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怪談 しゃれこうべ  作者: 小山志乃
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岩魚坊主の噺

今年もありがとうございました。


怪談らしく、陰気な噺で大晦日を締めくくります。


来年もよろしくお願いします。

 東京を江戸と申した時分のお話。


 とある山に四人の木こりが仕事の為に入っていた。四人は木こりという職に違わず、いずれも筋骨隆々の男達である。


 男たちは水場の近くに簡素な小屋を設けると、三人が木こり仕事に取り掛かり、余った一人が炊事番をするという具合に日替わりの当番を決めて、それぞれの役割をこなしていた。


 今日も今日とて、三人が徒党を組んで仕事に勤しんでいる。


 ところが今日に限って、一人が碌に斧も振るわぬうちから愚痴や文句を言い始めた。


「…暑いなぁ、こう暑くちゃ仕事にならねえよ」


 そう言った男を()()(すけ)と呼ぶ。


 確かに出意助が言う様に、この夏は異常なまでに日差しが強く、山に生える木々の木陰の下にいても茹だるかような暑い日が続いていたのだった。


 この言葉を皮切りに、他の二人も文句を言いながら持っていた斧を放り出して早々と腰かけてしまった。それでも体を動かさないだけマシという暑さで、風の吹かぬ森の空気がより暑さに拍車をかけていた。


 出意助は続ける。


「もういっそのこと水浴びでもしてえな」

「無理だって、近くの川はこの暑さで、干上がっちまう一歩手前だ」

「飲み水があるだけ、ありがてえと思わねえとな」


 男たちが小屋を設けたすぐ隣に川が流れている。山の上なのまだ流れは細いが、下流ではどんな大雨の時も決して氾濫することのない、荒知らずの川として知られている。そして、それはこの川の源流たる淵に住む「主」のお陰だと昔から伝えられていた。


「そらそうだがよ・・・とにかくダメだ。こう暑くっちゃ頭の中が茹で上がって死んじまうよ。今日のとこはヤメだ、ヤメだ」


 出意助は、そう言って一人で小屋に引き返してしまった。残された二人も、引き留めて仕事を続ける気力はとうに無くなっており、これ幸いと後に続いた。


 仕事場と小屋とは少し距離があった。一本道なので迷うことはないのだが、途中で森が途切れ、日差しを遮るものがなにも無くなる場所がある。少し開けた原になっており、山中を歩いている時は草木で見えなかった川もこの時だけは姿を現す。とは言っても、先に仲間が言ったように干上がる一歩手前の弱々しい流れがみすぼらしい。


 そんな川の流れを見ていると、水浴びとはいかずともせめて顔くらいは洗いたくなったのか、出意助は川べりまで下りて行った。


「あぁ・・・本当に干上がっちまうぞ」


 近くに寄れば寄るほど、細々とした川の流れが悲しくなった。


 顔を洗い終わると元の道に戻ろうとしたのだが、その時に何かキラキラと光るものが目に入った。


「なんだ?」


 よく見れば、それは岩魚であった。水底が浅いので、岩魚が揺蕩(たゆた)う度に川の水や鱗がキラキラと光っているのだった。


 そんな様を見つめていると、出意助の脳裏に妙案が湧いたのだった。


「そうだ」


 思わずそんな声を漏らすと、急いで元の道に戻った。後の二人を引っ張ると足早に小屋に向かって行ったのだった。


 出意助は小屋に着くと炊事番をしていた男を踏まえて、自分の胸の内を語った。


「今日、川の様子を見たんだけどよ、この日照りで干上がる手前まで来てるんだよ」

「知ってるさ。だから水浴びしたいっていうお前を止めたんだろう」

「それでよ、せめて顔くらいは洗おうと思って川べりまで下りたのさ。そしたらよ、目で見て分かるほどうようよと岩魚が泳いでいるのさ。川が狭くなっているから、釣り糸を垂らせば入れ食いだぜ。木を切るのなんて止めにしてよ、ここは一丁岩魚取りとしゃれ込まねえか」


 その申し出に、他の三人がまず食い付いた。


 この辺りの岩魚は味も香りもいいと言われてので、麓の町に持って行けば居酒屋や料亭に高値で売れる。山仕事の為に、大量の塩を持ち込んでいたので暑さで腐る前に塩漬けにもできる。


