第二話:愛の昇龍拳
流石に二度も不良達に絡まれるような事はなく(モモは絡まれた)、無事に赤城高校に到着した。
下駄箱で靴を履き替えた後、廊下を通って彼らは自教室たる一年一組へと入った(二人はクラスメイトでもある。ここまでくると何らかの陰謀を感じる煌夜である)。
教室の中は朝だというのに中々ににぎわっていた。朝練等の理由で姿が見えない者もちらほらいるが、だいたい一組生徒の皆さんはそろっていた。自教室に行かずに友達とホームルームギリギリまで居座る気満々な顔をした奴もいる。
「コウさーん、モモさーん。おっはー」
入室した二人をそんな風に一昔前の挨拶で出迎えた女子生徒がいた。
若干垂れ下がった眠たそうな目に長めの茶髪を左右で縛ったツインテール。赤城高校女子制服であるブレザーの代わりに何故か保険医辺りが着そうな白衣を身に着けている。
クラスメイト兼友人の片岡由真だ。
「よーっす由真。相変わらずの白衣が眩しいぜ」
「にゃふふふ。ありがとさん。 モモさんも相変わらず目に悪いくらい赤いね。んでもってコウさんは前髪目に悪そうだよねん。 あ、でもでもこの白衣最近ちょいと黄ばんできたのよなー。まああと二十着くらい同じのあるから一着くらいどうってことないんだけどにゃ」
まるで猫のような話し方でモモに応える由真。彼女独特の口調である。
「由真。あの挨拶はちょっと古いぞ」
「そうかにゃー? んじゃあ……オッパッピー」
「それ挨拶と違う。そしてやっぱり古いぞ」
そうかにゃー? ともう一度言って眠たげに笑う。彼女のバックに日向ぼっこしている猫が見えた。
「今日はどだったにゃ?」
「二十人。と言っても、ほとんどノしたのはモモで俺は二人」
二十人、とは明らかにあの不良達の事を指している。
由真は「ほへぇー」とか感心しているのかよくわからない声を上げた。
「最高記録更新じゃねー。 つかモモさんどこまで行くのかにゃー?」
「へっ。 おれの前に立ち塞がる奴がいる限り、おれは戦うぜ!」
「そーだなー。 お前地獄行っても閻魔様に喧嘩売りそうだもんなー」
こうやって、毎朝会う度に由真は今日喧嘩があったかどうか尋ねてくる。と言っても心配しているのかと言えばそうではなく、単に厄介事の遭遇回数とかを記録するのが楽しいらしい。
由真はにゃふふふとか笑って、
「そんな君達に不良撃退グッズをプレゼントー」
白衣のポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。直径一メートルくらいの、筒状の何かだ。そんなものどうやってポケットに入れてたのか。確かに膨らみはなかったはずなのに。
さっきまでの眠たそうな目は今ギンギラな輝きを放っていた。
「じゃじゃーん! 由真発明第108号、『簡易型雪玉バズーカ』! この穴に雪を入れるとあら不思議。中で圧縮を繰り返して繰り返した結果スーパー硬い雪玉を発射するって仕組みにゃー!! さあさあコイツを使って会った不良共をなぎ倒すがよいにゃー!!」
「由真。雪の降る季節は当分先だ。 夏場のコタツ以上に役に立たんぞそれは」
「ふっ……盲点だったにゃー」
格好つけてるつもりか、前髪をかき上げる仕草を見せる。天然?いえいえわざとやってます。
由真はこんな感じにヘンテコな発明をするのが大好きだ。その中には今のバズーカのように微妙に使い道に困る物、存在自体が意味不明な物など様々だ。以前『室温を最大3000度まで上げるヒーター』とか見せてくれたが没収した。太陽に住める人間などいないのである。
「大体よぉ、由真の作ったモンが役に立つ日なんて来るのか?」
「んまぁ!失礼じゃね! 絶対役に立つにゃー!!…………地球が滅びる日までには」
「範囲が広いわ! もうちょい自分の作品に自信もてや!」
「いんやーぶっちゃけた話作る事に意味があるのですにゃー。役に立とうが立つまいが私は気にしないのにゃー」
