消えた
鬱陶しい。何もかもが邪魔で邪魔で仕方がない。いちいち訳もないのにテンションだけ高くて常に叫び散らす馬鹿。伝統だとか言い伝えなんてなんの正確性もない伝承を古ければいいと勘違いして頑なに新しいものによる真実を拒絶する老害。自分が世界の中心だと思い込む傲慢で道徳性のかけらもない餓鬼。自分たちが何時も正しいと思い込み、その正しさに当てはまらないと問題があると決めつけて連行する警察。全て凡て総て消えて仕舞えばいい。
気がつけば周囲に人の気配はなくなっていた。僕はただ一人いつもなら人がごった返しているはずの道を歩く。歩いている間、誰一人として人間がおらず、いつものうざったい喧騒が嘘のようだった。
「いいな。どういうわけか知らないけど人が消えた。嗚呼、この静けさが心地いい。」
そう呟きながら大通りに出て、前方にいるそれを見つけた途端、深いため息が僕の口から飛び出た。前にいるそれは、かつてはこの世界を我が物顔で歩いていた人間だった。その人間は僕を見つけると走って寄ってきて僕の手を掴んだ。「ああ、よかった!もう、私以外に人はいなくなってしまったんじゃないかって…。あなたの他に人はいないの!?」彼女は泣きそうな目でこちらを見つめながらそう問いかけてきた。
「いないよ。」
僕がそう言うと、女はさらに泣きそうになって、本当かどうかを尋ねた。僕が間違いないとキッパリと言い切ると、彼女は堪えていた筈の涙を堪える事が出来なくなり、地面に座り込んで泣き出してしまった。
「…なんで泣いているの?」
そう思わず彼女に聞いてしまった。
「なんでって、あなたは悲しくないの?みんな消えてしまったのよ?」
「いいことじゃないか。そもそも人なんていうものは多すぎたんだ。消えてしまっても何も悲しくなんてないよ。何なら清々しいほどさ。」
「どうしてそんなことが言えるの!?あなたの家族も友人も皆々消えてしまったのに。」
「だからなんだよ。あんたの価値観を僕に押し付けんなよ。そもそもあんたが悲しいなんて思えるのはあんたの今までが幸せすぎただけだろ。」
「なっ!」
「今までが幸せだったあんたはこの状況が悲しく思えるのかもしれないけどな、僕にとってはこの場以外の誰もいない状況が幸せですらあるんだよ。皮肉なもんだよな。幸せだからこそ感じる不幸と不幸だからこそ感じる幸せがあるなんてな。」
僕がそう言うと彼女はピタリと話すのを止め、未だに赤く腫れている瞳のまま立ち上がって歩き出した。
「どこへ行くんだ?どうせ誰もいやしないのに。」
僕は歩いていく彼女の背中に尋ねたがその問いが帰ってくることはなかった。
彼女と僕は共に行動をしている。別に人が恋しいとかじゃなくてただ単に一人で食料から寝床までの全てを用意するのが大変だからにすぎない。あの日、人が消えた最初の日から彼女はほとんど喋らなくなった。僕が話しかけても何も返さずに歩き続けた。人がいないから静かで楽なのは確かなのだが、電車やタクシーなどの移動手段が無くなってしまったのは正直困った。こんなことなら無人操縦機能のある車を早く開発しておいてくれればよかったのに。
僕は人間は嫌いだが、別に人間の作り出した技術とか文化は嫌いじゃない。ただ最近の便利な道具の数々によって何も考えずに生活できるようになってからの何の意味もなく騒ぎ続け、干渉してくる奴らが邪魔で嫌いなだけだ。そういった僕なりの基準からすれば彼女のことはそこまで嫌いではない。今まで幸せに過ごしてきたであろうことも今となっては同じ状況にいるのだから何も思わないし、自分より幸せだからと言っていちいち妬んでいたりなんかしたら地球上に存在していたほとんどの人間を妬まなきゃならなくなる。そんなのは合理的じゃないし、何より疲れる。
「ねえ、あんたは...今までどんな生活をしていたの?」
不意に彼女が喋りだした。今の地球上には彼女の他には僕しかいないわけだから彼女がおかしくなっていなければ彼女が聞いているのは僕ということになるのだが...
