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怪談 しゃれこうべ  作者: 小山志乃
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船幽霊の噺

べたなオチ


 東京を江戸と申した時分のお話。


 とある漁村に住まう漁師たちが、いつものように船で漁に出た。いずれも先祖代々の漁師であり、子供の頃から海に慣れ親しみ、舟を揺り籠代わりに寝てきた生粋の漁師である。


 少々、風が強い日のことだった。時化(しけ)とまでは言わずとも、中々に海が荒れている。その日ばかりは釣り糸を垂らそうとも、網を打とうとも成果が上がらなかった。


 たまにはこういう日もあるだろうと皆で少しばかり消沈していた。


 ふと船長の老船人が仲間に目を配ると、やたらと青い顔をしている男がいた。それを仮に枝流介(えるすけ)と呼ぶ。


 枝流介は漁の腕や船さばきは達者なのだが、人一倍臆病な性格をしていて、よく仲間たちに揶揄われていた。そうは言っても、一人前の漁師である。まさか船酔いしたという訳でもなかろうと、声を掛けてみた。


「どうした。真っ青な顔して」


 すると枝流介はまるで凍えるかのように歯をカチカチ鳴らして、細々と答えた。


「わからねえ。わからねえんだけど・・・妙な胸騒ぎが」


 その穏やかでない様子に、船長は岸へ戻ることを決めた。他の漁師たちも海の機嫌は悪いし、魚が獲れる訳でもないのですぐに承知した。


 ◇


 ところが。


 船の帆先を変えた途端、風は急に凪いでしまった。そして不思議なことに風がないのに雲は集まり、瞬く間に太陽の光を遮ってしまった。まるで黄昏と見紛うほどの薄暗さに、枝流介の震えは増し、その上他の漁師たちにうつったかのように身震いする者も出てきた。


 船上に嫌な予感が蔓延している。


 その時だった。


「おぉぉぉぉい」


 と、くぐもった声がどこからともなく聞こえてきたのだ。船仲間がそんな呼びかけをする訳も無い。それよりも何よりも、到底人間の声とは思えなかった。それほど陰鬱で滲み出るかのような声であった。


「おぉぉぉい」


 再び声がした。老船人もかつてない経験に取り乱してしまい、船の上はいよいよ混乱した。皆が櫓を持ち、その場から離れたい一心を合わせ、船を漕いだ。けれども、ちっとも進む様子がない。


 大騒ぎの中であっても、得体のしれない声だけはよく通って、皆の耳に届いた。


「柄杓を貸せぇぇ」


 皆が声を上げる最中、船長の老船人だけが、その言葉にはっとした。それはかつて自分の祖父から聞かされた、海上での怪談に出てくる化け物の文句そのものだったからだ。


 化け物の言う通り、柄杓を海に投げ入れようとしている船乗りを慌てて止める。それをしてしまえば一巻の終わりだと知っているからだ。


「お前ら、柄杓を貸しちゃならねえ。船ごと持ってかれるぞ」

「じゃあどうすればいいんだ」


 慄く漁師たちに、船長は声を上げて指図した。


「柄杓の底を抜いて海に投げろっ! それで助かる」


 漁師たちは助かりたい一心で撒き餌に使うための柄杓を取ると、無我夢中で底を外し手当たり次第に海へ投げ入れた。


 すると。


 死装束を着た、青白い亡骸のような姿をした化け物が無数に海中から現れた。病的に白い手には、さきほど投げ入れた柄杓を持っている。その化け物たちは柄杓で海水をすくうと、次々に舟の中に水を注いできた。しかしながら、予め底を抜いていたので海の水はまるですくえていない。


 もしも柄杓をそのまま投げ入れていたら…そう思うと漁師たちは改めて冷や汗をかいた。


 しばらくは固唾を飲んで見ているだけだったが、やがて朝霧のように気が付けば化け物たちは消え失せていた。


 落ち着いて周りを見れば、風も波も出ており、あれほど暗かった空も晴れ渡っているばかりだ。助かったのだと気が付くのにはもう少し時間がかかった。それでも、いよいよ気が静まると、皆で抱き合いながら命拾いしたことに喜んだ。


「さっきのは一体なんだったんだ?」

「あれは『船幽霊』という妖怪だ。馬鹿正直に柄杓を投げると船を沈められてしまう。もしも行き遭ったときは、ああして柄杓の底を抜いてしまえば、いつしか諦めて消え失せるのだ」


 亀の甲より年の劫の言葉通り、漁師たちは改めて船長の博識に感謝したのである。


 ◇


 ところで、あの臆病者の枝流介はどうしたと、誰かが気が付いた。


 枝流介は目を丸くしながら、ただ茫然としていた。が、この日ばかりは枝流介を笑う奴はいなかった。心配そうに声を掛ける。


「枝流介、平気かい?」


「いや、ダメだ。抜けちまった」


「ああ。柄杓の底を抜いて渡したから俺たちは助かったんだ」


「そうじゃない。今は俺の腰が抜けちまった」

読んでいただきありがとうございます。


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