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風のうたごえ  作者: 中安子
3/15

真人とりく

 

 テストはあっという間に終わり、気がつけば明日から夏休みだった。

 光希の成績に変化はなく、見慣れた数字が並んでいた。

 部活動をしている生徒は、夏の大会のためにすぐに練習に向かう。また、帰宅部の生徒は、夏休みの遊びの計画のためクラスで盛り上がっていた。光希は横目でそれらを見ながら帰路についた。

 梅雨も明け、昼間は余計に太陽とアスファルトからの熱で息がしづらい。じわりと肌も汗ばみ、極力体温を上げないよう静かに歩く。生ぬるい風がふわりと吹き抜け、光希の髪や田んぼの稲をそよがす。草木が盛んに生命のたくましさを唄っていた。

 光希は夏は嫌いだった。母がいなくなったあの日をどうしても思い出してしまう。これほど全てが前向きな季節に、どうしても馴染めなかった。運動は嫌いではないが、好んで体を動かそうとも思えない。大人しく家で扇風機にあたって凉みたかった。

 あと数歩で家に着きそうなとき、後ろからどたどたと駆けてくる足音で思わず立ち止まった。

 振り返れば、小学生の男の子だった。そして、その子は光希がよく知っている少年だと分かった。向かいの家に住む、大森悠人の二番目の弟、真人だった。たしかこの春で小学三年生になったはずだ。

 日に焼けた手足に短髪、目はくりっとして可愛らしい少年だ。英語の書かれた白いTシャツにベージュの短パン姿だった。

 彼は光希の元までたどり着くと、しばらくは膝に手をついて息を整えていた。

「どうしたの?もう夏休み?」

 真人は首を大きく縦に振った。そして、喋れるようになると慌てて顔を上げた。

「りくがいなくなったんだ!どうしよう、探しても全然見つからなくて」

 光希は思わず眉をひそめた。

「どういうこと?」

 りくというのは大森家が飼っている柴犬の名前のはずだった。よく朝や夕方、母親や真人らが散歩させているのを見かける。飼い始めてもうだいぶ経つはずだ。

「散歩させてたんだけど、俺が少し目を離した隙に、消えちゃったんだ」

 真人がかなりしょげているのが見て取れ、光希は安心させようと声色に気をつけた。

「わかった、一緒に探そう。お母さんたちには言ってある?」

「俺ついさっきも、散歩ほったらかしでゲームしてて怒られた。俺がわざとりく逃がしたと思われる」

「まあ、そうね」

 大森家の母紀子は光希もよく知る人物だった。よく声を掛けてくれる。歯に衣着せぬ物言いをする、明るい女性だった。理不尽な怒り方はしないはずだが、多少は注意を受けるかもしれなかった。光希は気を取り直して一度頷いた。

「とりあえず、鞄だけ置いてきていい?りくがいなくなった所まで一度戻ろう。帰ってきてるかもしれない」

「うん」

 光希は玄関に鞄を置き、愛子に一声掛けると、外で待つ真人のもとへ戻った。

「りくはどこでいなくなったの?」

「家城神社の辺りだよ」

「家城神社?そんなところいつも散歩してた?」

 光希は内心どきりとしたが、これは全く関係のない話であり落ち着けと自分に言い聞かせた。

 二人は並んで歩きながら付近に目を凝らした。

「友達が家城神社でカブトムシ見つけたって聞いて。行きたかったんだ」

「カブトムシを探してて、リードを離しちゃってたわけね」

「うん」

「紀子さんも、散歩が終わってから行くべきでしょって言うだろうね」

「反省してます」

 光希はうっすら笑った。

「私に謝らなくていいよ。とくに帰ってもすることなかったし」

 真人もようやく少し表情を緩くした。光希は彼の頭にぽんと手を置く。

「犬って賢いから、主人を放って逃げていったりしないよ。付き合いも長いんだし」

 ガソリンスタンドと踏切が見えてきた。この道を右に曲がれば鳥居がある。森と田んぼがほとんどの、住み慣れた人間には何の面白味もない景色だ。遠くにとんびは飛んでいるが、それ以外に生物の気配はなさそうだった。

