狸伝膏の噺
東京を江戸と申した時分のお話。
備前の国に、妖怪に悩ませている土方という士族があった。
その妖怪は決まって厠に現れ、家人が用を足している時ににゅーっと手を出して尻を撫でて驚かすという。
家に憑いているのかと思い、土方家は幾度も転居を繰り返した。しかしその越した先々の家の厠で同じような怪異が起こった。
いよいよ業を煮やした土方某は、短刀を忍ばせて退治に出向いた。わざと尻を出し、化け物を誘う。気配を感じ取ると、瞬くよりも早い抜刀で見事に化け物の手を切り落した。
落ちた腕を外に出し、月明かりに照らす。それは古びた狸の手であった。
捨て置くにも気持ちが悪いので丁重に箱にしまうと召し使いに人知れず隠しておくように命じた。一先ずは騒動も収まるであろうと、土方は久しぶりに枕を高くして眠る事が出来ると喜んだ。
それから小半時過ぎた時。
微睡の中で、微かにすすり泣く声が土方の耳に入った。
「さては化け物が仕返しに出向いてきたか」
土方はすかさず枕もとの刀を手に取り、声の出所を探った。
それは自分の部屋の外廊下から聞こえてきている。障子には月に照らされた化け物の影が黒く映っている。まるで狸が座っているかのような影であった。
土方が鯉口を切ったのと、狸が喋り出したのはほぼ同じだった。
「土方様。侍を揶揄う面白さから非礼を重ねましたことを、どうかお許しください。せめてもの罪滅ぼしに我ら狸に伝わります、秘伝の膏薬の作り方をお教えいたします。この薬は土方家に繁栄をもたらし、必ずやお役に立ちますことでしょう。それに免じて私の手をお返しくださいませ」
狸の声があまりに哀れであったために、土方は情けをかけて素直に手を返すことにした。
「あい分かった。その薬の礼にお主の手は返してやろう」
「ありがとうございます」
土方はすぐに召し使いを呼び出し、手を返してやった。土方の布団の側には、何時置いていったのか、狸の薬の作り方を認めた紙があったという。
◇
それから。
土方家はこの薬を『狸伝膏』と名付けて売り始めた。
切り傷、打ち身、火傷、しもやけ、吹き出物等々、外傷への効能をあっという間に発揮するこの薬は万能薬として飛ぶように売れ、すぐに一財を成すことができた。
しかしながら、あまりにも世に広まってしまったために、しばらくは寝る間もないほどの忙しさに悩まされたという。
「こうも忙しくなるとは・・・全く以って手が足りぬな」
「そりゃあ、旦那様が手をお返しになりましたから」
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