泥田坊の噺
東京を江戸と申した時分のお話。
江戸から見て北の国、とある米どころでの話である。
その地に貧しいながらも堅実に田畑を耕し、暮らしている男がいた。仮に自医さんとしておく。自医さんは、少しずつ田を広げ、土地を肥やし年々収穫できる米の量も質も良くしていった。
とうとう人並みの暮らしができるようになり、余裕も生まれ始めた。しかし、その長年の苦労が祟ったのか自医さんは病に倒れ、あっけなくこの世を去ってしまった。
ところで。
この時、自医さんには一人の息子がいた。この息子が親とは正反対の性分の男であった。いい年になっても親の脛をかじり、ろくに働きもしない。それは自医さんの死後にも変わることはなかった。
とにかく苦労というものをしたくない男は、家財を質に金を作り酒を飲んでいた。当然、そのような暮らしが長く続く訳も無い。自医さんが丹精込めて耕した田を手放すようになるのに、それほど時間は掛からなかった。
やがて、田は息子の手を離れて他人の手に渡ってしまった。
買い手は質の良い田が安値で買えたので喜んでいたのだが、そのうちに奇妙な事が起こり始めた。夜な夜なその田から声が聞こえてくるという。
買い手の男は、噂の真相を確かめるべく、夜に見回りへと出かけた。いざ田へついてみると、暗がりの中から確かに呻き声の様なものが聞こえてきた。そのうちに雲の切れ間から月明かりが田を照らし出した。
そこには・・・。
片目が潰れ、手の指が三本のみで、まるで下半身が田に埋まっているような姿をした化け物がいたのだ。
「田を返せ。田を返せ。田を返せ」
その化け物は、しきりにそう言葉を発していた。
これが世にいう『泥田坊』である。
◇
買い手の男は、恐ろしさのあまり一目散に逃げだした。男は自医さんの事情を知ると、すぐに様々なお祓いや供養を施した。けれども泥田坊の怪異が収まることはなかった。
最後に生前の自医さんのこともよく知る地元の神主がやってきた。神主は自医さんの作った米をよく買っていたのだ。神主は余っていた米を田に撒くと、その上に自医さんの着物や履物などの遺品を乗せて火を付けた。もくもくと上がる煙を見つめながら祝詞を捧げた。
それ以来、泥田坊が姿を見せることはなかった。
田を愛で、米作りに精を出した男の怨念が妖怪となった、泥田坊。
「御焚き上げ」で供養をしたのが良かったのだろうか。
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