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乙女ゲーム転生テンプレート

もっと!ダイジェスト乙女ゲーム転生テンプレート

作者: 影掠光浮

登場人物


私→この物語の語り手、あるいは転生者。留学という名目でこの国に送り込まれた。名前はドロテア。

使用人→“私”の使用人。私について来た。“私”のことをディテ様と呼ぶ。名前はディーデリク。

ジェシカ様→偉い人。チート。サイボーグ。あるいはミクシヤ公爵が娘、ジェシカ。

 私の留学生活で最も印象に残っているのは凡庸な少女が校門前で拳を突き上げていたことかもしれない。


 彼女は感極まった表情をしていた。


「ここがあのゲームの舞台の……、……。やっぱりここは私のための世界なんだ!」


 やだ怖い絶対何かの電波を受信してる。この国怖い。帰りたい。


 ■


 新学期が始まった。国が違えど年度始めは同じで大変都合が良い。


 騙されるように隣国へ追いやられた私であるが、もしかしてこれは今流行のざまぁにあたるのではないかと天啓を得る。私はそう認識していなかったのだが、少なくとも周りからはそう見えるということだ。


 実際はただの留学のはずだがだいぶ憂鬱になってきた。当然友達はできなかったし。

 一応外交的な観点からもある程度接点があった方が良いと思うのだがままならない。

 前途多難だ。


 □


 自国の偉い人からの手紙が届いた。

 この国での私の振る舞いとすべきことについての指令書である。読み終わったら燃やすようにって何を想定しているんですかね。ちゃんと燃やしたけど。


 ■


 得てして現実を見るのは辛い。故に現実逃避は人間に許された当然の権利であり、また同様に最後の砦である。

 さらに言うなら私のこの考えすら現実逃避であり、つまり何が言いたいかと言うと、おうち帰って良いですか。


 なぜこのクラスにはこんなにも色とりどりの髪の色があるんですか。


 いつか見た、今となっては懐かしさすら覚えるペンキ引っ被ったかのような色。派手にどぎつく毒々しいメタリックネオンカラー。

 人体から生えているのは不自然としか思えないのだが周りは何も思わないのだろうか。


 私が登場すべきゲーム本編は終わったと思ったんですけど、これはどう考えてもなんらかのゲームなりアニメなり小説なり漫画なりの舞台に紛れ込んだと思われる。

 だってそうでもないとこんな一部の人間の髪の色だけ人工的だったり、不自然に顔の造形が整っていたりしてたまるか。


 □


 囲まれている。

 持て(はや)されている。


 これは色とりどりの髪を振り乱し他人を魅了するメタルカラーヘッド共のことではない。

 囲まれているのは私である。


 これは単純に国交的観点による打算的な持ち上げだ。


 理由は分からないけれど私の生まれ育ったあの国には魔法に秀でた人間が生まれやすい。そいつらが文化・生活水準を押し上げ、軍事力の増強に努めるものだから、我が国は他の国に対して優位性を保っている。

 乙女ゲーム的に日本レベルの衛生観念とか利便性を必要としたことが理由だと思っていたけれど、案外そうでもないようだし。


 そのおかげで国を出た人間は概ね他国では重宝されるのだが、何事もなく国を出ている時点で国から重要視されていないという事実は思っていても口に出してはいけない。私も言わない。


 それと、今更持て囃したところで新学期初日に遠巻きにしてたことは忘れないからな。


 ■


 転入生がやって来た。

 時期は新学期が始まった一ヶ月後という中途半端な時期である。日本で言うなら五月くらい。


 そいつはありきたりで平凡な顔をして、小動物じみた動きがいちいち気に触るタイプの女子生徒だった。記号で表すなら『平凡』『小動物』『ツインテール』『奨学生』『平民』『純粋そう』だ。いわゆるヒロイン属性。時期からして、いかにも、である。


 しかしその目はいただけない。控えめに言って獲物を狙う肉食獣の目だ。隠すならちゃんと隠そう。



 ところで彼女、どこかで見たことがある気がするのだがどこだろう。


 □


「ああ、それ、校門前で拳を突き上げてた貧民の子ですね」


 あっさり、彼はそう言った。

 なるほど、彼女のことなら私も覚えている。あのときの電波か。


「一応言っておくけれど、彼女は別に貧民じゃないわよ。平民ではあるけれど」

「……あの格好で?」

「確かに我が国ではああいう格好で出歩く人間はそう多くないわね。けれどアルヴァー、お前、使用人なら使用人の側を浚ってらっしゃい。王侯貴族の集まるこの学校の使用人だって()()()()()よ」

「……少なくとも王族の使用人は貴族の出身ですよね?」

「少なくとも沐浴は高位貴族の特権だし、製糸も機織も洗濯もほとんど手動。服自体が貴重品よ。ならば、王族に仕えるとはいえ高位には届かない貴族の暮らしはどうだと思う?」

「私は貴族の出身ではない使用人ですが、お嬢様にお仕えできたことを今ほど感謝したことはありません」


 使用人だって毎日お風呂入れるからね、我が国では。制服も支給だし。


 私が追い出されたあの国が、大体の日本人の思う都合の良いファンタジー中世ヨーロッパなら、この国は衛生管理はガバガバ、黒死病に怯えているような、実際の中世ヨーロッパに近いものがある。魔法があるからそこまで酷くはないものの、私の居た国より圧倒的に魔法使いが貴重で、かつその魔法使いすら実力的に我が国のそれに劣り、さらにその貴重かつ微妙な魔法使いを身分のある人間が権力で囲い込むのだ。


 そう考えると私の国は中世というより近世と言った方が良いのかもしれない。生活水準的には現代だが。あと、語感的に耳馴染みの良い中世を選んだけれど。


「この、文化水準的な隔絶ってこの国だけですか?」

「いいえ、ルードヴィグ。むしろ我が国がおかしいのよ」

「なるほど、だからディテ様やミクシヤ公爵令嬢のようなおかしな人間が溢れていると」

「風評被害も甚だしい。彼の方と一緒にしないでちょうだい。私はあんな有能な人間にはなれないわ」


 物語としての都合があの国に魔力を持った人間を集めたとしても、それの辻褄を合わせるなんらかの理由があるはず。

 なんて、物語で語られることのなかった何かが潜んでいるなんてよくあることなのに妙に寒気がした。


 ■


 小動物系平民の彼女は圧倒的だった。


 メタリックネオンヘッドたちの心の隙間に潜り込み、彼らが欲している言葉を望むタイミングで囁く。タイミングも前提となる知識も彼らのバックボーンすら知り尽くした手練れの行為。ぽっと出の平民にできる技じゃない。


 □


 彼女の快進撃は止まらない。


 目に突き刺さるネオンカラー貴族から家宝の宝飾品をせしめ、別のネオンカラーには将来を誓い合ったあの日の約束なるものを思い出させ、さらなるネオンカラー教師とは領分を超えた課外授業を行なって、その他のネオンカラーとは将来私の騎士になって、みたいな約束を取り付けたらしい。

 これは最早職人技。


 しかしここまでくると周りが黙っていない。ただでさえ平民と貴族は隔絶したあれこれがあるのにそれを無視した行為をここまで繰り広げられると困る人も多かろう。特にこの国では身分差はよく弁えないと吊るされるから。


 さらにいうなら、今彼女が次々攻略している彼らには揃いも揃って婚約者がいる。ここまで蔑ろにされてプライドの高い婚約者様達が何もしないとは思えない。

 これは今度こそ本物のざまぁが見れるのではなかろうか。


 ■


 自国の偉い人から手紙が届いた。


 曰く、

『八面六臂の活躍を見せる平民少女を上手く操作して貴族と対立させること』

『貴族側の補助』

『用済みになった彼女のフェードアウト』

 これら全てを上手くこなして恩を高く、高く、売りつけて来い、と?


