第七話:少年と少女
美少女と一つ屋根の下同棲。
字面だけなら、世の男達にとっては実に魅惑的に響くであろう。
とある少年天神煌夜も、露骨に『サイコー!』とまでは思わないでも、それは多くの男の子の果てしない夢(妄想)なのであろうという事は理解している。
また同時に、それは実際にはそんな男の理想郷とは程遠い、まさしく儚い幻想なのだという事も理解している。
どうしてそう言い切れるのか?
何故なら―――――
「おいコウヤ、飯はまだか?」
なんと言っても、自分が現在それを絶賛体験中だからだ。
ぶっきらぼうな声で尋ねてくるのは一人の少女だ。腰より長く伸びる艶やかな黒髪に神の造形物と言うべき整った顔立ち。だというのに、身に着けているのは袖の長いぶかぶかのワイシャツ。
三日前から天神家にお世話になっているルミアだ。
彼女は居間にいるにも関わらず点けてあるテレビをろくに見ずに現在台所にて朝食を準備中の煌夜の方を見ている。ぐでーっ と仰向けにぶっ倒れているその姿は『お腹空いたー』とアピールする際のものだ。
「はいはい、もうちょいでできるからあと少しの我慢ね」
まるで子どもをあしらう母親のような気分になりながら煌夜が答える。
「少しとはどれだけだ?」
「んー。 あと五分くらい?」
「長い。三十秒だ」
「無理難題にもほどがあるのでは?」
そうは言いつつも自然と準備の手は早まる。食事の時はいつも一人だったが、待っている人がいるというだけでも意識は変わるものだ。
今日は日曜日、休日だ。
一昨日の金曜日はあまりの豪雨のために赤城高校が急遽休校となってしまった。
だというのに、ちらりと窓から外を見れば雲一つない晴天。ピッカーンと太陽が元気いっぱいに輝いている。一体どういう事だ。
しかも普通の人なら思う存分満喫するであろう休校日に煌夜は熱を出しまったのだ。それを考えると涙が出そうだった。熱は一日で治ったが。
「よーしできた。はいお待ちかねの朝ご飯ですよー」
煌夜は朝食のご飯、味噌汁、目玉焼き、トマトやキャベツなどを合わせたサラダ、そして(ルミアのみ)ハンバーグを居間に運んだ。
がばっとルミアが起き上がりテーブルに移動。その元気を少しはお手伝いに分け与えればいいのに、と煌夜は思う。
二日だけだが、一緒に暮らしてみてこの少女についてわかった事が一つある。それは、非常に食い意地が張っている、という事だ。
熱だと言っているのに、自室のベッドで眠っている煌夜を『腹が減った。腹が減ったのだが。腹が減ったのだー』と何度も何度も何度も叩き起こしに来てくれた事からもよくわかる。
しかも大食い。黙っている時の幻想的な美しさを放つ雰囲気はどこへやら。とんだ困ったちゃんである。
しかし…と煌夜は改めて運ばれてきた飯にがっつくルミアを見る。
彼女が着ているのはワイシャツ一枚。上から覗くまでもなく、ブとかラとかジャーとかそういった物を身に着けていない事がわかる。
だが下の方は大丈夫………なはずだ。なんと言ってもあの豪雨の中死に物狂いで買ってきたのだ。着ていてくれないとあの苦労は何だったのかという話になってしまう。
何色か? そんな不埒な質問をしてくるようなゲス野郎は問答無用で殴り飛ばしてやるつもり満々な煌夜である。
と言うより、覚えていないと言ったほうが正しい。風邪のせいで頭がぼーっとしていたせいだろう。何となく、頭の隅で若干引き気味な笑みを浮かべた下着売り場の女性店員の顔がちらつくが覚えていないったら覚えていないのだ。
「コウヤ!」とご飯によってすっかり機嫌がよくなったルミアが、
「これは何という食い物だ!?」
箸(持っていると言うより握っている)をオカズの一品にズビシッ! と突き刺した。
「ハンバーグだよ。 わりと上手にできたと思うんだけど、どう?」
「うむっ! 旨いぞ!」
そう言ってまたハンバーグにがっつく。ちなみにサラダには手もつけないので仕方なく煌夜は自分で草食動物よろしくムシャムシャ食べる。
(しっかし、ここまで喜んでくれるなら、うん。作った甲斐もあるよな)
本当に美味しそうに自分の作ったものを食べる少女の笑顔は外見年齢相応でかわいらしいものだ。
煌夜はつられるように微笑んで自身も朝食を食べる。
そんな時間がしばらく続いた後、ふと、ルミアが箸の動きを止めた。
見ると、ほとんど皿の上は空になっていた。
「どうした?足りなかったか? ならおかわり持ってくるけど」
ルミアはそれに首を振る。それから少し間を置いてから、
「…………何も訊かないのか?」
ポツリと、そんな事を呟いた。
「?……ああ……」
少女の言いたい事を察した。