なんだそりゃあ!?とか叫ぶモモやギンギラ瞳を引っ込めてまた眠たげに笑う由真を見て、ああ平和だなあなんて思う煌夜だった。
「おはようございます」
と、そんな現実をゆったり噛み締めていた煌夜の耳に心地よい声が届いた。
首を巡らせると、ちょうど一人の女子が教室にやって来たのが見えた。その女子は
「おはようございます。 あ、おはようございます」と律義にもクラスにいる人全員に挨拶していた。されたほうも『よ。おはよう平坂さん』『いんちょーおはよー』とにこやかに返事をしている。
そうしてほぼ教室内を一回りした少女はそのままの足取りで煌夜達の元まで歩いて来た。
桜色の髪の毛を後ろで括った、いわゆるポニーテールなヘアスタイル。制服は見本として写真に収めておきたいくらいにきっちりとしていて、乱れたカ所などどこにも見当たらない。そして何より、美少女と言う言葉がぴったりな整った顔立ち。由真も十分すぎるほど美少女の範疇に入るが、それにしてもこの少女はずば抜けていた。
クラスメイト兼友人プラス学級委員長、平坂香花だ。
香花は三人の前で立ち止まると綺麗な笑みを浮かべた。
「おはようございます。百田くん、片岡さん」
二人は『おはよーっす』『オッパッピー』とそれぞれ返事をする。そして、香花の目が煌夜を捉えた。
すると、今までの凜とした態度はどこへやら。あちこちに視線をさまよわせ始めた。
「あ……えと、天神くん……」
しばらく待ったが、何やら赤くなってモジモジしているだけで挨拶はしてくれない。このまま待っていてもきっと寂しくなるだけだと悟り、仕方がないので煌夜は自分から話しかけた。
「おはよう。平坂」
香花は一瞬肩をビクッと震わせると、
「あ、へ、あうう、は、はいっ、おはようございまふっ」
散々どもった挙げ句思いっきり台詞を噛んだ彼女は更に顔を真っ赤にして俯いてしまった。恥ずかしいのだろう。
しかしまあ、なんだ。
(うーむ……。よそよそしいよなぁ、やっぱり。 俺何かしたかな?)
内心首を傾げる。この委員長、何故か煌夜に対してだけはずっとこんな態度なのだ。話しかければこんな調子で、たまに会話が成立してもさっさと終われとばかりに早口で話してくるので長くは続かない。
(話す時いつも顔赤いし……。 まさか、俺は変なウイルスでも放出してるとか?)
そんな嫌すぎる可能性を考えてしまった自分がひたすら憐れだった。
(やっぱり嫌われている……のか? 友達だと思ってるのが俺だけだったらどうしよう……)
朴念仁たる少年は、それが少女が自分に必要以上の好意を向けているが故の態度なのだと気がつかない。
そして真っ赤になって俯いている委員長が実はすげえ嬉しそうな笑みを浮かべている事や、モモと由真が小声で『いよっしゃー!行け!行くんだにゃー香花ちゃん! ジャブジャブストレートだにゃー!ちゅーかもう押し倒せー!!』『おれ、絶対アイツらの結婚式には呼んでもらうもんね!』とか囁き合っている事や、教室の隅々で『見て見て!いんちょーさんあんなに赤くなって! きゃー!恋する乙女のパワー眩すぃー!』『愛の昇龍拳炸裂!私的ダメージ100%!!』『おのれまたも天神か!』『何故だ!前髪か!?前髪が悪いのか!! 前どころかまともな長さの毛がまるでないボーズのオレには奴を超えられぬのか!?』『ふっ、馬鹿だねぇ。 こういう時は黙って見守るか面白がるかのどっちかさ。それが大人ってもんさ。 ちなみに俺は後者だけどさ!』とかなんとか騒いでいる(もちろん小声で)事にも気付かない。
そんな色々と大切な事に気付かないダメ少年天神煌夜はこの微妙に悪くなった(と思っているのは彼一人で、実際はピンクがキラキラ光っている)空気をどう打破すべきか思案していると、
「は〜いみなさ〜ん。そろそろ席に着きましょうね〜」
こちらの気まで緩みそうなくらいおっとりとした声と笑顔で担任の女教師、藤乃亜澄が教室に入って来た。