 早馬を飛ばして二週間はかかる距離のはずなのによく知ってますね、さすが人類最強のサイボーグ。どういう手段を使っているのか皆目検討つかない。


 もちろん、この手紙はすぐに燃やしました。当然のように燃やすよう書かれてたし。

 それに何より証拠は残すなってだいぶ薄れた前世の記憶が訴えている。痛くもない腹を探られるのは業腹だろう、と。


 □


 人数が集まれば集団ができる。そして集団には大概指向性というものがあって、ほとんどの集団にはリーダーがいる。ついでに集団に属していない人間は集団こそ見つけることは容易いが、その集団のリーダーを見つけることは難しい。集団の外からリーダーを見つけるには注意深く集団を観察することが求められるのだ。

 つまり何が言いたいかというとネオンメタルシリーズの婚約者の属するグループこそ見つかったものの、トップが誰か分からない。そしてネオンメタル婚約者も一枚岩ではないらしくいくつかのグループに分散していて、身分があって間諜が居て、家同士のつながりもあって、と、この国の人間でない私には正直太刀打ちできないレベルのこんがらがりよう。もう諦めたい。


 あ、メタリックネオンパープルの婚約者が主人公らしき平民の少女に声をかけた!水もぶっかけた!すごい!メタリック婚約者は魔法が使えるらしい。

 やっぱりバケツなしで水をひっかけられる魔法はいじめにぴったりだ。


 ■


 この国での私の立場は魔法の国からやって来た交換留学生である。少しでも私の機嫌を取ることで、私からの贔屓と信頼をもぎ取る。それが私の周りの人間に課された義務であり、私はそう願われる立場の人間ということだ。

 つまり私は黙って待っていれば大きな集団の方から勝手に寄って来る。私は寄ってきた集団の中から都合の良いものを選んで贔屓にする。


 待っていれば良いなんて楽だな。


 あ、メタリックネオンレッドの婚約者が平民少女のロッカーにネズミの死骸を放り込んだ!自分でやるとはなかなかアグレッシブ。


 □


 持つべきものは友。そしてその友はできれば有能な方が良い。ついでに身分が高いとなお良い。さらに言うなら身分は高くとも私に対して強く出ることができないともっと良い。


「ディテ様、それ、友じゃないです。ただの都合の良い人です」

「友で良いのよ、マグヌス。友という名称で縛ることで対価を与えることなく働かせることができるから」

「最低だな。それから私の名前はマグヌスではありません」

「ちなみにこれはジェシカ様のやり口よ。わたくしは真似ているだけ」

「うちの国の将来が急に心配になりました」

「人は愛で縛るより恐怖で縛る方がずっと安心で、かつよく動くそうよ。ジェシカ様が言っていたわ」

「つまり恐怖政治の日々が始まる日は近いということでしょうか」

「そうね。……ちなみにジェシカ様はわたくしのことを友と呼ぶのよ」


 どうせ私も都合よく動かされているだけの駒に過ぎないのだろう、いつもそう思う。

 少なくとも今母国ではない国にいる私の生活環境を整えたのは、私をここに送り込んだジェシカ様だ。私の世話をする使用人も、私が今身に着けている服も靴も、私が口にするものも、今目の前にいるこの黒髪の使用人を除いたすべてはあの人が用意したものだし。


 つまりあの人が一言命じれば、甘やかされた貴族の娘である私は食事もとれずに死ぬ。いくら前世の記憶があったとしても食材の支度から調理まで自分でできようか。慣れない異国で、触ったこともない調理器具は日本のそれにずっと劣るのに。


 つまり私はあの人の恩情に縋り、そして生活基盤も、私の命すら人質にされて、彼女の命令に従うしかないのだ。


 実際はそういうわけではない。でも、そういうことにしておいた方が都合が良いから。


「……多分、お嬢様が思っているような意味じゃないと思いますよ、あの人があなたに対して言う友という言葉は」

「そうだと良いわね」

「少しは信じてくださいよ」

「信じているとも。ただ信頼はしないだけ。誰かに寄りかかるようなこと、わたくしはしないわ」


 その誰かに手を離されたとき自分で立てなくなることなんて御免だ。


「そうじゃないんだけどなあ……」


 ■


 友達ができた。公爵家の娘でメタリックネオンブルーな王子の婚約者である。


 私の出身は公爵家には劣る家柄だ。でも国力の差がある。おかげで表面上相手を立てて見せれば、相手は私にとって都合の良い動きをしてくれるし、尊重してくれる。最高に居心地が良い。

 そもそも人間的にもよくできている。気位こそ高いものの、平民の小娘など歯牙にもかけない態度とか。彼女は平民に直接手を下すようなことをしたら自分の価値が下がることをよく知っているのだ。


 立場をわきまえた人間って良いね、本当に。


 なんて自分で自分の教科書を引き裂く電波少女を見ながら思った。

 目のぎらつきが怖い。まさに餓えた猛獣のそれ。


 これが本当の電波か。


 □


 平民いじめ(自演を含む)が加速している。私が何かせずとも勝手に加速して対立は深まるばかり。楽で良い。

 これはあまり想定していなかったけれど、ほかのわきまえた平民たちが将来のために貴族にすり寄り自らの有用性を示そうと奮闘している。だから実際は対立とはいえ平民と貴族の対立ではない。


 むしろ何やら怪しい電波を受信した彼女が孤立しているだけ。

 彼女を取り巻く見目麗しい金ぴか頭な身分の高い奴らこそ居るものの、そういうやつらは大概いじめにも対立にも気づかない。傅かれることに慣れていると下々の諍いには気づかなくなるらしい。うちの国のキラキラヘッドもそうだった。


 これなら私も何事もなく国に帰れるんじゃなかろうか。


 ■


 下町出身電波系アグレッシブガールが水も滴る良い女になっている。

 いつかのメタリックネオンパープルの婚約者がまた水をひっかけたらしい。


 けれど残念、ばっちり婚約者に見られている。

 そして罵られている。貴族の風上にも置けないだのなんだのかんだの、他人を蔑む語彙は豊富らしいな、パープルヘッド。婚約者を放ってほかの女に現を抜かす自分のことは棚に上げて、よく回る口だ。



 そうしてパープルヘッドが自身の婚約者を引っ立てて行ったあとで水も滴る電波少女はぞっとするような表情を浮かべていた。異様なギラつきの目。引きつったような笑い。

 そして彼女は魔法で自らを簡単に乾かしてその場を去っていった。


 まって?あの子魔法使えるの?


 □


 電波系ツインテールは聖女であるとのうわさがまことしやかに流れだした。なるほど、ならば王子やその取り巻きが甘やかすことも仕方ない。そういう空気になってきて婚約者連合の方はやや劣勢。


 私は留学生でどの立場にも与さない立場を守っているのであまり関係ないが。

 それにここは私の国じゃないから噂の管理なんて面倒なことはしないし、できない。もっと言うなら干渉するならもっと早いタイミングでやるし、もっと上手くやる。ジェシカ様に散々しばかれた私より上手く噂を扱える人間などそう多くあるまい。



 ところで聖女って何?