「どういう風の吹き回し?今まで黙りこくっていたのに。」
「なんでもいいでしょ、それよりどんな生活だったのよ。」
「別に裏稼業、いわゆるヤクザ者に拾われてからずっと死体の片付けや抗争相手に忍び込んで情報を漁ったりだよ。」
「なにそれ、なんなのよ...。」
正直、人に物を尋ねる態度ではないだろうとも思ったが別にそこで争っても意味がないのと、特別隠しておきたいものでもないので話してみたが彼女にとっては衝撃だったらしい。歩いていた足が止まってしまった。
「じゃあ僕も聞くけど、あんたは今までどんな生活をしてたわけ?」
「っっと、...普通に、学校に、行って、普通に...。」
「ふぅん、そ。」
「...家族は、家族はどうしたの?」
「死んだ。っていうか僕を捨てて逃げた。」
「そっ、そう。」
彼女はまた黙り込んでしまった。...本当にすぐに黙るなこの子。
人が消えた『あの日』から二週間が経った。僕らは最初に会った時からは少しばかり仲が良くなった。彼女はたまに黙り込むこともあるけれど基本的には僕と何か雑談をすることが多くなっていた。僕らは良く話すようにはなっていたけれども、それでも以前の自分の生活については二人とも話そうとはしなかったし、聞こうともしなかった。僕は小学生の頃から義務教育を受けられていなかったから彼女の知識は面白くて興味深かった。人のいない生活にも慣れて食事の用意や寝床の確保をするのにも余裕が出てきた頃から僕は彼女に勉強を教わっていた。お互いが話すようになってからまだそんなに時間が経ったわけでもないからそこまで教わってはいなかったけれど、そもそも仕事をこなせるようにある程度の教育は教わっていたから中学一年の後半ぐらいまではできるようになった。それからも、僕が彼女に自分の知らないことを教えてもらうのが楽しかったのもあって、彼女が教えてくれたものをよく反芻していた。そんな甲斐もあって僕は本屋で見つけた問題集を彼女の寝ている時とかに隠れながら丸々一冊解き終えた。
「やったぁ!!解けたぁ!!」
「ん?何がぁ?」
彼女は寝ていたのを僕の声で中断されたらしく、完全に寝ぼけた声で聞いてきた。
「この問題集だよ!」
そう言いながら僕が彼女に解き終わった問題集を渡すと、彼女はまだ寝ぼけた声で渡された問題集を見て驚いた。
「何これ!?大学入試の赤本じゃない!え、これ全部解き終わったの?」
「そうだよ!ちなみにね、全部自分で解ききったよ。」
「嘘、あんた前まで中一の範囲までだったじゃない。何でこんな早いの...。」
「楽しかったからじゃない?」
「あんた...もしかして私より賢い?」
「ははは、さすがにそれはないんじゃない?」
そんなことを言いながら、結局、その日はなかなか寝付けずにしゃべり続けた。
僕らは彼女の実家に帰ってきた。けれど、そこにも彼女の両親やお隣さん、人の姿はなく、閑散としていた。彼女が家の庭を通って窓から家の中に入ると、家の中に溜まっていた埃が家中に舞い、埃の苦手な彼女は咳き込みながらも人がいなくなってから誰に使われることのなくボロボロになった懐かしい我が家に入っていった。家の床のには埃がたまっていて、彼女が歩くたびに彼女の靴の跡が床に残り、そのくっきりとした後が厭に目についた。彼女の背中は見るからに落ち込んでいて、僕はそんな彼女を見るのが辛かった。彼女は家の中を一通り歩き回ると、庭で待っていた僕に近づいて泣き崩れた。
「わかってた。私だってわかってた。覚悟だってしてた。もう、私たち以外誰もいないって。でも、わかってるつもりだけだった。家に帰ってきて、本当に誰もいないって突きつけられて、覚悟なんて吹っ飛んじゃった。」
彼女は泣きながら微かに笑って、そう、僕に言った。僕は、彼女になんて言えばいいかわからなかった。僕は誰もいなくなったこの世界を楽しんでいた。そんな僕に心から悲しんでいる彼女になんと言えるだろうか。問題集を解ききった僕の頭脳もこれには一切役に立たなかった。
「ねえ、あなたはそばにいてくれる?ずっと、私のそばで消えないでいてくれる?」
「うん。消えない。ずっとそばにいる。」
僕はそう返して泣き崩れたままの彼女をそっと抱きしめた。しばらく泣いていた彼女は泣き疲れたのか、僕の腕の中で寝てしまった。
「消えてしまわないか不安なのは僕のほうだよ...。」
僕は彼女を抱きしめながらそう呟いた。
翌朝、僕は美味しそうな味噌の匂いで目を覚ました。目を開けると、インスタントコンロの上で小さな鍋をかき混ぜている彼女がいた。
「おはよう!よく眠ってたね!お味噌汁できてるから食べて!」
「うん。ありがと。」