思えば、ぶっ倒れていた金曜日はともかく、風邪も治った昨日は浮上しっぱなしの謎について尋ねるための時間もたくさんあった。
が、正直な話、
「すっかり忘れてた」
「……おい」
半目で見てくるルミアの視線をスルーする。
彼女はため息をついて、
「……お前は変な奴だな」
いきなりこれである。
「そもそも、お前にとっては私は得体の知れない恐ろしい化物のはずだろう? そうでなくとも、私はお前の命を狙った相手だ。なのに、お前からは警戒心が全く感じられない」
「今の今まで呑気に飯食ってた奴の台詞じゃ………いや、何でもないです」
睨まれたので余計な事は言わないでおいた。
「そうだな……」
ふと、今までを思い返してみる。
確かに、最初はこの少女を“怖い”と思った。
それは、単純な『恐怖』と言うより『畏怖』と言うべき感情。
殺されかけたというのもある。確かに、普通に考えれば呑気にご飯食べている状況じゃないのかもしれない。
だが数日。たかが数日だが、確かに煌夜は彼女と同じ時間を過ごしたのだ。
そして、共に過ごす事でそんな感情はいつの間にかどこかへ消え去っていた。
ただ単に『畏怖』の対象として見ていた彼女の、それだけでは決して知りえなかった顔を見た。
食い意地が張っていて結構なわがままで足癖が悪い、しかしどこか愛らしいと思える少女。
そうすると、不思議と目の前の少女が“ただの”女の子に見えて仕方がなかった。
「“得体の知れない”とか“化物”なんて事は絶対にないよ。まだ全然知らないかもしれないけど、俺から見れば、ルミアはルミアだからさ」
彼なりの考えを聞いたルミアは、
「…………何と言うか」
変な顔をした。
「変な奴だと思っていたが……訂正だな。お前はバカだ」
あんまりな評価をいただいた。
「だが」
煌夜が反論する前にルミアが言葉を続けた。
「悪くないな。そんなバカは」
そう言って彼女は微笑んだ。今まで見た事のなかった、柔らかで、あたたかい笑みだった。
煌夜の心臓が一瞬跳ねた。何故かは、彼にもわからない。わからないのに、不思議と悪い気はしなかった。
だが、そんな少年の一瞬の気持ちを一瞬で消し去る一言を少女は放った。
「決めたぞ。 お前は今から私の下僕にしてやる!」
「…………………………………………は?」
煌夜の目が点になった。
先程の笑みを引っ込めたルミアは、変わりにおもちゃを見つけたいたずらっ子みたいな笑みをその顔に張り付けていた。
「私のために生き私のために働き私のために死ぬ! まさしく私のためにある存在! 実にすばらしいな!!」
「え。いや、あの」
「ふっふっふ。覚悟しろ? めいっぱいこき使ってやるからな。ありがたく思え!」
「いや、だから俺の意志とか」
「そうと決まればコウヤおかわりだ!」
「話を聞けよ! いやおかわりはいいけど!」
……なんか、厄介な奴拾ったかな、と煌夜はため息を吐いた。
(まあでも)
あんな風に楽しそうに笑っているルミアを見ると、別にいいかな、とも思ってしまうのだった。
「さて、それじゃあ話を聞かせてもらうぞ」
「うむ。どんとこい」
テーブルで向かい合う二人は、ようやく本題に入る。
「まずはどこから話したものかな………。コウヤ、お前は、『世界』と呼ばれるものが一つだけだと思うか?」
「え?」
質問の意味がわからなかった。
「私達が今いる、お前にとっての『世界』は“ここ”だけだと思うか?」
「それは……」
普通なら、ただの電波話だと切り捨ててしまえそうなその質問は、しかしはっきりとは答えられない。
『あの空間』を、見てしまったのだから。
「答えは“違う”だ」ルミアは腕を組んで、
「『世界』と呼ばれるものは無数に存在する。それも一つや二つではなく、まさしく星の数だけ存在するのだ。 しかもそれらは無限に増える。私達がこうして話している間にも、新たな『世界』が生まれ、広がっている事だろうな」
あまりにも淡々と、一つの事実だけを述べる。
「えっと、つまりは異世界って事か?」
「そうだな。 そしてお前が迷い込んだあの空間は“狭間世界”と呼ばれるものだ」
「あすとらる?」
彼女は頷いた。
「“全ての世界の狭間に存在する世界”…………とでも言えばいいのか。あの世界は全ての世界に繋がる空間であり、またどれにも属さない独立した世界でもある」
………やはり、わからない。
だが、一つ思う事がある。
「あそこにいた時、変……っていうか、『違う』景色が見えたんだけど、それってもしかして……」
「恐らくは違う世界の光景だろうな」
やはりか、と煌夜は納得した。
『あれ』は、ここではない、異世界の景色だという事か。
だとすれば、あの気味の悪いクマの縫いぐるみも、異世界の産物なのだろうか?