 ■


「聖女伝説のことですかね?」

「聖女伝説」

「この国の王家にのみ伝わる伝説らしいですよ。曰く、疫病で国が滅びようとしているときに現れたるは、光の乙女。彼女は清い心に光を灯し、」

「長い。くどい。抽象的。もっと短く簡潔に」

「だいぶ昔、この国の生まれとは思えないくらい魔法に長けた少女が疫病から国を救ったそうです」

「なんだ、まとめられるじゃない」

「折角語り口も覚えてきたのに……」


 少し不貞腐れた使用人から目をそらして考える。

 王家のみ、と彼は言った。ならば学園内で『聖女なら仕方ない』といった理由で納得するわけがない。聖女とは何ぞや、となる。そもそも私の使用人が知っているはずがない。


「お前、その話はどこで聞いたの」

「最近仲良くなったメイドの子から聞きました。彼女は同僚から、その同僚は仲のいい先輩から、先輩は別の家のメイドから。……それで発信源までちゃんと辿れたんですけど、どこだと思います?」


「……考えたくはないけれど、王子かしら。金属じみた光沢を放つ青い髪の」

「ご名答です!流石はディテ様、伊達に十年近く噂をこねくり回して都合の良いことを事実にしてきただけあります」

「おかげでジェシカ様には散々こき使われたけれどね」


 あまりにもお粗末すぎる。噂は淑女の嗜み、噂は女の領分だぞ。女子トイレに入れない男子には扱えない最後の神秘だ。神秘というにはドロドロし過ぎているが。

 ……まあ、だから噂という領域を取り上げようとするのも分からなくもないが。


 それにしたって簡単に噂のもとに辿り着けるようでは駄目だろう。内容の機密性はともかく、王家にしか伝わっていないなら、そこに閉じ込められていた理由もあるだろうに。それを自ら漏らすとはいかがなものか。


「それにしても分からないわ。その聖女伝説なるものが秘されていた理由も分からないけれど、そうじゃなくて、どうして貴族はそれを信じたのか、と、その聖女なる人間が蘇ったわけでもあるまいのに別の人間が聖女と持て囃されている現状の不可解さ」


 指折り数える。そういえば王家にのみ伝えられていた、という事実が出回っているのも不思議なことだ。……まあ、これは信憑性に難ありとなったときに苦し紛れに噂の元の王子が取り繕ったのだろう。王家にのみ伝わっていたのだ、とか。お粗末な物だ。


「そもそも疫病云々も怪しいものだわ。どうせ理由は劣悪な衛生環境によるものよ。不衛生な環境と疫病の発生率には関係があるとずいぶん前に証明されたはずだし、定期的な清掃で疫病の発生はおおむね防ぐことができる。いまさら聖女とかいう不確定な個人に頼る理由などないわ。それをいまさら持ち上げる理由なんて、」

「お言葉ですがね、お嬢様。公衆衛生などの分野は我が国は突出していると、以前あなたが仰っていましたよね?」

「……排泄物は窓から投げ捨て、豚はそれを食らい足元はネズミが駆け抜ける。そんな国にわたくしは何を期待していたのかしら」

「夢でも託していたんですかね」

「……国に帰りたくなってきたわ」


 なるほど我が国ならいまさら感が拭えない聖女でもこの国なら権力者が囲い込むに足る存在で、むしろ自分の生死に関わるのだから崇めるようにしてもおかしくない。そしてその存在の秘匿も。特別な人間を確保したいなら、ほかの人間に知られなければ良いのだから。


「それで、その今の聖女なる人間はどうして聖女になったのかしら」

「そこは流石に分かりませんでしたね。でも光属性の回復魔法にでも特化してたんじゃないですか?」

「光属性の回復魔法?」

「病の治癒や怪我の治療、浄化に特化しているのは光属性ですよね?」

「浄化もよく分からないけれど、病の治療と怪我の治療は治療の方法は別よ?どちらも同じ魔法で治そうと思ったら時間に干渉して遡るみたいな、信じられないくらい効率の悪い魔法になるじゃない」

「時間に干渉!?そんな魔法、うちの国でもまだ時間の属性魔力が発見されてないからできませんよ!効率が悪いどころか……、ちょっと待ってください、お嬢様できるんですか?」

「いや、それより属性魔力って何……?」


「え?」

「え?」


 □


 この前友達になった公爵令嬢は着々と婚約者の不貞の証拠を集めている。

 聖女云々には決して触れず、ただ自らの婚約者がいかに不誠実であったかを証拠とともに叩きつけるらしい。


 まあ、どんな形であれ婚約が破棄されれば、この少女は間違いなく王子の()()()()と思われるだろうし、向こうの不手際であっても王子が味見をして気に入らなかった、というレッテルが貼られることは間違いない。

 もともと婚約とは契約であって簡単に破棄できるものでもないのに。むしろ契約を蔑ろにした男には何の不利益もないのに、女の側ばかり不利益を被るこの分かりやすい男女不平等たるや。


 やっぱり婚約破棄なんてない方が良いと思う。

 前世の流行の闇の深さに社会の闇を思って久しぶりに不貞寝した。


 ■


 電波系小動物は破竹の勢いで突き進む。


 婚約者連合はいじめの現場をメタリックネオンたちに見つかったり、してもいないいじめを吹っ掛けられたり散々な目にあっているが。


 □


 それでも電波奨学生は止まらない。


 ついに噂を御しきれなくなったのか国が()()彼女を聖女と認めたのだ。

 それによりこの学園は彼女の天下になったと言っても過言ではない。最早平民出身の彼女は貴族より優遇される特権階級に成り上がった。


 しかし正式に、ではないのがミソ。


 彼女は、ガッツポーズをしていたあの時にはこのことを想定していたのだろうか。


 ■


 自国の偉い人から手紙が届いた。


 曰く、

『聖女になった元平民の正体を暴くこと』

『秩序を取り戻すこと』

 など、最新の情報を盛り込んだ指令書である。


 なお、この手紙の消印は一ヶ月前である。

 そして電波少女が聖女と認定されたのは一週間前である。


 ちょっと何が起きているのかよく分からない。


 □


 急に電波少女がこちらに関わってくるようになった。


 でもいまさらだ。彼女の正体だって何となく予想はついているし、能力の限界だって概ね分かった。

 少なくともうちの国にとって脅威になることもなければ、利益になることもあるまい。

 精々この国における影響力を考えたとき、象徴として利用することこそできても、そのくらいしか利用価値はないのだ。その程度なら別にこの電波である必要はない。


 彼女自身はずいぶん自分の価値を高く見積もっているようだけれど、実際そうでもないと思うと哀れみすら湧いてくる。

 だいぶ私に自分を売り込んでくるけど、あなたくらいの魔法使いに価値なんてあんまりないからな。実際、農村部の未就学児といい勝負だぞ。なんて言えるはずもないのでそっと私は曖昧に微笑んでおいた。