「最後にりくといた場所、教えてくれる?」

 真人は「あっち」と神社の脇道を指差し、二人はそこへ向かった。

 木々に囲まれた境内は、セミが近くでうるさく鳴いていた。光希は地面に足跡がないか目を凝らしたが、玉砂利の元々の起伏と見分けがつかない。

 光希は耳も澄ませてみたが、風と虫の音しか聞こえなかった。真人が不安そうだったため、光希はここで待たず歩くことを提案した。

「りくー!」

 真人は根気よく歩きながら名前を呼んだ。

 畑で作業をするおじさんや通りすがるおばあさんにも聞きながら歩いたが、返事は虚しいものだった。

 腕時計を見ればちょうど一時を過ぎていた。汗を流している真人を気にして、光希は休憩を提案した。

「ちょっと歩くけど、コンビニ行こうか。お昼もまだでしょう?」

「うん。でも、お金持ってない」

「もちろんご馳走する」

「いいの?」

 光希は得意げに微笑んだ。

「真人の何個年上だと思ってるのよ」

 コンビニには何人かの白山高校の学生もいたが、光希の知っている顔はなかった。半ばほっとしながらも、落ち着かずにそそくさと紅茶とサンドイッチを手にした。真人はこんぶのおにぎりと炭酸ジュースを嬉しそうに持っている。

