隠神刑部狸の噺
東京を江戸と申した時分のお話。
伊予の国には、天智天皇の時代に起こりを持つほどの歴史を誇る狸がいた。産めよ増えよと数を増やしていった狸たちは、この頃になると八百と八匹にまで増えていた。
そして、その狸たちを治めていた一匹の狸がいる。
かつて松山城の城主の先祖より「刑部」という称号を賜ったその狸は、四国随一の神通力を誇り、城内の侍、城下の町人から百姓に至るまで、信仰を集め人々を守護していた。
これが『隠神刑部狸』である。
◇
それから後、享保の大飢饉が起こる。
隠神刑部狸率いる八百八匹の狸たち、通称「八百八狸」はこの機に乗じて松山城を乗っ取る計画を立てていた。
歴史を軽んじ、伝統を蔑ろにする現城主に憤慨した事が発端の事だった。
この狸たちの企みを知った松山藩士たちは、迎え撃つべく戦支度を始めた。しかし、相手は四国最強を誇る狸の一団であり、一筋縄ではいかない。そこで、広島藩に火急の手紙を書き、助っ人と召喚したのだった。
その時呼ばれたのが、稲生武太夫その人である。
武太夫は幼少のみぎり、備後の国の比熊山にてその豪傑さを認められて『山本五郎左衛門』という妖怪の親分から、一つの木槌を賜っていた。
武太夫は、この木槌を用いて八百八狸と応戦した。神通力に優れた狸たちも流石に妖怪の親分が授けたという槌の妖力には敵わなかったのだ。
◇
こうして武太夫は隠神刑部狸を退けたのだが、狸たちにも情状酌量があると判断し、殺すのではく封じ込めることで騒動を収めた。隠神刑部狸は子分諸共に久万山に封印され、荒ぶらぬように今もなお山口霊神として祭られている。
そして封印された狸たちは、負け戦の悔しさもあったが今一度、自分たちを退けた稲生武太夫を褒め称えたという。
「流石は備後の武太夫じゃのう。あの四国随一の刑部親分に『ツチ』をつけおった」
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、レビュー、ブックマークなどして頂けると嬉しいです!