 だからキラキラヘッドも聖女を売り込んでこないでほしい。個人的に交友を持ってくれれば良いから、なんて冗談も休み休み言え。後ろ盾にする気しかないだろうが。


 ■


「マウリッツ、ざまぁという言葉を知っている?」

「ずいぶん懐かしい話ですね、ディテ様。何年振りでしたっけ」

「わたくし、あの言葉が嫌いと言ったわね、撤回するわ、セバスティアン」

「ディテ様がご自分の言葉を撤回なさるとは珍しい」

「わたくし、自分の言葉には責任を持つべきだと思うのよ、ウルリッヒ。だから曖昧な言葉は口に出さないようにしているの」

「素晴らしい心がけです。……でしたら私の名前もいい加減正しく呼んでいただきたいのですが?」

「義務も果たさないくせによくわたくしに何か要求できたものね、ヴィルヘルム。恥を知るべきだわ」

「……もしかしなくてもお嬢様、だいぶお疲れですね」

「……、まさか」


 精神をすり減らしてきたことは確かだ。

 衛生面なんかも不安過ぎて殺菌・消毒の魔法を常にかけ続けていたし。

 うっかり口を滑らせて私の国の利益を損なうようなことになったら私は地の果てまでも逃げなきゃいけないし。


 だからといってその程度で疲れるかといったら、それは別の話だ。

 この程度で疲れるはずがないと今世の私が言っている。きっと前世は社畜だったのだろう。覚えていないけれど。


「……わたくし、あんなに見下していたざまぁを心待ちにしているのよ。不愉快で仕方がないあの平民がすべてを失って這いつくばる様が楽しみでしょうがないの」

「彼女が断罪される側に回っていますけれど彼女、腐っても聖女ですよ。勝算はあるんですか?」

「なかったら、理由もなくわたくしの前に彼女を連れてきて跪かせてくれる?」

「別にお嬢様がそれで良いならそうしますよ。それで満足するというなら()はそのくらい構いませんけど」

「残念ね。わたくし、きっとそれじゃあ楽しくない」

「わがままですね、お嬢様は」


 使用人は肩をすくめた。


「仕方がないでしょう。だって()は休暇のためにこの国に来たのよ。楽しめなくっちゃ意味がないわ」


 私をこの国に送り込むときのジェシカ様の言葉が頭を過ぎる。


 曰く、

『ですから、あなたは……休暇とでも思って楽しんできてくださいね』

 である。


「ディテ様はまだ学生ですから、学園にいる限り仕事とは無縁な立場のはずなんですけどねえ」

「学園が擬似的な社交の場で、わたくしが貴族の生まれという事実がある限りきっと無縁とはいられないわ。世知辛いことにね」

「……それでお嬢様?勝算は?」

「おかしなことを聞くのね、ヴィンセント。わたくし、負け戦はしない主義よ」


 自称聖女は私の、正確には私の国という後ろ盾が欲しくてしょうがないらしい。なるほど、ほぼ認められているとはいえ、この国ですら正式に認められているわけではないのだ。もっと大きくて強い後ろ盾が欲しくなる気持ちも分からないでもない。


 ()()()()()()


 そんなこと私の知ったことではない。


 私は、私の言葉に価値があることを知っている。

 私は、私の言葉で価値を作り出すことができることを知っている。


 私は、私自身に価値があることを知っている。


「では、どうしましょう?」


 使用人はお手本のような笑顔を浮かべた。見慣れた表情だ。

 だから私もそれによく似た笑顔を浮かべる。


「今の聖女の都合が悪いなら、聖女を騙った罪で元々そんな人間居なかったことにしてしまえば良いじゃない」



 聖女は魔法に長けた女性。特に光属性に特化していればなお良い。光属性はよく分からないけれど、とりあえず傷や病の治療、公衆衛生の改善が図れる魔法が扱えれば良いのでしょう?

 それなら別に今の、この世界は私のものだ、とか拳を突き上げて言っちゃうような怪しい電波を受信してるあいつである必要はない。むしろ使い勝手が悪くてよろしくない。だから私への指令にもフェードアウトさせるように、と書いてあったのだろう。なるほどジェシカ様の先読みはすごい。


「その後、適当な貴族の娘でも聖女に仕立て上げれば恩も売れるわ。そのほかの権力者にはわたくしを聖女を騙る犯罪者の後ろ盾にしようとしたことで負い目を感じさせることもできる。完璧だわ」

「……今の聖女もどきが完全に被害者なんですけど、その点いかがお考えで?」

「人が人を嫌うのに理由はいらないのよ」


 それに、彼女だって想定していて然るべきでしょう?

 彼女だって散々他人の婚約者を奪い取っているし。家と家の契約に横槍を入れて、将来の安寧を捨てさせて、他人の人生を引っ掻き回しておいて自分だけは安全などと思い上がりも甚だしい。暗殺者でも差し向けられなかっただけ幸せなことじゃないか。


 他人の人生を取り上げるなら自分の人生だって天秤の片方に差し出さなくては割りに合うまい。


 だから私は自分の人生だけで()()()()()()()()()といっているのに。


「それとわたくし、分を弁えない人間は嫌いだわ。人のものに手を出す人間もそう。特にわたくしのものに手を出す人間とか、それに対価を支払おうとしない人間なんてもってのほか」


 安心してほしい。私は負け犬を甚振る趣味はない。

 ただ二度と私の前に姿を現さないでいてくれたらそれで良い。私はそれで満足なのだ。


「さあ、ディーデリク」


 正面の彼が改まった顔をする。


「聖女を、作りましょう」


 □


『ドロテア謹製 聖女作製マニュアル』


『聖女とは』

『〈検閲済〉における聖女伝説をもとに推定』

『この場では人間の回復力増強及び促進に特化した限定的な用途に限り〈検閲済〉の定める第九冠式以下の術の行使及びそれに伴う第三番から七番、飛んで十二番から十五番、更に特定の条件下に置いてのみ十七番回路を特異点に開放することが可能な人間を指す』


『この場では生活術式の展開が可能な等級外術士を聖女にすることを目的とする』


『用意する物』

『十から十五くらいの未婚の娘』

『↑貴族を推奨』

『※あくまで年齢は目安である』

『中級魔素貯蔵媒体』

『最下級変換炉』

『第九冠式相当展開回路識』

『↑擦過傷、発熱、切り傷、頭痛、腹痛、の回復、及び殺菌、消毒などの識を織り込むこと』


『手順』

『生体魔素変換器の回路の拡張』

『変換路の精錬』

『識の定着』

『※上記を生体に組み込む場合、回路の適正限界により人格障害などの障害を引き起こす』

『↑重要:必ず検体の同意を得ること!』


『回路の適正限界が低い場合は外付けの装置を用いる』

『↑変換効率の低下及び回路内の摩擦が増加するため変換炉は変換効率の良いものに変更』

『↑装置の寿命が短くなる恐れあり』


 ……………………

 …………


 ……





 ■


 この学園では年度末のパーティーは卒業パーティーと一緒になっているらしい。


 まさに卒業式の後の謝恩会の様相を呈している。

 華やかなドレスは『いかにも』だ。社会を中世に寄せるならばドレスだってこんなフリルとレースの集大成みたいなものになるはずがないのだが、その辺は見栄えのためだろう。

 見栄えというか、画面映え。

 この学園がゲームモチーフであれ漫画モチーフであれ小説モチーフであれ、もうなんでも良いのだ。それっぽいならなんでも良いのだろう。シナリオをすんなり進めるための便利ツールを人はご都合主義と呼ぶのだ。


