疱瘡婆の噺
東京を江戸と申した時分のお話。
文化の頃である。
宮城の七ヶ浜村で疱瘡が大いに流行り、多くの死人を出した。
連日のように墓が作られて埋める場所にさえ困る始末であったのだが、それ以上に人々を悩ませていたのが墓荒らしである。埋めるそばから墓は暴かえれ、遺体がどこかに持ち去られてしまっていた。
村人たちは墓荒らしを退治すべく、夜になると持ち回りで墓場の様子を伺っていた。
そんなある夜の事。
こそこそと墓に近づく人影を見た者があった。息を殺し、その様を伺っていると村人は肝をつぶさんばかりに驚いた。
墓に近づいてきたのは見た事もない老婆であったのだが、老いを感じさせない力で墓を掘っていく。やがて棺桶の蓋を外すと、中にある亡骸をぼりぼりと齧り始めたのである。
この事は途端に噂となった。そうしているうちに、その老婆が死体欲しさから疱瘡を流行らせているとまことしやかに囁かれるようになり、村人たちはその老婆の事を『疱瘡婆』と呼ぶようになった。
◇
村人たちは疱瘡婆を何とか追い払おうと色々と考えた。
皆で寄り合って話をしていると一人が、疱瘡をまき散らす悪霊は「赤色」を何よりも嫌うと言うので、疱瘡婆も赤いものが苦手かも知れないと言い出した。
ならばということで、墓に赤飯を備えてみることにした。
効き目はあったようで、疱瘡婆は赤飯を見ただけで悲鳴を上げて卒倒した。
「こわいい」
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