書斎
壁の穴をめくってスクルトが出てくる。その顔はどこか悔しそうだ。
「逃げられちゃいました」
「誰が?」
少し食い気味にパレルナが尋ねる。
「なんか大事そうに本を抱えて女の子が逃げて行くのが見えたよ。あの子は多分僕より強い」
お手上げとまではいかないが、スクルトが一人では勝てない手練がいるということだ。
「やっぱり私って足でまといですよね」
その会話を聞いて自信なさげにヒナが声を漏らす。スクルトは彼女に笑顔を見せて少しでも気を紛らわさせようとしている。
「いいや、君がいなかったらこんなに直ぐには来れなかったし、戦う武器も持ってる。アイラは直接攻撃が魔法ありきで少しまともに出来るくらいだ。十分僕たちの役に立ってるよ」
ヒナは少しだけ胸を撫で下ろして落ち着いてくれたようだ。
「それより、ここは何?なんのための部屋なの」
壁によって塞がれていた先には同じく本棚の並ぶ空間が広がっている。だがその中でもとりわけ目立つところがある。
「これは?」
アイラが興味津々にその場所へ近づいていく。ランプによって照らされる光がそこだけ明らかに多かった。まるでそこにある本を照らすように
「そこにはさっきまで一冊の本があったんです。僕の失態で少女に持ち出されてしまいましたが」
その本が訳ありだというのは口に出さなくてもわかる。だからこそ、リルの安否は余計に危ういものとなった。
「じゃあ早くその人を追いかけないと」
戦闘の跡が見られるこの空間で、向かった場所はスクルトが言わずとも分かった。
ドン!ドン!
後ろで扉を叩く音が響く。木の扉に軋みの入る音がする。もうあの扉も限界が近い。
「急いで行こう。多分もうすぐ突破される。私が糸魔法で足止めしている間に先に行って」
彼女ならこの中で最も時間稼ぎに向いた魔法を使える。冷静な彼女の判断力に私たちは任せた。
「それで、スクルトさんが逃げた人に勝てないというのは?」
三人は走りながら先程の出来事について話す。その廊下は思っていたよりも長く、オマケに階段や曲がり道があってとにかく遠回りに設計されているような作りだった。
「それは、彼女が熱魔法を使っていたということだよ」
「それじゃあスクルトさんは勝てませんね」
そう言って話に入り込んできた少女、ヒナは説明を続ける。
「熱魔法は、高位魔法の一種。魔法使いは属性魔法をひとつ覚えるけど、熱魔法みたいに炎にも水にも氷にもなったりするみたいな応用の効く属性魔法のことを言うんだってこないだ本で読んだよ」
最後の一言で納得した。彼女にそんな知識量を持ってる素振りが無かったからだ。驚いたとでも言うようにスクルトの顔は表情を変えて、
「その通り、さすが文学少女は違うね」
「それほどでも〜」
さっきの慰めで調子に乗っているのか、頬が緩んでいる。なんだかモヤモヤしたのでそのやわやわのほっぺをつねった。
「ヒドイ!」
「そんな顔するヒナが悪い」
理不尽な一撃に抗議するもアイラはスルーする。これにはスクルトも苦笑い。
そんなことをしているうちに廊下の終わりが見えてくる。冷気が目に見えるほど漂っており、ここから先な敵の間合いだと無言で示している。
三人はその手前で足を止めると、念の為にスクルトが心意気を問う。
「こっから先は僕も君たちの安全は保証できない。いざとなったら自分のことだけ考えて。じゃあ、行くよ」
「効果付与、身体能力上昇、低温耐性」
杖を取り出して彼女は魔法を発動する。彼女の得意魔法であり、唯一の役に立てる場面だ。
廊下を抜けた先には一体の氷像、リルが氷漬けになった姿が目に映る。
アイラは急いで駆け寄ろうとするも、二人にその手を取られる。これが罠ではないはずがない。近づくのは躊躇って当然。手を取られてアイラも我を取り戻す。
「早く出てきてよ。どうせ隠れているんだろ?」
スクルトが挑発的に声を掛けると、氷像の裏から人影が、二人には見覚えのない顔。スクルトがさっき戦った彼女の姿があった。
「君はさっきの」
「私の妹が捕まったそうね」
鋭く突き刺すような物言いで彼女は切り出す。さっきまでの怯えたような落ち着きのある様子とは打って変わっている。
「それなら、この廊下の先で私達の仲間と一緒にいます。どうですか。あなたの妹と師匠、いやリルを交換するというのは」
交渉を始めたのは意外にもアイラだった。普段の彼女の言動からは見て取れない覇気のある声に、緊張が走る。
「それは、できません」
悔しそうな顔をして彼女は言う。どういうことなのだろうか。
「私には姉がいます。彼女が私達兎人の長だ。彼女の決定がない限り、妹とはいえ勝手には動けないのです」
彼女は手元に抱えていた本を開く。無造作に開かれたそのページは光っていた。
「残念ですが、交渉は失敗したみたいです」
「この氷像は渡さない。私達の敵、絶対に姉さんが壊さないといけないんだ!」