 そして友達になった公爵令嬢の彼女は豪華なドレスに縦巻きロールがドリルだし、悪役令嬢ここに極まれり、である。ついでに婚約者であるはずの王子はエスコートする気がなかったのか彼女を放ってあの電波をエスコートしている。まさにテンプレート。


 対する電波な彼女はまさにヒロイン。その胸元を飾るのは左手を握るウルトラバイオレットヘッドの家の家宝のネックレス。その昔、国から賜ったらしい。

 頭の上で燦々と輝くティアラは右手を握るコバルトブルーヘッド王子から送られたのだろう。昔『隣国の王室に伝わる華麗なる宝飾品目録』で見た。

 さらにドレスはこの国で今をときめく新進気鋭の商会で最近取り扱いが始まったばかりのドルカシルク製。これは我が国からの輸入品だな。


 そのほかにもまあ目が眩むような品々で飾り立てているものの、凡庸な雰囲気は変わらない。これはいっそ才能だ。

 何か信念でもあるのだろう。化粧はあえて薄化粧。というか作り込んだ薄化粧?第二の顔、ナチュラルメイク、みたいな。日本の女子高生なら制服と合わせて平凡な女の子、と言えたかもしれないが家が立つような値段のドレスに装飾品に合わせると大変な違和感が。


 そもそも婚約者ではない人間をエスコートなんて眉を顰められるようなスキャンダルなできごとのはずなのに、文句は誰も言わない。

 権力は怖いね。間違っていることを間違っていると言わせない、いわば暗黙の了解という名の暴力だ。


 当然、私は出しゃばったりしない。私は部外者なのだから。むしろ勝手に出張ったらこの国の面子は丸潰れである。思っていても口に出さないのは優しさだ。もちろん、後で国に帰ったときは報告しますけど。


 それに、そろそろ私が何をするまでもなく事は動き出すだろう。


 逆ハーレムを成立させたヒロイン。

 婚約者を奪われた悪役令嬢。

 トロフィーとしての攻略者。

 そしてここはお誂え向きにパーティー会場。


 ここが乙女ゲームだろうが少女漫画だろうが最早なんでも良い。

 舞台に役者が揃って何も起きないなんて、演出家が許しても観客が許すまい。




 あ、不自然な青い髪が壇上に上がった。


「パトリシア・サラザール!」


 あくまで優雅に、私の友人たる公爵令嬢は壇上に目をやった。一瞬誰のことかと思ったけれどこの子の名前か。


 壇上ではいっそ毒々しい青色の髪の王子が平凡な容姿を着飾った少女の腰を抱いている。つまり王子が今呼んだのは婚約者の名前だということか。それもどこの馬の骨とも知れぬ女の腰を抱きながら。まさか煽っているのか。


「はい、殿下。どうなさいまして?」


 夢にまでみた光景だ。公爵家の彼女の方には人がいない。ヒロインは見目麗しい異性に囲まれている。そして特徴のない顔をした平凡な髪色の人間は自らをもってリングを作るのだ。


 慌てることなくゆっくりと一歩、また一歩とヒロイン王子連合の方に歩みを進める彼女は一瞬、ちらりと私に目をやった。


 気づけばパーティー会場自体がしん、と静まり返っている。



「パトリシア・サラザール!お前との婚約を破棄する!」



 言い切った!

 画面の中で、物語の中で幾度となく繰り返された台詞だ!実際に聞くと感動する。


「……殿下、ご存知とは思いますが、わたくしと殿下の婚約は感情にもとるものではなく、国を介した王家と公爵家の両家の合意に基づいた契約ですわ。それを正当な理由なく破棄することは、」

「当然知っている。しかしレオノールは聖女だ。癒しに秀でた光の力を持っている。それを王家の血に取り込むことは王家に連なるものとして当然の義務だ」

「しかし彼女は卑しい女ですわ」

「彼女を愚弄するのか!生まれに貴賎などない。全て等しく我が国の愛すべき民だ!僕はそれをレオノールから学んだ」


 キメ顔である。

 しかしここで重要なことは公爵令嬢の方はレオノール(なにがし)個人を指して卑しいと言っているのに対し、王子の方は彼女の身分を指して卑しいと断じたことだ。

 これぞまさしくディスコミュニケーション。


「この国では依然身分の差は大きい。有能な平民より無能な貴族の方が評価される。貧富の差は開くばかりだ!今こそ平民からの妃を迎えることで平民の待遇を改めるきっかけとし、富の再分配を、……、」


 青臭い理想論だ。

 さては電波に感化されてる間に良からぬ輩に吹き込まれたに違いない。お題目としては立派だが、それを成し遂げるに必要な労力も、既存の体制に縋るものどもの反発も全て無視して成し遂げられるものか。精々盾にされて終わりだろう。


「しかし殿下、それはわたくしとの婚約を破棄する理由とはなりませんわ。彼女を妃として迎え入れるにしても側室で十分、殿下のお気持ちは示せるかと」

「ひどいこと言わないでください!わたしたち、愛し合ってるんです!将来の約束だってしました!そんな人の正妻は別の人で、……ていうか別の奥さんがいるなんてそんなことあなただって受け入れられないでしょう?」


 空気が凍った。


 空気を凍らせた彼女はまあるい目を潤ませて、隣のブルーヘッドの胸元に縋り付いている。彼女はこの学校で何を学んできたのだろう。男を落とす手管か?


「……レオノールさん、まず、わたくしと殿下の婚約は契約によるもので、そこに感情の有無は関係ありません。また、殿下は将来わたくしのほかに側室として複数人の令嬢を受け入れるよう打診されていましたわ。殿下にその気がなくともわたくしからも推薦する予定で……、ですから、」

「愛していないのに結婚するんですか?そんなの殿下がかわいそう」

「……良い関係を築くことは必要ですから、尊敬の情も、共に並び立つものとしての信頼やそれに伴う敬愛という愛情は抱いておりましたわ」

「そんなの……!」

「もういい、レオノール。こいつには何を言っても僕たちの理想など分かるまい」

「ごほっ」


 分かってないのはてめえらだよ。思わず口をついた言葉を飲み込み、咽せた。

 私の咳払いはこのホールで嫌に響いた。


「……まあ、良い。……ニコラウ!」

「はい、殿下」


 王子の後ろに控えていた取り巻きの一人、メタリックパープルが眼鏡のブリッジを押し上げながら一歩前に出た。噛ませ犬臭がすごい。


「パトリシア・サラザール公爵令嬢。あなたにはいくつかの嫌疑が掛かっています。その全てが私のレオノールに関するものです。あなた、公爵令嬢という身分を傘に彼女をいじめましたね?」