真新しいスーツに身を包んだその姿は非常に若々しく、どう見ても二十歳かそこらにしか見えないが、実年齢は不明である(以前そのことについて本人に尋ねたところ、おっとり笑顔のままで何も答えてはくれなかった)。
「あっ、それじゃあ」
真っ先に動いたのは委員長平坂香花だ。いつもの凜とした雰囲気に戻るとそれだけ言って自分の席に戻って行った。一度名残惜しそうにこちらを振り返ったのは気のせいだという事にしておいた。
何とかなったかー、と胸をなで下ろした煌夜も自分の席に戻り、おっとり先生によるおっとりホームルームが始まった。
その後の授業は滞りなく続いた。香花は真面目に、煌夜はそれなりに、モモは爆睡、由真は聞いてるフりをして機械いじりとそれぞれいつもの授業スタイルを貫いた。
で、今はそんな戦士達の束の間の休息、昼休みである。四人は教室で昼食を摂っている。繋ぎ合わせた机の上にはそれぞれのお昼が置いてある。香花は可愛いウサギイラスト入りの小さな弁当、由真はなんか錠剤的な何か、煌夜とモモは購買に一っ走りして買ってきたパンが幾つか。
「しかし由真、毎回そんな薬ばっかで大丈夫なのか?」
いつだったか『脳の力になる牛乳パン』とかいうお薬みたいな食品が販売されていたのを見た事はあるが、これはまんまお薬である。それがどんな効果なのかは定かではないが、少なくとも空腹を満たせるような要素は皆無であろう。まさか自分の身体すらも何かの実験に使っているのか。
「んにゃ? 別に大丈夫だにゃー。身体に害はないし後でお魚とかちゃんと食べるにゃ」
じゃあ今食えよ、とは誰も言わない。みんな言っても無駄だとわかっているからだ。
それよりも、と由真は話題を変えた。そしてその目は言っている。今からあなた方をいじりますよと。まずいと思って止めようとするが、一足遅かった。由真は話題を切り出してしまう。
「コウさん達まーたヤンキーに絡まれたそうだにゃー。 そこらへんどうよ委員長?」
余計な事を、と恨みがましく煌夜とモモは由真を睨むが知らん顔された。そして、
「………また、喧嘩ですか?」
香花が非難するような視線と声を二人に向けてきた。思わずうっ、と呻く。
彼女は喧嘩とかそういった野蛮とも取れる行為をとても嫌う。二人が不良と激闘を繰り広げてきたと知るといつもこんな感じだ。
無論、二人を心配しての態度でもあるのだが、分かっていても美少女がジト目で見てくるというのは何とも居心地が悪い。
「あ、あー! いや大丈夫だぜ? おれと煌夜は強いんだ。そんな簡単にはやられたりしねぇとも!」
「………でも、やっぱり危ないですよね」
「はい、ごもっともです………」
モモ、あえなく撃沈。と思いきや次は煌夜にアイコンタクト。
「(煌夜、ヘルプ!!)」
「(OK任された!)」
一瞬の内に意思疎通を完了させる二人。伊達に長年友達はやっていない。
という訳で煌夜は頑張って誤魔化しにチャレンジしてみる。
「ほらほら学級委員長平坂香花さんそんな顔してるとせっかくの美貌が台無しですわよ? 怒るとお腹も空くでしょうからねという訳ではいアーンっ!」
そう言いながら焼きそばパン(食べかけ)を香花の前に突き出した。
ビシッ と彼女は硬直した。
由真は目を見開き、モモは食べていたメロンパンを机に落とした。
ついでにその決定的瞬間を目撃した(香花は目立つのだ)教室内の皆様も固まった。
「……………あれ?」
流石の煌夜も周りの異変に気が付いて思わず疑問の声を漏らしていた。
(まずい、何か間違えた……)
煌夜としてはちょっとした冗談のつもりでした事であり、誤魔化すとまではいかなくとも『あらいやだ煌夜さんたらふふふふふ♪』とかそんな感じに事が運ぶだろうと踏んでいたのでこの反応は思いっきり予想外だった。
もしや自分はとんでもない事をしでかしてしまったのでは?
