夜啼石の噺
よなきいし
東京を江戸と申した時分のお話。
東海道に小夜の中山峠という難所で有名な峠があった。金谷宿と日坂宿の間にある峠であるが、ここには昔から一つの物語が語り継がれていた。
◇
その昔、中山峠にお石という女が住んでいた。お石は身籠った女であるが夫はいなかったため、麓の菊川の里で仕事をして銭を稼いでいた。
ある日仕事を終えて、中山の家に戻る時。お石は運悪く陣痛に見舞われた。が、幸いにもお石の倒れたのに気が付き、駆け寄ってくる男がいた。男は名を轟業右衛門といい、しばらくは苦しむお石の面倒を見ていた。が、お石がまとまった金を持っている事を悟った轟は、あろうことかお石を一刀のもとに切り殺し、金を奪って姿を暗ましたのである。
すると。
切られた腹の傷を裂き、中から赤子が這い出てきた。赤子は傍にあった丸石にしがみ付き、産声を上げた。その声は夜になっても泣き止まず、その甲斐あってか近くの寺の和尚に拾われ、育てられることとなった。赤子はそこで音八という名を授かり、周りの者たちからはいつも八と呼ばれて親しまれていた。
八は、どういう訳か一度も泣く事のない少年であり、どんな酷い目にあったとしても決して涙を流さなかったという。
やがて青年となった八は刀研ぎの才覚を表し、評判の刀研師となったのである。
研師として幾年かを過ごした頃。
一人の男が、八のもとを訪ねてきた。自前の刀を研いでほしいという注文であったので、早速刀を拝見したところ妙な刃こぼれを見つけたので、その訳を聞き出した。
すると客の男は十数年前に、中山峠で妊婦を切り殺し金を奪ったことを自慢げに告白した。刃こぼれはその際に傍らにあった石にぶつけた為にできたものだという。
この男こそ憎き母の仇と覚った八は、すぐさま刀を抜きはらい、見事に仇を討ったという。
◇
その後、八は件の丸石まで辿り着くと声を大にして泣き始めたという。
八の声はそこかしこに響き渡り、近くに居を構える者たちは皆で何事かと様子を伺いに来た。そこには八の長年の付き合いのある者も多かった。
「おいおい、八の奴が涙を流していやがるぜ」
「ああ。あれが泣きっ面の八だなあ」
読んでいただきありがとうございます。
感想、レビュー、評価、ブックマークなどして頂けると嬉しいです!