 話せば話すほど噛ませ犬感が増す。いっそ才能ではなかろうか。


 濡れ衣です、と公爵令嬢は言った。

 そこからはパープルヘッドが罪状を述べ、今や悪役令嬢の立場に立った彼女がその時間のアリバイを証明する。まるで質疑応答のようだ。


 が、いかんせんつまらない。最初こそ夢にまでみた婚約破棄だ!ざまぁだ!と楽しめていたもののここまで来ると冗長なだけだ。

 観衆だってもう飽き飽きしている。電波殿下の側が口を開けば開くほど、捨てられた立場である公爵令嬢の言葉の正しさや、その正当性が際立つのだ。


 人は物語が自分の想定していた方へシナリオが進むと、自分の予測が当たったと楽しくなるが、それがあまりにも自分の予想どおりだと逆につまらなくなるらしい。


 人間ってわがまま。


 それにしても噛ませ犬パープルは本当に、他者を貶めているときはよく口が回るのに自分が劣勢になると急に口数が減る。

 いつか自らの婚約者が電波に水をぶっかけていたところを見かけて、嬉々として彼女を詰っていた日を思い出した。


「……嬢、……、ドロテア様!!!」

「……どうなさいましたか」


 急に呼ばれたから何かと思った。急に呼ばないでほしい。というかあの輪の中に入りたくない。それと名前で呼ばないでほしい。

 しかし私の願いも虚しく私の周りの人はパッと蜘蛛の子を散らすようにいなくなって、あっという間に私もリングの中の民の仲間入りである。


 皆が私に期待の目を向けている。さっきまでパープルヘッドといい勝負をしていた公爵令嬢の彼女ですら、だ。


 あ、視界の端に私の使用人が居る。堪えきれない、といった風に肩を震わせている。どうやって会場に潜り込んだのかは定かではないが、その態度はいただけない。灰色の目が銀色に光っている。主人の不幸を笑うんじゃない。しばくぞ。


 姿勢を正す。


「どう、なさいましたか」


 思いだせ、私の知る限り最も美しく気高い、完璧を体現するあの人を。


「あ、ああ。えっと、」


 あの背筋の凍る重たい言葉を。

 見透かすような冴えた眼差しを。


 一周回った威厳は威圧になると教えてくれたサイボーグを。


「改めてご挨拶差し上げます、殿下。わたくしは帝国がヴェンツェル伯爵の娘、ドロテア・エストアシュディと申します。このような場にお招きいただき、至極恐悦に存じます」

「あ、ああ。ヴェンツェル嬢も楽しんでいただけているようで……しごく、じゃない、嬉しく思う」


 なに、富の再分配だ、平民の身分の向上だ、と貴族も平民も自らの下に見ていることにすら気づかない王子に立場と場所を少し思い出させてやるだけだ。ここは貴族の学園で、社交界の縮図で、私がここにいるうちは外交の場でもある、ということを。


 王子と電波とその一行のしでかしたことによって緩んだ空気を一気に捲る。


 よく見ておいで、本当に力のある人間はその立ち姿一つで空間を支配してしまうのだ。

 生憎、私は本当に力のある人間って訳ではないけれど、それを真似るくらいならお手の物だ。ずっと見てきたのだから。


「ドロテア様!わたしのこと……、」

「殿下、そちらの方はどちらのお嬢様ですか?」

「っ、レオノール!……申し訳ございません、これは……、レオノールと言います。ヴェンツェル伯爵令嬢とも在学中に何度かご紹介しようと思ったのですが……」

「まあ、わたくしに?」


 扇を開いて口元を隠すように持ち上げる。

 目には感情を乗せないこと。


「これは……、私の……愛する人です」

「この方が、ですか。……にしては随分……」


 品が無い、とまでは言い切らない。地味とも言わない。勉強が心配とも言わない。公爵家の彼女の方が綺麗だよね、とも言わない。想像させることが大切って前世の私が言っている。

 ほら、案の定窘められて拗ねた顔をしていた電波が顔を赤くする。この純朴そうでいかにも平民じみた仕草がハイソサエティな彼らの何かに刺さったのだろう。私には分からないが。


 電波少女がぐっ、と身を乗り出した。何やら私に言いたいことがある様子。いいでしょう、私は優しいから聞いて差し上げないこともない。


「ドロテア様はわたしたちのこと、祝福してくれますよね!」

「何故です?」

「え、っと……、ほら、わたし、この国の聖女だから」


 私は王子の方に目をやった。彼はすぅ、と目を逸らした。

 そうだよね、自国民なら黙らせることはできても私には言えないよね。だって国は正式に認めてない。つまり今の状況は子供のごっこ遊びと同じだ。子供のごっこ遊びで学園を引っ掻き回したなんて私から国に報告されても困るわけだし。


「殿下、彼女の仰っていることについてご説明いただいてもよろしいでしょうか。我が国には聖女と呼ばれる身分がありませんので、どれだけの価値があるのか測りかねます」

「……聖女というのは比喩です。光属性の魔法に秀でた女性、という程度に思っていただければ」

「光属性とは、傷や病を癒し、清める。そういった属性ですね。そしてこの国ではそれに秀でた女性を聖女と呼ぶ。……聖なる、というからには未婚の女性が好ましいのでしょうか」

「そうなります」


「ヴェンツェル様、あとはわたくしが」


 ここまで気配を消していた公爵令嬢が私の斜め後ろに現れた。怖いから無音で移動しないでほしい。

 というか、あとはわたくしがってなに?美味しいところだけ持っていくよって?


 彼女は一歩前に出た。

 ここで食い下がると逆に面倒だ、私も一歩下がる。


「聖女と言いますけど殿下、彼女、本当に魔法が使えるのでしょうか?」


 私が言いたかった台詞を持っていきやがった!狡い!


「何を言う!僕が嘘をついたとでも言うのかお前は!」

「そこまでは言っておりません。ただ、魔法使いの中でも特に希少な光属性の魔法使いですのよ?証拠が見たく」


 そう、まさにそれこそ私がやろうとしていたことだ。

 彼女が本当に魔法を使うことができるのかここにいる人はほとんど知らない。だから実際に使って見せろという。できなきゃそいつは聖女を騙った罪人になる。とても簡単で分かりやすい。

 そしてこれは自称聖女の側にも利点があって、ここで認められればそのまま名実ともに聖女に成り上がることが可能なのだ。

 おそらくここがゲームならターニングポイントだろう。ステータスを上げていれば魔法が成功する、とか?


 事実、彼女は魔法を使うことができるし、俗に光魔法と言われるジャンルの魔法も使えるのだろう。少なくとも私はそのことを知っている。

 だからこそそれを利用して叩きのめそうとしていたわけなのだが……この公爵令嬢は何を知っているのか。


「良いだろう。……だが怪我人が必要だな」


 ならば私が、と沈黙を守っていたパープルヘッドが手を差し出す。先日鍛錬の時に打ち据えてしまって、と痛そうな青痣を見せびらかす。一番痛そうな時期だ。

 痛そう、すぐ治しますからね!と気合を入れた電波少女がパープルヘッドに手を伸ばす。


 公爵令嬢の方がどうしてそんなに自信ありげなのかはわからないけれど、私は私の計画を実行せねば。


 表情は決して動かさないこと。

 瞬きは自然な速度で行うこと。


 決して気取られぬように。


「……あれ?」


 自らの勝利を確信して、隠しきれず歪んできた表情が崩れる。

 自らの手を見て、何度も握っては開いてを繰り返す。


 聖女を名乗る少女の魔法は発動しなかった。


 見るからに痛そうな青痣の浮かぶ患部を彼女は何度も叩く。

 痛そう。


「なんで!?ちゃんとステータスも振ったしスキルも取って、今まで失敗したこともなかったのに!」

「……やっぱりあなた、転生者でしたのね」

「やっぱりって……あんた、あんたが何かしたのね!返して!私の魔法が!!!」


 パープルヘッドの腕を投げ捨て自称聖女がこちらへやって来る。すごい形相だ。まさに般若。口調も崩れて表情も崩れて怖い。いつか見た目のギラつきが前面に出ている。

 彼女はそのまま私の斜め前にいた公爵令嬢の胸ぐらを掴む。高そうなドレスに皺が寄る。


「あんたがいじめもやらないからイベントも発生しなかった!隣国からの留学生だってあんたさえいなければちゃんと後ろ盾になってくれた!あんたが、」


 ばちん、音がした。

 いいスナップだ。ペンより重いものを持ったことがない貴族の令嬢とは思えない威力とキレ。思わず自称聖女の言葉も止まる。


「いい加減になさい!ここはゲームの中ではなくってよ!いくら似ているとはいえ現実ですわ!ゲームの通り魔法が発動して聖女に認められて王家に嫁いで、ハッピーエンドなどとそんなこと……!ステータス画面もなければ好感度も目に見えるものではありませんわ。ここにいるのはキャラクターではなく血の通った人間ですのよ!」


