件の噺
「たらちね」から
東京を江戸と申した時分のお話。
例によって物知りが自慢で、他人には知らぬことは一つもないと嘯いてしまう隠居が、江戸の町に住んでいた。
そして例によって少々抜けた粂八という男が、またしてもつまらぬことが気にかかり、隠居の知恵を借りようと尋ねてきたのだった。
「ご隠居、粂でございますが…おりやすかい?」
「お、また来たな。今度はどんなくだらないことが気になったんだ」
「流石はご隠居、話が早えや。実はですね…」
粂八は隠居の家に着くや否や、茶を飲む間もなく語り始めた。
◇
粂八の話はこうだった。
遠い親戚に子供が生まれたのだが、かなり遠方に住んでいるため会いに行く代わりに手紙を書くことにした。しかし普段からそうそう書くものではないので、近所の学者先生に代筆を願い出た。
当たり障りのないことを書いてもらい無事に手紙はできたのだが、末筆に「よって『件』の如し」と記してあった。それはどういう意味かと尋ねても、大昔から手紙の最後にはそう書くのが決まっているとの一点張りで埒が開かなかった。
それならばと、隠居の元に出向いて聞いてみようと思ったのだという。
「という訳なんでございます」
「はっはっは。流石の学者先生も件の事は知らなかった様だな」
「お、笑うっていう事はご存じなんですね」
「当たり前だろう」
隠居は得意気になって喋りはじめた。
◇
件とは、半人半獣の妖怪である。多くの場合、牛の姿を取ることが多いために字にもそれが反映されているのだという。件は生まれてから数日で死ぬと言われているが、その間に人間の言葉で様々予言を残す。
豊凶、疫病、飢饉、旱魃、洪水、騒乱など、その時々によって内容は異なるが、その予言は必ず実現する。その災厄を避けるためには、予言をした件の姿を絵に描き護符として使うとよい。もしくは件は雌雄一対で生まれ雌が災厄の内容を、雄がそれを回避するための術を教えるともされている。
◇
そう隠居から聞かされた粂八だったが、今度は別の疑問が浮かんできた。
「あの・・・件というのがそういう妖怪だってのは分かりましたが、どうして手紙の最後にそんなことを書いたりするんです?」
「え? そりゃ、お前…あれだよ」
「どれですかい?」
そんな事を聞かれた隠居はすっかり参ってしまった。流石に何故文末にそんな文句を書くのまでは知らなかったのだ。隠居は何とか誤魔化してしまおうと、必死に頭を捻って考えた。
「…手紙というのはだな、今でこそ挨拶や詫びなどで使うもんだが昔は違っていたんだ」
「へえ。そうなんですか」
「うむ。そもそもは占いの内容を書き記して、それをあちこちに広めるために書いていたんだ」
「占いですか?」
「そうだ。で、ある時。凄腕の占い師が現れたんだな」
「どのくらい凄いんですか?」
「そりゃもう物凄いんだ。喋る事全てが当たるというくらいの凄い占い師だ」
「うへえ。まるで件ですね」
「そうだ、その人の占いがもの凄く当たるから紙の最後に『よって件の如し』と書くようになったんだな」
「へえ」
と、素直に嘘を信じた粂八だったが、またしても腑に落ちないところがあった。
「ん? すると『よって件の如し』の『よって』というのは何ですか?」
「どういうこった?」
「ですからね、今のご隠居の話は『件の如し』までは説明してましたけど、頭の『よって』というのは分からないままじゃないですか」
「ああ、それはだな…その占い師が的中する占いをするためには、必ずぐでんぐんでになるまで酒を飲んだからだ」
「あ、成程。『酔って件の如し』という訳ですね」
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