蓑草鞋の噺
ぞろぞろ
東京を江戸と申した時分のお話。
浅草にほど近い田舎道。辺りを田んぼに囲まれているその中に、一軒の茶店があった。年老いた夫婦が営んでいるのだが、ただでさえ人通りが少ない上に、偶に通る者もほとんどが近所の百姓であり、お世辞にも流行っているとは言えない。そんなものだから、茶店と言っても置いてある品は子供向け駄菓子か爺さんが夜なべ仕事で作っている草鞋くらいなもで、稀に訪れる客が団子のひとつでも注文しようものなら、婆さんが知り合いの菓子屋へ買いに行くという始末であった。
流石に貧乏暮らしが続くと不平不満の一つでも零したくなる。けれども二人揃って何かと信心深いものだったので、一町ばかり歩いた先にある稲荷神社へ、商売繁盛の願掛けをしに行くことになった。
その日の夜の事。
仕事を終え、二人でくつろいでいたところ、天井裏で何やらごそごぞと気配がした。何事かと天井を見上げていると、そこからぞろぞろと藁束が下って来た。それは忽ち草履になり、縄になり、蓑になり、最後にはそれらがくっつきあってまるで一人の人間のような形となった。
突然のことに、二人は口を開けたまま固まった。
「いきなり出てきてすまねえな。オラは『蓑草鞋』ってモンだ。訳あって、しばらくここに住まわせてもらうでな。心配せずとも借りている間の店賃は払うで」
二人が固まっているのをいいことに、蓑草鞋と名乗った化け物は、そのまま部屋を出て行き闇の中に溶けていった。
◇
次の日。
昼過ぎになった頃からにわかに雨が降り出した。すると、浅草詣での帰りらしい客が店に入って来た。そして軒先にぶら下がっていた、草鞋を見るなり言った。
「この履物は今日下ろしたばかりのもので、あまり汚したくはない。そこにぶら下がっている草鞋が売り物なら譲ってくれ」
ここに店を構えて以来、初めて百姓以外に草鞋が売れたのだった。昨日の化け物ご利益だろうかと二人は互いに言った。そしてそれも束の間、また浅草帰りの客が雨宿りのために飛び込んできた。その上、どういう訳かその客も。
「草履の鼻緒が切れちまってね。何か履物はないかい?」
と、聞くのである。
「あいすみません。たった今、最後の草鞋が売れてしまいまして」
「何言ってやがる爺さん。そこに草鞋がぶら下がっているじゃないか。それをくれ」
「え?」
見れば、確かに今売れたはずの草鞋が軒先にぶら下がってる。不思議に思いながらも、草鞋を取り客に売ってやった。そして婆さんに、今の出来事を言って聞かせながら軒先を指差して驚いた。
またしても、取ったはずの草鞋がぶら下がっているのである。
爺さんが草鞋を再び取って、しばらく様子を見る。すると、天井からぞろぞろと編んだばかりの草鞋が下りてきて軒先に架かったのである。
この不可思議な草鞋が評判となって、二人の店は連日多くの見物の客が押し寄せて大変な繁盛を見せた。
◇
幾日か経ち、二人は部屋の隅々に声をかけて蓑草鞋の事を呼んだ。すると、いつかそうだったように、また藁束が下りてきて途端に人の形となったのだ。
「何か用だか?」
「いえね、お蔭さまで繁盛するようになってしまって、そのお礼をと思ってね」
「別にいいだに」
「それにしても、アンタは何でワシらにここまで親切にしてくれなさる?」
「そりゃあ、御覧の通りオラは頭の先からつま先まで全部藁で出来てる蓑草鞋だからよ」
「それがどうして?」
「あすこの稲荷に詣でていた時の二人が、藁にも縋る気持ちだったからよ」
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