最愛の人
何度目になるか分からないこの怒りの矛先を、いったい誰に向ければいいのだろう。部屋の前にはクロステでは無いクロステ。
「僕が出る。みんなは部屋で待ってて」
「それは危険です。みんなで対処した方が」
「いや大丈夫。これは僕がどうにかする。みんなは先に窓から逃げてナイランドを目指して。必ず追いつくから」
三人が納得する中、アイラだけはそれを飲むことが出来ない。
「また一人でどうにかしようとするんですか?私は!貴方の弟子なのに!」
リルはアイラをそっと抱き寄せた。そのままゆっくりと杖を握って魔力をこめる。電気が彼女を流れてアイラは気を失った。
「瑠璃、ヒナ、ノルメル。アイラを頼んだ。必ずすぐに追いつく。だから、振り向かないで進んで欲しい」
瑠璃は口を開いて何かを言おうとしたが、それを噛み殺して頷いた。
「分かった。とりあえずは真っ直ぐ北に向かう。もし町があったらそこに居るから」
そう言って窓を開くとヒナを先頭に走り出した。
雪を踏みしめる音が徐々に小さくのを聞いて、安堵する。このまま僕も一緒に行きたい。でもそれじゃあこの子達が報われない。
ーーーー目が覚めた時、私たちは初めて死を味わった。
「おばあちゃん、おばあちゃん」
揺すっても声を掛けても返事はない。いつも握っているおばあちゃんの暖かかったあのしわしわの手も今はもう冷たく、握り返してもくれない。
涙が溢れた。ただただひたすら泣いた。二人で泣いた。それでもおばあちゃんは目を覚まさない。
おばあちゃんがいないなんて信じられなかった。二人で食料庫に引きこもっておばあちゃんがいつもみたいに見つけてくれるのを待った。それでもおばあちゃんは目を覚まさない。
いったい何日引きこもっていたか分からなくなった時、意を決して私たちは食料庫を飛び出した。寝室に手を掛ける。扉を開いてもあの暖かい笑みはない。
腐敗、していた。こんな寒い場所でも人は腐ってしまうと私はこの時知ってしまった。
おばあちゃんだったものはいつの間にか肉がただれ、ふよふよだった皮膚は今にも剥がれそうだ。
急いで扉を閉めた。そしてまた、逃げた。食料庫だけが心の拠り所にいつの間にかなっていた。
願えば願うほど心はすり減っていく。
フユはおばあちゃんが生き返ってくれることだけを切実に願い、ハルはおばあちゃんを助けにも来ないみんなを呪った。
ドアがノックされた。二人は自分の手に入れた力を知らない。開くとそこにはあのおばあちゃんがいた。
二人はおばあちゃんにしがみついてわんわん泣いた。信じられない再会は悪魔の囁きなのに。
そして二人は悪魔と契約する。おばあちゃんを生き返らせる代わりに、誰にも生活を邪魔させないと。
こんな一方的な契約に納得しないはずもない。だが悪魔にとってそれは好都合だった。力は蓄えれば強くなる。それが悪魔の願い。祓魔師に祓われなければ悪魔は人の心に永遠に居続ける。そうして精神が彼らに支配されれば、廃人となって人を襲う。
そして今、ハルはその力に飲み込まれかけていた。
「君とは話ができない。僕は少女と話がしたい。代わってくれないか?」
それを聞いてクロステの皮を被った人物は目を見開いたが、すぐに呆れたような顔をしてつぶやく。
「つまんない」
スっと何かが抜けたようにクロステは倒れる。まるで人形のような意志の無い顔だ。
「ごめん」
ゆっくりと彼の目を閉じる。一階に降りよう。どうせここにいても意味は無い。
一階の食堂では二人が待っていた。やっぱりそういうことだったのか。少女は一人ではなく二人だった。単純故に見抜けなかった。
「こんにちは。お待ちしておりました」
妙に丁寧な言葉で席へと案内される。僕が座ったのと対面に二人も座った。ただじっと黙ってこちらを見ている。話をしてくれということだろう。
「じゃあ、僕から質問をいくつかしてもいいかな?」
ただ沈黙してこちらを見ている。肯定だと捉えて話を進める。
「なんでおばあさんは生き返ったの?そしてなんで僕たちを襲おうとした」
簡潔で決定的な質問をしたつもりではある。返答次第では二人は僕が倒さないといけない。
「簡単ですよ。おばあちゃんのためです」
「と言うと?」
「ある日、私たちの頭に誰かが話しかけてきたんです。あばあちゃんを助けたいか?力を与える。だから誰もこの家に人を入れるなって」
悪魔が言いそうなことではある。こんな無垢な少女すらも利用するのは卑劣としか言いようがないが。
「それじゃあおばあさんは既に亡くなっているんだな」
「死んでない!」
急に声を荒らげて立ち上がったのはハルだった。何とかフユが抑えることでゆっくりとまた椅子に座った。
「そうです。おばあちゃんは死んじゃいました。でも、また生き返ったんです。だからもう大丈夫ですよ」
肉親の死から悪魔に取り憑かれるというのはよくある事だが、二人であったことがここまで事態を複雑にさせたのだろう。
「なら聞く。おばあさんはそれを望んでいると思うか?」
「「えっ?」」
二人して驚いた顔をする。どっちにせよ僕は彼女たちに真実を伝えないといけないんだ。
「悪魔が見せているのは所詮、幻想に過ぎない。ああだったらいい、こうだったらいい。そういうものを魅せることでその人の心を支配していく、所謂幻だ。おばあさんは本当は生きていない」
ハルは椅子を放り出して立ち上がる。およそ子供の形相とは思えない顔で近づいてきた。
それでも僕は続けた。
「君たちの気持ちは分かる。僕だってさっきのクロステは本当に大切な人だった。それでも今ここにいるのは、それを受け入れて前へと進もうとしているからだ。おばあちゃんは自分が死んだことを受け入れられずに苦しんでいることを望むと思うのかい?」
「それは……」
「きっと前を向いて生きて欲しいと思ってるはずだよ」
じゃないと僕なんか生きてる価値は無い。僕は君を殺した贖罪で生きているに過ぎないのだから。
「おばあちゃんがいなくても生きていけると思いますか?」
「あぁ、もちろん」
杖を持つ。少女が怯える。それでももう止めない。これは彼女達のためだから。
「時間魔法、時帰魔滅」
空に時計が刻印され、秒針が戻る。終わる直前、後ろで扉の開く音がした。少女のおばあさんが現れてしまった。
「「おばあちゃん!」」
二人の叫び声が響く。最後に、おばあさんは優しく微笑んだ。
二人は気を失って、おばあさんはその場に倒れた。僕はおばあさんをベッドの横になるようにして布団を被せる。
「おやすみなさい」
二人には手を握らせてあげた。




