縊鬼の噺
東京を江戸と申した時分のお話。
麹町の居酒屋で同心の一派が宴会を開いていた。遅れてくる者も二、三人あったのだが、ある一人の男が待てども待てども一向にやってこなかった。いい加減に待ちくたびれた他の面々が酒を飲み始めると、件の男はやっと現れた。しかし、誰の目に見ても顔色が悪かった。
「急用ができたから断りにきたんだ」
男は蚊の鳴くような声でそう言った。
不審に思った組頭は、一体どんな用事なのかと問い質してみた。すると男は、
「これから首を吊らにゃならん」
と答えた。
皆は性質の悪い冗談だと思ったが、男は生気の抜けた様な眼で訴えるので様子のおかしい事に気が付いた。組頭はすぐに乱心したと感ずいて、男に酒を飲ませなんとかその場に引き留めることにした。
すると。
今度は食違御門で人が首を吊ったという報せが舞い込んでいた。組頭はその男に向かって、
「お前は『縊鬼』に魅入られたのだ」
と告げたのである。
男は夢現の様子で自分に起こった事の仔細を語り始めた。
男が言うには、食違御門の傍を通りかかったところ誰かに声を掛けられたという。男なのか女なのかも分からない不思議な声で首を括るように言われたそうな。怖くなったが、同時に断ることができない気持ちになってしまった。
「首を括るなら、組頭のところに断りを入れてからにしたい」
そう言うと、その不思議な声は、
「早く行って断ってこい」
と命じたというのである。
そう言うや否や、男は糸が切れたように崩れ落ち恐ろしさのあまり涙を流した。仲間たちは話を聞いて恐ろしくなったが、男が命拾いしたことに共に安堵していた。
◇
そんなことがあったので、同心たちは男の為に後日改めて酒宴を開いてやった。今度こそ、誰も欠けることなく楽しいひと時を過ごしていた。
やがて宴もたけなわになり帰る段になると、例の男が今日の気遣いに感謝して皆よりも多く金を払うと言い出したのである。
流石に貰い過ぎだと組頭は幾らかの釣銭を渡そうとしたが、男はそれも断った。
「いえ、それも結構。ツリはもうこりごりです」
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