「けど、そんな変な場所に、なんだってお前は一人でいたんだよ?」
「知らん」
「……………もしもし?」
一言で切り捨てられた。
「知らんものは知らんのだ。気が付いたらあそこにいたというだけで」
「……えっと、それってどういう……」
「私には、昔の記憶がないんだ」
「…………え?」
あまりにもあっけなく言うので、煌夜は一瞬何を言われたのか分からなかった。
「気が付いたらあそこにいて、あの『枷』をつけられていた。お前が来るまで、私はずっと一人だったんだ」
「え、だって、それじゃあ、今の話は、それにあの時言ってた『ヤツら』ってのは?」
「ああ、『ヤツら』についてもよくは知らん。ただ、そいつらはどうやら私に用があったらしい。 狭間世界にいる私に何度も接触しようとしたようだ。まあ、今はこうして出られたのだ。さぞかし悔しがっている事だろうな」
煌夜は、何を言えばいいのか分からない。
だが、彼女の言葉を真実とするなら、
記憶喪失。
そんな単語が頭に浮かんだ。
「お前……」
そしてその事実は、ある意味異世界の存在よりも重く煌夜にのしかかる。
「一体、どれだけの間あそこにいたんだ?」
「さあな。あそこは時間もわからんし、とにかく長い間というのはわかるが」
煌夜は愕然とした。
あの、全てから見放されたような場所で、目の前の少女はどれだけの時間孤独に耐えてきたのか。
自分自身の事も満足に分からないまま、煌夜が来るまでずっと一人で。
それは、どれだけの苦痛だろうか。
それは、きっと煌夜には分からない事だ。
ルミアはただ告げる。
「覚えていたのは、『ルミア』という自分の名前と、狭間世界など異世界への事だけだ」
彼女は自嘲した。
「………まぁ、そういう事だ。自分の事も、分からないのに、そんな知識だけが頭の中を回っているんだよ」
煌夜は、何を口にしていいのか分からない。
恐らく、自分が何を言ったところで、それは気休めにも慰めにもならない。
「……コウヤ?」
気付けば、彼女の手を握っていた。
「……正直、なんて言っていいのかわからない。いろんな事がごちゃまぜになってて、どれが正解かなんて、俺には判断できない」
だが、
「でも、俺はお前を信じるよ。お前の話を信じる。異世界の事を、狭間世界の事を、『ルミア』って奴の事を信じてみる」
別に同情した訳ではない。
自分が何を思い、何を言おうとも、きっとそれは全て気休めにも慰めにもならない。
だが、それでも、支えてやりたいと思った。
自分が少女に何ができるかはわからない。
だが、彼女にとって、恐らくは初めての『他人』である自分は、彼女を信じなくてはならない気がする。
そして、それ以上に煌夜の中に芽生えているあたたかい気持ちに従ってみたいと思ったのだ。
だから、彼女を信じたい。
「………………ふん。当然だ」
ルミアは自身の手を握る煌夜の手を見て笑った。先ほどまでの弱々しいものではない、強い笑みだった。
「お前は私の下僕だぞ。できるできないではなく、ただ私を信じていればいいのだ」
その言葉に、煌夜は笑みを返した。
こんなちっぽけな言葉でも、少しは、彼女を支えられただろうか。
まだ全然足りないかもしれない。
なら、これから支えていこう。
そうできればいいと煌夜は思う。
(なんだろうな…)
自分の感情に自分で笑ってしまう。
(なんで俺は、こんな気持ちになってるんだろう?)
その問いには、もちろん誰も答えなかった。
いつか、この問いへの答えを得られる日が来るのだろうか?
夜。
「おいコウヤ」
「ん? 何…………ぐぶぁ!」
「ふっふっふ。さあ下僕の出番だぞ。 私の濡れた髪を拭いて………っておいっ! 何故逃げる!」
「逃げるよ! なんでまた全裸なんだよ! 風呂からあがったらちゃんと服着なさいって言ったでしょうが!!」
「濡れたまま服が着れるか! いいから大人しく拭け!!」
「ちょっ……拭くのは髪だけのはずでは!? 自分の発言に責任持とうよルミア!! あと追って来るな家の中が水浸しになるだろ!!」
「なら止まれ!!」
「お断り申す!!」
「ちっ、使えん下僕だ。ならば制裁を受けよ! くらえルミア様キッ――――クッッ!!!!」
「え? ちょっと嘘だよね? まさかそのまま飛び蹴りとかする訳ないよなぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」
…………………仮にそんな日が来たとしても、多分自分は納得できないような気がした。
うだー……話の展開がぐちゃぐちゃですが目を瞑ってください。現在テストで頭がいっぱいいっぱいなのです。次からはちゃんとできると思うんで、長い目で見守ってください。