金槌坊の噺
東京を江戸と申した時分のお話。
江戸の町に、和井という男がいた。父も祖父も、そのまた祖父も大工という一家であり、この男も子供の頃からノミと金槌で遊んでいたような生粋の大工である。
「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど、江戸の町では火事が頻発した。なので、家を作る大工たちは職人の中では一番の花形であった。その上、重労働で自然の身体が引き締まる為、江戸の女衆からも人気があったのだ。
当然のように和井も女たちからモテていたのだが、和井には将来を約束した娘がいた。
腕前も認められ、そろそろ祝言を挙げようか。と、思っていた矢先のことであった。
和井と惚れ合っていた娘は、器量よしで他の男からの妬みも凄かったのだ。祝言の話が持ち上がった頃から、和井は色々と嫌がられを受けるようになった。そして、とうとう心を病んで仕事に手が付かなくなってしまったのだ。
◇
そういう訳で、欝々と夜を過ごしていた時。
ごそごそという物音に気が付いた。見れば、昔から受け継いできた自慢の大工道具の入った箱が、ガタガタと揺れていた。一体何事かと思い、蓋を開けてみた。
すると。
その大工道具の中でも特に古い一本の金槌がぴょんと飛び出してきたのである。呆気に取られていた和井であったが、今度は飛び上がって驚いた。
その金槌から靄のようなものが出たかと思うと、途端にそれが固まって化け物が現れたからであった。
烏のような黒い嘴を持ち、ギョロリとした目玉が不気味な化け物であった。が、和井は不思議と怖さというものを感じなかった。
「私は『金槌坊』という化け物にございます。長い間あなたがた一族に丁寧に使われているうちに化けるようになってしまいました。あなたの心労、お察しいたします。この家に代々使われてきた御恩を今こそお返し致したく存じます」
そう言うと、再び靄のように幽かなものに転じると窓から外へ出て行った。
和井は何も言えず、何もできず、しばらくその場で固まっていた。
◇
さて、それから。
今まで起こっていた嫌がらせの類は嘘のように止んでしまった。それどころか、妬みを持ってひどい仕打ちをしてしまったと丁寧に詫びられる始末であった。
しばらくして、金槌坊と名乗った化け物は再び和井の家に戻って来た。
「金槌坊と言ったね。礼をすると言っていたが、一体何をしたんだ?」
「大それたことは致しません。あなたを妬んでいた者たちの家に出向いて、驚かしただけです」
「まさか、手荒な事はしなかっただろうね」
そういうと金槌坊は、笑った。
「御心配には及びません。金輪際あなたに害をなすなと『釘をさした』までです」
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