 激しい言葉だ。けれど紛れもない真実だ。

 叩かれた頬に手を当てて、偽聖女となった少女は呆然とその言葉を聞いている。


「ゲームのトゥルーエンドを迎えたって、それで終わるものじゃなくってよ、人生は!幸せに暮らしました、めでたしめでたし、の幸せに暮らしました、を成立させるためにどれだけの労力が必要か知っていて?」


 気づけばパーティー会場は彼女の独壇場だ。

 誰もが彼女をみている。けれど彼女の言葉の意味がわかっている人間などほとんどいないだろう。そう考えると公爵令嬢という身分で、大体の人間からしてみれば意味の分からない言葉を感情のままに叫ぶという行為はマイナスになりこそすれ、良いことなど一つもない。


 それでも彼女が語り続けるのはなぜか。


「わたくしたちはもう、どこにも行けませんのよ。物語が終わった後もここで生きていくほかありませんの」


 それを知っていながら、自らの言葉によって自らの立場を危うくし続けるだけの意味を。


「……わからないよ。じゃあどうすれば良かったの?あなたは下町がどんなところか知ってるの?知らない言葉で、知らない文化で、帰りたくてしょうがないの。でも帰れないの。わかる?そんなところでずっと生きていけっていうの?思い出にすがっちゃだめ?希望を持ってちゃだめ?……幸せになりたいって思っちゃだめなの……?」

「……分からないわ。わたくしとあなたの置かれた立場は全く違うから。……でも、あなたはわたくしと同じよ。同じ文化を、同じ言葉を、同じ思い出を共有しているわ。今からでも遅くないでしょう?きっと、わたくしたちには言葉を交わす時間が足りなかっただけですわ」


 少女たちは手を取り合った。宗教画じみた美しさだ。

 なるほど、どちらも孤独を感じていてそれを埋める相手と互いを認識したのか。そしてそれに先に気づいたから自らの公爵令嬢という立場に目もくれず、感情を曝け出し相手の理解のみを求めた。


 言葉にするだけ無粋だな。


 それにしても平民の彼女が転生者だったことは予想がついていたけれど、公爵家の彼女もそうだったとは気づかなかった。まだまだ精進が足りない。



 二人の少女に感化されたのか少し感動的な会場の空気を変える。なに、パチンと扇を閉じてやればすぐだ。

 ぱ、と弾かれたように視線が私に集まる。


 ごめんね、私はそういう感動系に流されないんだ。


 ていうかさっきまで散々言い合っていたじゃないか。愛し合っているから他の人を娶るのは嫌ですとか、それは義務ですとか、お互いの立場に立って互いを受け入れる余地なんて全くなさそうだったじゃないか。なのにどうして今ほんの一言、二言交わして分かり合ったような風になっているのか。理解できない。


「では、そちらの方は聖女を騙っていた、ということですね」


 ほらご覧、私の顔を。表情だってさっきと何も変わっていないでしょう?

 だから観衆は先ほどまでの張り詰めた空気に戻らざるを得ない。


 そう。彼女の魔法は失敗したのだから。


 正直、彼女らが転生者で和解して友情エンド的なエンディングを迎えようが私は()()()()()()

 長い長い卒業パーティーはもう飽きた。エンディングを迎えるまで待っててあげたんだからそれでいいだろう。私はエンドロールは見ない人間なんだ。


 ジェシカ様直伝、ここぞという時の笑顔を浮かべる。

 気分はセールスマン。胡散臭くても私の立場があれば皆、嫌でも耳を傾ける。


「それでは、ここでわたくしから聖女に代わる方をご紹介させていただきます」


 ドロテア謹製人工聖女、特とご覧あれ。


 □


 聖女の素体にはメタリックパープルの婚約者を使った。

 実際に人間を改造するわけではなく、外部装置によって魔法の部分を補うだけなので素体に求められることは特にない。というか正直魔法を発動したい場所に指を向けて、なんらかの魔法を発動させることができれば良いのだ。


 だからバケツなしに電波な彼女に水をかけることができるなら、それでもう十分。

 他意はない。


 ちなみにあのパーティーにおいて電波系転生少女の魔法が発動しなかったのは私が妨害したからである。

 私とて魔法大国出身、最低限の魔法の技術は修めている。それこそ、相手の魔力を撹乱して魔法を正しく発現させない技術だって。

 なお、私の一番得意なことは相手の魔法の妨害だ。相手に妨害を気づかせない繊細さと、的確に術式を挫く破壊力。どちらも我が国最強の魔法使い(ジェシカ様)に「お前には勝てない」と言わしめたものである。こんな国の聖女という名前に満足するような少女など敵ですらない。


 ■


 婚約破棄パーティーは無事終わって、次の学期を待つ長期休暇である。そういえば去年、国を追い出されて急にこの国に送り込まれることになったのもこの時期だった。

 思い出した、という風に使用人が切り出す。


「それで、結局あのとき新しい聖女もどきを紹介する必要はあったんですか?」

「特にないわ」

「ならどうして」

「強いていうならそうね、わたくしの手でのざまぁが済んでいなかったかしら」

「暴君だ……」


 理由はともかく私の仕事を途中で取り上げたことは忘れないぞ、公爵家の。

 それにあいつ、あのとき私を後ろに置いて私の言葉を代弁している、という体を装って安全圏で自分の主張だけ投げていった。私の言葉を取り上げて。


 あいつは私を使ったのだ!