 ところが。


 ここには肝心の釣り竿がなかった。その為だけに山を下りるのも割りが合わない。かと言ってこの辺りには釣り竿の材料になりそうなものは何もなかった。


 楽に儲けられる種が目の前にあるのに…。


 こういう時、出意助は悪知恵の働く男であった。


「そうか。釣り竿を使わなくてもいいじゃねえか」

「はあ? どうやるってんだよ」

「いいかい・・・根流しをすればいいのさ。それなら竿なんて、無用の長物だ」


 根流しとは山椒の実や葉、木の皮を燃やして灰にして、それを水に混ぜた「根」という毒を川に流し、魚を気絶させて取るという漁法である。この方法であれば、確かに余計な道具は必要はない。


 これに賛成した一同は暑さで仕事を投げ出したことなど忘れ、熱心に根造りに勤しんだ。大して遠くない場所に山椒が群生していることも手伝って、根造りは順調に進んで行った。あまりにも容易に拵えることができたので、調子づいてきた男たちは当初の予定の何倍もの根を造っていた。そして、時が経つのも忘れていた。気が付くと、もう日が落ちかかっていたのである。


 元々飯炊き当番だった男も気を利かせて、握り飯や酒のあてを用意していたので、いつしか根を煮る鍋と火を囲んだ酒盛りになっていた。


「思ったよりも簡単にできたな」

「ああ。こんだけあればこの麻袋じゃ足りないくらい大量になるかもしれねえ」

「はっはっは。明日の為に酒は残しておくか」

「馬鹿野郎。岩魚が獲れりゃ更に上等な酒を浴びるほど買える金になるじゃねえか」


 取らぬ狸の皮算用よろしく、男たちは岩魚を売り払った金で何をするかを語り合っていた。


 その時。


 一人が、山道を通ってこちらに登って来る人影に気が付いた。


 黄昏時のことであるので、頭の先から足の先までが黒く見える。それは真っすぐにこの車座を目指しているようにしか見えなかった。近づくにつれ、人影の装いが見え始める。それはどうやら、旅の僧らしかった。


 お世辞にも綺麗とは言えぬ衣を纏い、右手には杖、左手には数珠を携えている。


 だが、肝心の顔は深く被った笠のせいで一向に知れなかった。


 やがて、その坊主は一同の前にまでやって来た。道を聞いたり、お恵みをねだる様子は微塵もない。ただ、根を似ている鍋を凝視したまま固まったようであった。


 静寂である。蝉や他の虫の声も全く耳に入らなかった。そしてその無音を打ち破ったのも、その坊主だった。


「これは根を煮ておるのですか?」


 木こりたちは、その問いを理解するのに少し時間を要した。そして、誰となく答えたのだった。


「・・・ああ、その通りでさあ。川が良い具合に干上がったものだから、景気よく根流しして、岩魚でも取ろうとおも」


 男は最後まで言い切ることができなかった。その坊主が地から湧き出るような低く、それでいてどこまでも届くような声で一喝したからである。すると再び、先程と同じような静寂が辺りを包んだ。


「お主らも知っておろう。根を流せば、確かに魚は取れるやも知れぬ。だがこのやり方は魚ばかりでなく、小魚や水草、川の水を飲む他の獣まで苦しめることになる」


 そう語り出した坊主の説教は、およそ小半時ほどかかった。木こりたちは不思議と反論したり、怒り出したりする気になれず、じっと聞き入っていた。そしてすっかりと神妙な気持ちになったのか、出意助が坊主に握り飯を勧めた。


「坊さん、わかりましたよ。そこまでありがたい説教を聞いたんじゃ、殺生する気なんざ起きやしないや。ささ、こんなもんですが食ってください」

「これはこれは、忝い。頂戴いたします」


 そう言って握り飯を食べ始めた坊主だったが、どういう訳か少しちぎった飯を噛まずに丸のみするという奇怪な食べ方だった。やがて食べ終わった坊主は礼を言って去っていったのだった。


「…なんとも妙な坊さんだったな」

「そうだな…さ、残りの根を仕上げちまおう」

「え? お前、いま殺生は止めると坊さんに言ったんじゃ・・・」

「アレはさっさと追い返すための方便さ。明日はいの一番から根流しと行こうや」


 ◇


 明朝。

 

