木魚達磨の噺
東京を江戸と申した時分のお話。
とある小さな山寺に和尚が一人きりで住んでいた。この和尚、何よりも草木を育て花を愛でることが大好きで、日夜手入れを欠かさなかった。
ところが。
ある時から、庭の草花が萎れたりひどい時には枯れ果ててしまうようになった。書物を読み、あれこれと手を尽くしたが事態は良くならなかった。
そればかりか心労が募り和尚自身も寝るに寝れない日が続いた。
今日も今日とて幾度寝返りを打っても一向に眠りに入れない。すると、どこからともなく、何かが転がるような音が聞こえてくることに気が付いた。
その音はどうも本堂の中から聞こえてくるようである。
足を忍ばせ、そうっと本堂の中を覗いてみる。すると、月の光でわずかに照らされた中で奇怪なものがゴロゴロと転がりまわっていた。
思わず「ひぃっ」という悲鳴を上げてしまう。その声に化け物も気が付いたようであった。和尚は恐ろしさを何とか堪えて、その場に座り込むと一心で念仏を唱えた。
それは朝、一番鶏の声が聞こえるまで続いた。
陽の光に気が付いた和尚は、恐る恐る目を開けた。そこにはすでに化け物の姿はなく、代わりに古い木魚が一つ転がっているだけであった。
それを見た時、和尚は若かりし修行時代に聞いたある妖怪の話を思い出したのである。
◇
木魚とは、そもそも修行の最中に眠ってしまうことを戒めるために生まれた仏具である。魚は昼夜水の中で目を開けたまま泳ぐため、その魚のように目を閉じずに修行に励むようにとの意味が込められている。
ところが度を過ぎて眠ることを戒める僧がいた。
九年もの間、不眠のままに修行をした天竺の菩提達磨のように、自らも寝ることを禁じて修行に明け暮れた。僧はその戒めのために木魚と達磨を合わせた様な器物を彫った。この達磨と同じく、決して横になることはないという念を込めて。
ところが、その執念はいつしか歪んだものに変わっていくこととなる。
執念は自らが彫った達磨に乗り移り、それは妖怪『木魚達磨』へと転じてしまう。そして夜な夜な周囲を彷徨っては人々の眠りを妨げるというのだ。
◇
和尚は長年使っていた木魚が、木魚達磨の念と呼応したのだろうと考えた。
そこで経を上げながら、木魚を丁重に供養してやった。
それからというもの。
庭の草木は再び青々と茂り、花々も咲き誇るようになった。和尚も心労が取れて、よく眠れるようになったという。
眠りを妨げる木魚達磨を退けたことで、和尚も草花も「ねつき」がよくなったそうな。
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