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寺つつきの噺
用明天皇の時代のお話。
物部大連守屋という氏族がいた。彼は日本古来の神道の神々を崇拝し、崇仏を推し進める曽我馬子、聖徳太子の両名と対立してた。この対立は用明天皇の死去を発端に、とうとう戦にまで発展した。
が、圧倒的な兵力差の前に物部の軍は呆気なく敗れ、守屋も戦死してしまった。更に馬子らは他の反崇仏らへの見せしめとして、物部氏の領地を没収し、そこを四天王寺の用地と定めたのである。
守屋の怒りと無念さは死してなお強まり、怨恨の念はとうとう鳥の妖怪へと変じ、建立された四天王寺や法隆寺といった寺院の軒をつつき、啄み、害をなした。
人々はこれを物部の『寺つつき』と呼び非常に恐れたという。
見兼ねた聖徳太子は自らを鷹へと化してこれを追い払うと、それ以降寺つつきは現れず、守屋の祟りも収まったそうな。
◆
この時。
守屋の変じた鳥の姿を見た者がいた。
その者の話によれば、寺をつついていた鳥はまるでイカルのようだったという。
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