 宣言通り、朝日と共に起き出した木こりたちは、出意助を先頭に根の入った鍋を持って川べりを歩いていた。上流へと向かい、根を流すのに丁度いい場所を探している。


「お、ここなんて良さそうじゃねえか」


 そして岩がせり出して真下に川の流れがあるという、まるで拵えたかの様な場所を見つけた。


 出意助を除いた三人は、昨日の坊主の話が耳に残ったままで、何とも言い難い妙な心持ちであった。あまり乗り気でない連中に痺れを切らした出意助は、一人で根を流し始めた。きっかけさえ作ってしまえば、後は乗ってくるだろうと踏んだのだ。


 根を流された川は次第に白みの掛かった灰色へと滲んだ。すると川にいた岩魚という岩魚が腹を見せて、浮かび上がってきた。それを見ると渋っていた男達も、つい興奮して声を上げた。着物を脱ぐ間もなく、皆で川に飛び込むと夢中で岩魚を手づかみで取り出す。用意していた麻の袋は大した時間もかけずに、すぐに膨れ上がってしまった。


 勢いづいた木こりたちは、更に上流へと登って行った。やがて噂にしか聞いた事のない淵にまで辿り着いたのだった。


 淵はこの日照りの中にあって、なお底の知れぬ不気味さを醸し出している。しかし、根流しに味を占めた木こりたちを躊躇わせるには至らなかった。


 見下ろすと、水の中に確かに魚影が揺蕩っている。それは川にいた数の比ではない。


 木こりたちは、一々根をすくうのも面倒になり鍋ごと淵に投げ込んだ。いくら深いとはいえ、水の減った淵に根が広がりきるのにそう時間は掛からなかった。やがて川で試した時と同じように、岩魚たちが腹を見せながら浮かび上がってきた。その岩魚たちは水の流れに抗うことも出来ず、淵から川へと流れ出て行く。


 その様子を嬉々として眺めていた木こりたちだが、すぐに異変に気が付いた。底の底から黒々とした影がゆっくりと浮かんできた。目測するだけでも人間よりも大きいことは容易に知れた。


 固唾を飲んで見守る中、ようやくその影の正体が分かった。


 それは見たこともない程、巨大な岩魚だったのである。


 四人掛かりでようやく持てるほどの大岩魚を捕まえた時、男たちの興奮は最高潮を迎えた。普通の岩魚などは小魚に見え、適当に袋に詰め込むと無様に浮かび上がる岩魚たちをそのままに、急いで小屋へと引き返した。


 川下へと下るその間、普通の岩魚は塩漬けにして売り、大岩魚はここで捌いて酒の肴にすることを話し合って決めた。


 小屋に着くと、早速酒宴の支度に取り掛かった。酒を用意する者、火を起こす者、その間に岩魚の塩漬けを行う者と仕事を割り振った。そして出意助は大岩魚を捌く役になった。


 腹に包丁を差し込む。比べるとまるで自分が小人にでもなったかのようだ。


 大岩魚はその体躯の割には、あっさりと包丁が刺さる。そして大した抵抗もなく腹を切ることができた。


 ◇


 その時。


 出意助の包丁を持つ手に何やら細かいものがポロポロと零れ落ちてきた。


「何だこれは?」


 その零れ落ちたものが何だったのか理解した瞬間、出意助から血の気が引いた。


 それは米粒であった。


 まるで昨日の坊主がそうしたかのように、握り飯を指でちぎって丸のみしたかのような米粒の塊が、いくつも大岩魚の腹の中に詰まっていた。


 出意助の様子がおかしいことに気がついた他の男達は次々に周りに集まって来た。そして大岩魚を見て、全てを悟った。


「…昨日の坊主は岩魚が化けていたんだ。そうやって俺たちが根流しをしないように、説教をしにきていたんだ」


 そう誰かが言った時、出意助は崩れるように倒れてしまった。慌てて男たちは助け起こしたが、出意助はすでに事切れていたのだった。


 恐ろしさのあまり、木こりたちは悲鳴を上げると皆が我先に走って山を下りていった。


 祟りを恐れた三人の木こりたちは祠を建てたり、加持祈祷や咒などありとあらゆる方法で岩魚の供養を行った。家財を売り、家を手放し、借金をしてまで供養を続けたのだが、祟りが止むことはなく、やがて全員が息絶えてしまった・・・。


 ◇


「これは根を流された岩魚の怨み。水に流すことはできない」

読んでいただきありがとうございます。


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