「足りる?」

「大丈夫。帰ったらきっとお昼ごはん残ってると思うし」

「そっか」

 二人は家城神社まで戻ると、駐車スペースの縁石に座って食べ始めた。

 空は雲一つない晴天で日差しもきつかったが、この神社近くでは、時折ざっと吹き抜ける風が吹いて心地良かった。腕にかけたレジ袋がばさばさと音を立てる。

 真人はあっという間におにぎりを食べ終えたようで、遠い目で空を仰いでいた。

「さらわれたのかな、りく」

 寂しそうに言う真人の横顔に、いつかの自分が思わず重なって見えた光希だった。

「人さらいなら聞くけど、犬をさらうなんて聞いたことないよ」

「人じゃなくてもさ、神様がさらっていくこともあるでしょ。ここは神社だし」

「・・・神様」

 光希の耳にも聞き慣れた言葉だった。だが、真人も似たような思考を持っていたとは驚きだった。

「どうして神様が犬をさらうと思うの?」

「前に図書館の本で読んだことあるよ。神様への貢物の話。お米がたくさん取れるように、祈ったりするんでしょう。その代価がいるんだよ」

「物知りなんだね、真人は」

 光希があまり深く知ろうとしてこなかった内容だった。納得したくなくてずっと逃げてきたのだ。

「でも、決め付けるのはまだ早いよ。神様がさらうなんて、ほんのわずかの可能性だもん。普通に考えれば、この近くのどこかにいるよ」

「うん、俺もそう思う」

 真人はようやく前を向き、すっくと立ち上がった。光希も食べ終えたごみを袋に入れ、立ってスカートの汚れを払った。

「もう少し探してみよっか」

 それから光希たちは、空が夕焼けに染まるまで周辺を歩いた。結局なんの手がかりも掴めず、二人はとぼとぼと大森家を訪ねることになった。

 出てきた紀子は、息子が無事に帰ってきたことにほっとしながらも、肩を落とした二人を見て眉をひそめた。

「どうしたの、光希ちゃんまで」

 二人はすでにくたくただったが、光希は精一杯表情を繕って事情を説明した。

「実は、学校帰りに真人くんと道で会って。りくがいなくなったみたいで、ずっと一緒に探してたんです。でも、見つからなくて」

 紀子もすでにりくがいないことに気付いていたようだった。膝を曲げて真人に向かって訊ねた。

「りくになにしたの?散歩しに行ってたんでしょう」

「何もしてないよ、ちょっと目を離したら、いなくなってたんだ」

 真人はむきになって声を大きくしたが、紀子はまだ言い足りないようで、一度口をつぐんだ。

「光希ちゃん、迷惑かけたわね。一緒に探してくれてありがとう。今はりくが自分から帰ってくることを願うしかないわね。帰ってきたら、すぐに報告しに行くわね」

 光希は少しだけ頭を下げた。

 真人にだけ分かる目配せをし、光希はその場を後にした。


 もうしばらく真人は怒られるんだろうと、苦い思いで帰宅した。すっきりしない気分だったが、シャワーを浴びればいくぶんさっぱりして、愛子と共に夕食をとった。

 愛子は基本的に光希に干渉をしない。光希が長時間学校以外の理由で外出するのは珍しいことなのだが、年頃の子には聞かれたくない話もあると思っているのだろう。

 光希は焼き魚をほぐすのに気を取られながらも、ちらと祖母の顔を窺う。

「この辺の家ってさ、犬飼ってる人多いよね。よくいなくなったりするの?」

「どうだろうね、あんまり聞かんよ」

 ここは静かな田舎であり、光希も住んでから今まで、大きな騒動を聞いたことがない。

「大森さん家のりくが、散歩させてる途中、いなくなっちゃったんだって。真人が散歩させてたんだけど。どこに行ったと思う?」

「そんなことがあったのかい。まだ見つかってないのかい?」

「うん。しかも、家城神社でいなくなったんだって」

 愛子が口を開けて呆然とするのを、光希はすかさず見た。

 二人の間で“家城神社”という言葉は禁忌だった。光希はもちろん口に出さないし、愛子が自ら光希の思い出を蒸し返そうとはしない。光希が毎月神社を訪れていることも、多分知らないはずだった。

 愛子は持っていた箸を置いて、ひと呼吸ついた。

「そうだね、たしかに、この世がどれだけ進歩しようとも、私たち人間には計り知れない“何か”がきっとある。神社はとくに神域、神様の場所じゃ。不思議なことが起こりやすい場所ではあるだろうね」

 愛子の口ぶりからは、彼女が決してでまかせで言っているのではないことがうかがえた。昔からの云われ、受け継いできた感覚なのかもしれなかった。

「何もかもが発展する前には、神様はもっと人々の近くにいた。照りつける太陽や、流れる川の水、雨、風、草木、火あらゆるもの全てが神様じゃ。彼らの怒りを買わぬよう、人々は拝み慈しみに感謝してきたんだよ」

「・・・今でも神様に会える?」

「今も昔も、神様は目に見えるものではなく、感じるものじゃ。私たちがどれだけ祈ろうと、交わす言葉はない。だけども、時折、言葉とも取れる自然の意志や恵みが返ってくるんだよ。目には見えなくても、神様はおる。いいことをしておれば、必ず報われるんじゃよ」

 光希は愛子の言葉を理解しようと努めた。

「じゃあ、りくは戻ってくるってこと?」

「りくをさらっていったのが、もし神様じゃったらな」

 愛子はそれだけ言うと、再び箸を持ち食べ始めた。



(私はいい子じゃないから、神様は私の願いを叶えてくれないんだろうか)

 光希は自分の部屋に戻って、ベッドの上で手足を広げた。

 一日歩き回った足の疲れがきていた。少しだけ問題集を開いたが、気もそがれ早めに寝ることにしたのだった。

 神様なんて馬鹿らしいと思いながらも、全く否定できないのがもどかしいところだった。自分なりに努力して生きてきたつもりではあったが、他人から見れば足りないのかもしれなかった。人や土地に馴染めず、無気力で、何に対しても興味が持てない。“死んでもいい”と考えたことも一回、二回ではなかった。自分がいい子であると、堂々と胸を張って言えない。

(いっそのこと、私をさらってくれたらいいのに)

 何もかも捨てられるなら、どんなに楽だろう。愛子くらいは悲しんでくれるだろうか。

 光希はぼんやりと考えながら、眠りの世界に落ちていった。



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