いきなり不安という名の崖っぷちに立たされた煌夜の身体から嫌な汗がドッと流れた。
そんな調子なので周りの『見てくださいまし奥様! アレは伝説のアーンですわ!!』『まあ!! ラブラブカップルでも中々やらないが故に伝説と化した、あのアーンですの!?』『ですわですわ! まあまあまあいつの間にあの二人はそんな領域まで足を踏み入れてしまったのかしらですわ!!』というざわめきも全く耳に入らない。もっとも、仮に聞こえていたとしても意味は伝わらなかっただろうが。
そしてようやく自体を認識できたらしい香花の時が動き出した。
ハッと我にかえり、次に『はわ? はわわわわわわ』とかわいらしく慌てた。気を落ち着かせるため二、三回深呼吸。同じだけ胸を撫でてから首筋まで赤くなりながらまっすぐに焼きそばパン(やっぱり食べかけ)を見据えて、
「あ…………アーン」
今度は盛大に混乱した。
(えー? 何、俺は何がなんだかわかりませんよー?)
冗談をかましたら時間が止まって、不安になったら汗が流れて、動きだしたら本気でアーン。なんなんだ一体。
(っていうかいいのか? 食べかけ……しかも男のなんだけど)
香花を見る。まるで親から餌を貰おうとするひな鳥のように口を開けて目を閉じて待っていた。顔は相変わらず赤い。
(このまま待たせるのも悪いし真剣そのものな表情だし……。 本人がいいならいいのか?)
適当に結論づけた煌夜はいつまでも待っている彼女に応えるべく焼きそばパン(繰り返すが食べかけ)をその小さな口に運ぶ。もちろん『アーン』、と言うのも忘れない。
焼きそばパン(しつこいが食べかけ)を口に含んだ香花はしっかりと咀嚼してゴクンと飲み込んだ。
「………美味しいです」
「そっか。ただの購買のパンなんだけど口に合ったならよかったよ」
「……そういう意味ではないんですけど……」
その小さな呟きは煌夜には届かなかった。
と、
『天神く〜ん、ちょっとよろしいかなぁ〜?』
視線を向けると三人のクラスメイト(男子)が頬を引きつらせて仁王立ちしていた。
「なんだよ?なんか用か………って血の涙!? 何事ですか!?」
『うるせぇ! さっきから見てればなんだそのイラつくイチャつきっぷりは!! オレらを憤死させる気かお前は!!』
「な、なにゆえ三人揃っての怒声? いや、俺はただ普通に飯食べてただけで―――」
『無自覚なのが余計ムカつくんじゃ! いや分かってる。既に委員長ちゃんはお前のモノさ。クラスメイトとして、ここは血涙を飲んで祝福しよう。 だが!!お前には非モテの悔しさを分からせてやる必要がある!! という事で大人しく制裁を受けよ!』
「どういう事!? 全く意味がわからんのですが腕を力一杯引っ張るでない!! ちょ、委員長!!あなたの敬遠する争い事オーラが彼らからバリバリ放たれてるよ!見過ごしていいの!?」
香花はほぅ、とトリップしていた。聞こえていない。
「由真!!」
「ん〜? まあ自業自得ちゅーかしょーがないちゅーか、まあ取り敢えず受けとけばどかにゃー?」
「くっ……! モモ―――いねえ!! さては逃げたか!?おのれあいつ不良二十人なぎ払う力はこういう時にこそ発揮されるべきだろうに…………!」
『天神くん、ウェルカム』
「やだー!」
悲痛な叫びも空しく、ズルズルと廊下に引きずられていった。
次の授業に、彼の姿がなかった事は言うまでもない。