 挙げ句の果てに自分は自らの孤独を癒す同胞を見出し、あたかも良い話であったかのように片付けようとした。そんなことが許されてなるものか。


「でも良いじゃない。この国には生まれも育ちもなんの瑕疵もない、極めて使い勝手の良い聖女が手に入った。発言力が高まりすぎていた公爵家は退場させられた。我が国は本当の聖女を紹介した、という恩が売れた。どんな問題があって?」

「問題というか……結局ディテ様お友達できませんでしたし、きちんと休暇になっていたのかな、と」

「平気よ、ビョルンスティエルネ。元々自主的な休暇でなく送り込まれたのよ。休めるなんて思ってなかったわ」

「待って誰それすごい名前」


 思わず突っ込んでしまった、といった顔をしている。やらかした、という感情が隠し切れていない。

 眉間を揉むようにして彼は表情を作り直す。


「……違います、そうじゃない。俺が言いたいのはそうじゃなくて、ディテ様が少し落ち込んで、いや憤って……違うな、何か後悔しているように見えましたので」

「後悔……いいえ、それは少し違うわね。わたくし、きっと羨んでいるのよ、エミル」


 羨むというか、妬んでいる。


「あそこまで愚かになれる恋情に憧れるのはおかしなこと?立場を投げ打ってでも手に入れようと思える友人がいることを羨むのは不思議なこと?差し出したものに見合う理解者を手にした人間を嫉むことはいけないこと?」

「いいえ。……ただ、ディテ様と嫉妬という感情が結びつかなかったもので。お嬢様でもそういう感情を抱くんですね。少し安心しました」

「お前はわたくしをなんだと思っているの」

「でもディテ様、ディテ様にはミクシヤ公爵令嬢がいるじゃありませんか」

「ジェシカ様のこと?あの方とわたくしの間には羨む気すら起こらないほどの隔絶があるわよ。あの人を同じ人間という枠に入れないでほしいのだけれど」


「でもディテ様、ミクシヤ公爵令嬢のこと大好きですよね」


「……は?」


 威力の高い言葉に考えていた次の言葉が吹き飛ぶ。

 彼が何を言っているのか理解できない。ただ、信じがたい言葉が出てきたことだけは確かで、それを頭が理解することを拒んでいて、言葉になる前の音が口から漏れた。


「だってお嬢様、あの方の言葉は素直に聞きますし、何か言うときは大概二言目には『ジェシカ様』ですよ?大好きでしょう」

「ない!そんなこと絶対ない!!」


 ありえない!

 あの人がいなければ私はもっと楽に生きられた!この国に来る必要もなかった!胃を痛める必要もなければ、プレッシャーに押し潰されそうになることも、学生の身分で責任を背負うこともなかった!甘やかされた令嬢のままでいられたのに!


「仮にわたくしが彼女に好意に似たものを抱いていたとしてそれがどうして『ジェシカ様がいる』に繋がるの!」

「ご友人じゃないですか、お二人は」

「ええそうよ、ジェシカ様はわたくしという駒を得て、わたくしはジェシカ様の庇護に入る。それを人は友人関係と呼ぶの」

「いえ、そうではなく、もっと一般的な互いへの信頼の上に成り立った……ああもう、面倒くさいですね、つまり友達ってことですよ」

「……友達の定義が知りたいわ」

「定義なんていうだけ無駄なことですよ。俺が言ったってそれは俺の定義であってディテ様のそれとはきっと違います。……まあ、強いていうなら相手のためにしてあげたいことがあるってことも要素の一つだと思いますし、それが好意の一端でもあると思いますが」


 友達ってなんだ。友人とは違うのか。

 以前、対等な立場の人間同士で成り立つものと聞いたことはある。けれど、対等な立場って何?経済状況の差、育ちの差、環境の差、同じ身分でもそういう差で立場は変わるのに対等とは?

 それに好意?友人関係には感情まで必要なの?

 してあげたい、とは?それに見返りを求めない方がいいのか。でも、してあげたことに対して感謝の気持ちを求めてしまう人の心はいけないもの?


「……ディテ様には少し難しかったかもしれませんね」

「つまり、お前とわたくしは友達なのね!」

「それは違いますが!?」

「……そうね、思い返してみればわたくしとお前は主人と使用人という関係に過ぎなかったわね。お前がわたくしに何かを差し出すのは言葉を含め全て業務の範囲内だったわ」

「……俺のしてきたことが全部業務って言葉で片付けられるとそれは少し困るんですけど……」

「そういえば一人称が崩れているわ。国に帰るまでに直しておきなさい」


 もう分かんない。この人分かんない。と頭を抱えてしまった使用人から目を逸らした。

 安心してほしい。私もわからない。お前のことも分からなければ自分のことだって分からない。人生二回目とはいえ、一回目の記憶は最早薄れて記録に成り下がり、そもそも交友関係どころか自分の名前すら思い出せないのだ。毒にも薬にもならない。


 そもそも友人とか友達とか、そういうモノの定義を考えてはいけないと思う。考えれば考えるだけ、その定義から外れたものを切り捨てていくことになって、結局孤独になってしまう。思考の放棄ということなかれ。私は臆病なんだ。下手に人間関係の定義をいじり回して一人になりたくはない。


「時折お嬢様の年齢が分からなくなります。歳にそぐわない考え方と態度ですし、かといって友達とかそういう人間的な()()()()部分はびっくりするほど幼い。本当は幾つなんですか?」

「レディに年齢を聞くなんて躾がなってないのね」

「そういうところですよ、そういうところ」

「ちなみに正解は十五よ。主人の年齢くらい覚えておきなさい」

「……俺より六、下かぁ」


 こいつ二十一だったんだ。

 と、そんなことはどうでも良い。気づけば嫉妬も不愉快さもどこかに消えてしまった。なかなか良い気分だ。


 それに好意についても少し分かった。きっとそれは()()()()()ではなく()()()の気持ちを指すのだろう。

 きっとほかにも好意を定義する言葉は沢山あるのだろう。でも今の私にはこの一つで十分。


 私はジェシカ様にこの国であったことを報告()()()()()()


 彼の言うように、彼女と私の関係が友人であるか否かはそのあと考えればいい。

 そうそう、友人関係とは一方向のみの認識では成り立たないものと聞いたから、彼女と友人という定義について話し合ってみるのも悪くないかもしれない。


 それに、


「ねえ、ディーデリク」

「改まってどうしました?私の名前をちゃんと呼ぶなんて珍しい。何か欲しい物でもありましたか?今ならなんだって用意してあげますよ」


「わたくしのこと、好き?」


「……は?」

「お前は私に仕えているけれど、そこに感情があるのか気になったのよ。それに業務という言葉で片付けられては困る、と言ったのはお前だわ」


 あー、だの、うー、だの人間の言葉を放棄して喃語を発している使用人は国境を超えてまで私について来た、唯一私に仕える人間である。そこに一切の情がないなどと言わせてなるものか。

 例え頭を抱えて呻くしかできない今の姿がいかに滑稽であろうと、ずっと私に仕えてきた特別な人間だし。


「好意があることは確かです」

「そう、それは良かった。わたくしもお前のこと、好きよ」


 そう言った瞬間使用人が止まった。


「わたくしはお前の名前を呼んで()()()()()()()とは思わないのよ。覚えることも苦痛ではなかったわ。これを好意と呼ばずしてなんと呼ぶの」

「まさかのスタートライン」

「もし、お前が使用人でなかったのなら、わたくしはお前を友、とか家族、と呼んだでしょうね」

「それでもなお自らの立場を忘れないお嬢様は素敵です」


 気分が高揚してきた。

 対して使用人の彼はだんだんテンションが下がっているけれど理由はわからない。人間って難しい。


「あーそうでした。ディテ様ってそういう人でした。俺が仕えてるのはそういう人間性に著しく欠陥があって情緒が赤ちゃんみたいなお嬢様でした」

「良かったわね、わたくしがお前に好意をもっていて。さもなくばお前をそこの窓から逆さに吊るしていたところよ」


 そこまで言い切ったところでドアの向こうから声がかかる。どうやら馬車の支度ができたらしい。

 もうこの国ともお別れだ。


「さて、ディーデリク。()たちの国に帰りましょうか」

「ええ、ええ。もう、どこまででもお供しますよディテ様」



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