いつもより高いテンションの彼女の目は赤く腫れていて、気丈に振舞っているけれど、無理しているのはよくわかった。けど、一生懸命に張っている気を途切れさせては昨日のようにまた彼女は泣いてしまうかもしれない。僕にはそれが耐えられそうになかった。結局、僕は彼女の心の傷には触れないように怯えながら過ごすしかなかった。
「遊園地に行かない?」
僕はそう彼女に提案した。実家に帰ってから元気のなかった彼女は僕のその提案をこれといった反応もせずに賛成した。僕らは遊園地に向かって進んだ。もちろん乗り物なんてないから徒歩で。僕らは以前のように一緒に歩きながらも前のように喋ることをしなかった。実際は僕が話しかけても彼女の反応があまりにも薄いせいで会話が弾まず、話しても一言二言で終わって黙り込んでしまう。一つ一つ歩みを進めるたびに彼女を元気付けるためにしたこの提案が間違いだったのではないかという感覚に襲われる。心が重い。心の重さに比例して足取りが重く重くなっていき、歩みを進めるのが億劫に感じる。
「ねえ、ねえ、ぼく、ついたよ。」
「え?ああ、ほんとだ。」
彼女に呼びかけられるまで目的地についていたことに気づかなかった。
「じゃあ、行こうか。」
そう言って僕は遊園地の中に足を踏み入れて初めて気づいた。人がいない。前に一度だけ来たこことは違う遊園地はもっと賑やかでキラキラしていた。
ーーーわかっていたと思っていた。わかっているつもりだった。
人は、消えたんだ。
僕が彼女の方を見ると彼女の瞳には光が貯まっていた。人がいないことなんて、今までだって気づく場面なんていくらでもあったはずだ。けれど、忘れていた。それをここにきて、彼女に親の消えた痛みを忘れてもらおうと思って来たこの遊園地で気づくなんて。ああ、嫌だ嫌だ嫌だ。こんな情けない自分が嫌になる。隣にいる一人の悲しみさえ和らげてやれない自分が、情けなくて大嫌いだ。何が彼女のためだ。今泣かせているのは僕自身じゃないか。
「ごめんね...。私泣いてばっかで情けなくて...。」
彼女のその言葉が、僕には辛く苦しく感じられた。
人がいなくなってから一ヶ月が経った。彼女も一時はよく泣いていたけれど、最近ではよく笑うようになっていた。僕は彼女の笑顔を見るたびに幸せを感じる。最近気づいたことなのだけれど、僕は彼女のことが好きらしい。彼女が楽しそうにしていると僕自身も楽しいし、彼女が悲しいと僕も悲しい。彼女にそのことを告白したら「私もだよ。」なんて言われてしまった。...でも僕はたまに心配になる。僕が、彼女がお互いのことを好きなのはこの世界に僕と彼女しかいないからじゃないかって。他に人がいたら他の人を好きになってしまっていたかもしれないって。
「そんなに考え込んでどうしたの?」
「少し、...考えてたんだ。こんな世界にならなかったら今みたいに君のことを好きにならなかったんじゃないかって。」
彼女は少し考えると、僕に言った。
「そりゃあそうじゃない?でもさぁ〜、今はお互いに好きなんだから別にいいよ。別に今他に人が現れても好きじゃなくなるわけじゃないでしょ?」
「...うん。そうだね。」
彼女の言う通りだ。別に今から他の人を好きになるわけでもないしそんなに深く考えることじゃないのかもしれない。取り敢えず今お互いがお互いのことを好きだったら関係ないかな。
僕と彼女は結婚した。とは言っても今では住民の情報を管理している市役所もその機能を果たしていないから婚約届なんてものを出すところもないけれど、彼女に指輪を贈った。誰もいなくなったからいっその事とびきり豪華なのを渡そうとしたけど、彼女は「あんまり派手じゃない方がいいかな」って言ってた。僕ら以外に使う人もいないし、怒られるわけじゃないんだからいいとは思うんだけど着ける本人が言ってるんだからと思っておとなしく従った。
最初は少し保存のきくものを食べてたんだけど、最近では人がいなくなってから増えた動物を狩って保存のきくものと一緒に食べたりしてる。まだ人が消えてから一年ぐらいしか経ってないからほとんどのものは消えた当時のままで残ってる。学校教育の本だけじゃなくて、狩りの仕方とかいろんな道具の使い方とかの本、あとは娯楽になるような本とか色々読んでる。人がいなくなって喜んでた僕もすっかり読書にはまってからはこれ以上本が増えないのが残念になった。
そんな感じで、人が消えた世界で僕らは二人だけの時間を生きて、そして、二人一緒に...。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
評価、感想を送っていただけるとありがたいです。
これからも色々と書いていきたいと思っていますのでよければ読んでください。