その叫びで何処からともなく兎が出てくる。召喚魔法の類だが、詠唱もなしにそれが可能なのはあの本による影響なのか。
「ヒナ、アイラ。兎の相手を頼む。僕は彼女の相手をする。絶対に無茶はしないで」
「分かった」「了解」
彼は杖をポーチから取り出すと、詠唱を唱える。杖に氷が付着していきそれが薄青に透き通った氷の剣へと変化した。さらに空いた手にも同じ形の剣が形成されていき、双剣の構えを取る。
彼女に向かって一目散に走り出す。兎が彼に襲いかかるが、それを防ぐように氷の壁が彼の周りに成されていく。
「私達も行きましょう」
ヒナは魔法が使えないながらも、冒険者と名乗っているだけの強さがあった。魔法を使える兎相手にもすぐに対応力を見せ、魔具を使いこなす。
魔石が埋め込まれたその剣は握ることで魔法が使えないものでも空気中の微力な魔力を集めてその魔法を発動させる。
彼女の持つ魔具は雷属性の魔法で、彼女の機敏な動きと相まって兎の攻撃をしなやかに避けて鮮やかに戦う。
相対的なのはアイラだ。彼女はその小さな体にしては珍しく、体術的な戦い方をする。希少な効果付与の魔法をフルに生かした戦い方で敵を翻弄する。
「効果付与、瞬発力、俊敏性上昇」
ヒナの体に青白いオーラを纏わせる。元から素早かった彼女の動きが魔法によって極限まで精錬され、兎では追いつくことが叶わない領域に達する。
次々と兎の心臓を一突きにして次の標的へと向かう。
「すごいよ、ヒナ!」
「そうでも無いよ〜」
純粋な驚きで彼女を褒めてしまったがそれが良くなかった。その動きが鈍くなった一瞬を狙っていたかのように兎の氷魔法が放たれる。
口から吐かれた息は結晶となりヒナの足を狙う。見事に命中した一撃によってヒナの動きが格段に遅くなり、兎の攻撃が次々に命中する。
「ヒナ!」
彼女を囲んでいる兎を杖で払い除けると、
「効果付与、低温耐性最大」
アイラの使える最大の耐性魔法。その魔法は魔力を多く消費する代わりに、対象の環境においての影響をほとんど受け付けなくなるという魔法だ。
「すごいよアイラ、全然苦しくない!」
戦闘が長引いたことによってこの空間はかなり温度が下がっていた。いくら耐性があるからといってそれはあくまで耐性にすぎない。徐々に体を蝕んで行っているのは確かだ。
それを感じさせない魔法とあらば、ヒナのあの実力は百人力になる。
「私はもう、あんまり戦えないかも」
そう言ってその場に座り込む。もう立つ力を残せない。スクルトとヒナの魔法に徹するのが精一杯だ。
「アイラ?ほんとに大丈夫?」
「大丈夫。だから、残りの兎をお願い」
苦しそうなアイラの表情を見て、ヒナもその気持ちが強くなる。雷を纏った剣に加えて、レッグホルスターから銃を取り出した。それにアイラは目を見開いた。
「私も本気を出さないと」
「それって…」
「これ?私が作ったの。こんなもの売ってるはずないからね。まぁ見ててよ」
彼女の左手に持っているその銃から一発の弾丸が発射される。その玉は兎に命中することなく地面に激突する。一瞬外したのかと思ったがそうでは無かった。
地面に魔法陣が展開されて魔法が発動する。赤く光る魔法陣からは色の通り炎の魔法が発動した。
兎の体を焼き焦がす灼熱の炎がその一体を赤に染める。連携の取れた陣のように周りの兎は氷魔法をそこに向けて吐く。
それを安安と見逃すことなくヒナは兎達を切り捨てる。そのきっかけの一撃で隊のような陣形の取れていた兎は連携を失い、ヒナの掌で踊らされるように次々とその白いからだが赤く染る。
だが無尽蔵に増え続ける兎の大軍に到底終わりは見えない。最初は優勢だったヒナの攻撃も、段々と疲労が見え始める。
カチッ。
銃が空振りする音を聞いてヒナは顔をしかめた。すぐに短剣を取り出して対応するが、かなりの痛手だ。
兎の死体はそこらじゅうに散らばり、床が見えないほどまで増える。これだけ倒しても増え続けるのにはさすがに二人も驚きを隠せない。
「ヒナ、これはもう倒しきれない。一旦引こう」
「でもここで引いたらスクルトが」
そんな時だった。
「もう一人仲間がいるのを忘れたの?」
廊下から声が聞こえた。その声は!二人はその声の方を向く。人質を連れたパレルナの姿があった。
彼女も彼女で戦っていたんだろう。服は擦り切れて、だいぶ消耗はしているようだ。それに加えて彼女はアイラの支援を受けていない。随分と薄い服装の彼女には辛い環境のはずだ。
「効果付与、低温耐性、保温効果増加」
すぐにアイラは魔法を彼女に付与する。だいぶ楽になった様子になり、此方へと向かった。
「なにこの数」
「ヒナがここまで粘ってくれたんです。それでもまだ全然。そこが見えない量で」
「そりゃあキリがないよ。多分私の担当だよ、ここは」
ヒナに下がるよう促し、ヒナが捨てた拳銃を拾う。パレルナは杖を拳銃に構えて魔法を唱えた。
「炎魔法、フレイムバレット」




