赤舌の噺
東京を江戸と申した時分のお話。
津軽の国で大きな旱魃が起こった。村々ではこういう時の為に溜池を作り、水を確保していた。ところが、この年の旱魃は川上と川下とで被害に差が出ていたのである。特に酷かったのは川下の村であった。
川下の村人達は溜池の水門を目指して上流へと向かった。
いざ水門まで辿り着くと、そこには他の村の村長衆が集まって何やら口論になっていたのである。聞けば、やはり川下の方の村では水が不足しており、すぐにでも溜池の水を流してほしいと言っているのだが、川上側の村の衆がそれを拒んでいた。
この水門は、仕掛けの都合上一度開くと全ての村に満遍なく水が行くのだが、まだ水不足に陥っていない川上の村々では、更なる旱魃に備えてまだ水門を開けたくないと主張した。この溜池は作った時に協力した村が困窮した時に水門を開くという約束をして作られたのであるから、水に困っていない村が一つでもあるならまだ明けるべきではないというのが、川上側の意見であった。
川上と川下の論争は日が暮れても続いたが、一向に結論が出なかった。
あまつさえ、自棄になって水門をこじ開けようとした川下の村人の一人が打ち殺される事態にまで陥った。
川下の村人たちが、為す術なく狼狽えている最中、事は起こった。
◇
月明かりの元、水門の真上に暗雲が立ち込めると、その中から化け物が顔を覗かせた。まるで針のような毛が顔中を覆っており、造形だけならば犬にも見える。しかし、同じく雲から突き抜けている前足から生える爪は猫のそれよりも鋭く禍々しい。けれども真に恐ろしかったのは、化け物の口であった。まるで血を塗り込んだような真っ赤な舌が家一軒を丸のみにできるような大口の中で蠢いていた。
村人たちは恐怖のあまり、逃げることも叫ぶことも忘れ、ただただ立ち尽くしていた。
その化け物は大爪を水門に引っ掛けると、紙でも破るかのように容易くそれを打ち壊した。途端に溜池の中の水は水路を通り、下流へと流れていった。
化け物はそれを見届けると、満足したのか再び雲の中に顔を隠し、正しく雲散霧消していった。
◇
「・・・あれは『赤舌』じゃ」
と、村長衆の中でも特に物知りの男が言った。
曰く、赤舌とは落ちぶれた水神の中の一柱で大きな赤い舌を出している。舌は禍の元の言葉通り、赤舌の口が開かれている間は禍災に見舞われるというのだ。
水門が打ち壊されたというのは、正しく禍であろうが、禍福は糾える縄の如しであり、川下の村人達は赤舌のお陰で命拾いをした。
それに引きかえ、川上の村の者たちは赤舌が去った後も呆気にとられたまま、開いた口が塞がらなかったという。
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