてからな」
真人は初耳だったらしく、あからさまにがっかりした。
「一緒に連れてってくれないの?」
「おそらくこいつの母親は、この白山にも周辺にもいないだろう。あちこち飛び回らなきゃならん。俺一人で飛ばなきゃ時間がかかっちまうからな」
真人は自分だけ仲間はずれにされるわけじゃないと納得したようだった。
「それなら仕方ないな」
どこかシナトの口調に似ていた。光希は自然と頬が緩む。
「真人はここ最近遊んでばかりだったろう。次に俺に会うまでに、ちゃんと宿題を片付けておけ。子供の務めを果たせ」
神様が子供の勉強の心配をするなんて、あまりに滑稽だった。真人はそうは思わないようで、彼の言葉に鼓舞されていた。
「わかった、三日で終わらせるよ」
「こいつの件が片付いたら、迎えに行かせる」
「了解」
真人はたくましく微笑んでから、きびすを返して神社を後にした。
彼がどれだけシナトを気に入っているか、表情から好意が溢れていた。そこまでの何がこの神様にあるのだろうと、光希は不思議そうに金色の衣の男を眺める。
シナトはしばらく真人の後ろ姿を見つめていたが、ふいに振り返り心外そうに光希を見る。
「神様を見る目じゃねえな」
光希は慌てて姿勢を正した。シナトにっそっぽを向かれれば、母を探す手がかりはなくなってしまう。
「そういえば」
光希は腕にかけていたビニール袋を差し出した。
「大したものじゃないけど、よければどうぞ」
シナトにもすでにそれが何なのか分かっているようだった。
にやりとして光希に並んで腰を下ろす。
「そうそう、この匂いだ」
シナトはビニール袋に手を入れると、サラミを取り出して食べ始めた。
パックを開けなければ匂いなんてするわけがないのだが、前例もある。彼はこの匂いを感じて、光希の訪れに気付いたのかもしれなかった。
「真人にはあえて言わなかったが、俺がお前たちの目に見えるのは、せいぜい三十日が限度だろう。一度縁が結ばれても、きっと二度目はない。それまでに精一杯探すつもりではあるが、間に合わないときは、契約不成立。お前はこの出来事をなかったことにして、もとの人生に戻るだけだ」
「・・・なかったことになりますか?」
「記憶を消して欲しければそうするが」
シナトはサラミを食べ終えたようで、ごみを光希のビニール袋へ戻した。
柔らかな金の衣が光希の腕に当たる。
光希の隣にいる人物は、服装や髪型を除いては同じ人間となんら変わらない。ちゃんと存在しており、こうやって受け渡したり触れたりできる。発言や思考が独特なだけだ。
光希はひと呼吸置いてから言った。
「いえ、もし上手くいかなかったとしても、なかったことにはしたくありません」
光希の返事にシナトは満足したようだった。
すっくと立ち上がり、光希を見下ろす。
「俺はここを離れて探しまわらなきゃならないが、とりあえず手がかりがいる。母親の写真がほしい。家にあるか?」
「写真・・・」
母がいなくなったあと、自宅から光希の荷物は送られてきたが、母を思い出させる物は何一つ入っていなかった。啓介があえてそうしたのは理解していたため、光希も希望を述べることが躊躇われたのだった。そして時が経ち、それすらも忘れかけていた。
「お母さんの写真があるとするなら、名古屋の家かもしれない」
「名古屋か」
「部屋に戻れば、多分住所も合鍵もあると思います」
立ち上がった光希を、シナトは間髪いれず制した。
「俺は住所とやらはよく分からん。鍵も必要ない」
「じゃあどうするんですか…」
光希は呆気にとられながら言った。
「なんとなく近づけば家くらい分かるだろう」
シナトは呑気な口ぶりだった。相手は神様であり、光希も不可能だと否定はできない。
「とりあえず飛ぶぞ。あんまり遅くなると心配されるだろう」
「飛ぶ?私も?電車で行くんじゃなくて?」
「日が暮れちまう。俺が背負ってやる。ビニール袋は置いていけ」