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2017年/短編まとめ

『事実は小説よりも奇なり』

作者: 文崎 美生

刷り上がったと渡された数冊の本を、仕事場としている書斎に持ち込む。

紙とインクと珈琲の匂いがする書斎は、本棚と本も多く置いてある。

その本棚の一角に、私が持っている本を入れるためのスペースがあった。


茶を基調にした艶やかな本棚に、本を一冊差し込めば、完全にスペースが埋まる。

もう一冊だって入れられない。

これで本棚が完成した、と今までにない充足感を覚え、同時に風船が縮まるような物悲しさが生まれる。


これで終わり、と心中で呟きながら残りの本を机に置いた。

机の上には真っ白な原稿用紙と、使い古した万年筆が置いてある。

これもきっと終わり、と引き出しにまとめて放り込めば、何をするでもなかったというのに、ドッと疲れが押し寄せた。


はぁ、浅く息を吐き、回転椅子に飛び込む。

金具の軋む音と共に、背凭れは私の体を受け止めてくれる。

それだけが救いかも知れない。


腕だけを伸ばして掴んだ本は、傷一つないと言うように表紙が滑らかだ。

くるりと裏表紙を見れば、赤いバーコードが目を引き、それが見本本であると分かる。

本を刷り上げる際、書店で売り出さない本はバーコードを赤くして刷るのだ。

そしてそれを見本本と呼び、その作成に関わった人間にのみ配られる。


赤いバーコード部分を指の腹でなぞり、二度目の溜息と共に本を開く。

手に馴染む紙の感覚と共に、紙同士が擦れる音が書斎に響いた。

一枚ページを捲れば、後はまるで珈琲を飲み込むように、文字を読み込んでいけば良いだけだ。


***


ペラリペラリとページを捲り続け、起承転結でいう結の最終場面で顔を上げた。

甘い香りが鼻腔を擽る。


「……ベルゼブブ」

「よぉ」


甘い香りのした方向へと視線を向ければ、書斎に置かれたソファーに身を沈める男が一人。

光の当たり具合で緑に光る黒髪とダークグレーの瞳が、どことなく地に足の付いていない雰囲気を醸し出す。


甘い香りはその男――ベルゼブブの持っていた棒付き飴からしたらしい。

毒々しいほどに赤い飴を、ベルゼブブは口の中に放り込む。


ジャケットのポケットから見える色とりどりのパッケージは、恐らくも何もどう見たってお菓子だろう。

どうやったらそんなに入るの?と問い掛けたくなるほどに、ベルゼブブの服のポケットにはお菓子が大量に入っている。


「……苺味?」


本を開いたまま問い掛ければ、ベルゼブブは食べている本人だというのに、あーと唸りながら首を左右に傾ける。

ちゅっ、と軽いリップ音と共に口の中から取り出した飴は、毒々しい赤のまま、唾液で光っていた。


ぼんやりと飴を眺めていると、ソファーから立ち上がったベルゼブブ。

何をするのかと思えば、私の目の前までやって来て、顔を覗き込む。

ダークグレーの瞳は、鏡のように私を映し、ただただ反射する。


身構える間もなく「むぐっ」両頬を片手で捕まれ「ちょっ……」口の中に飴を放り込まれた。

カラコロと歯にぶつかって、高い音を立てるそれに、私は眉を寄せる。

眉間に出来たであろう皺を見下ろし、目元も口元も弓形にして笑うベルゼブブは、非常にとても楽しそうに問う。


「何の味だと思う?」


未だ幼さの残る青年の顔。

それが愉悦に歪むのを見ながら、飴を転がし、舌で何とか覚えのある味と照らし合わせてみる。


甘い、けれどほのかに酸味。

だが苺のような強い香りは感じず、見覚えのない味だと首を傾げる。


「苺ではないわね。……でも、これ果物よね」

「おう。ザクロだってよ」


飴の包み紙らしいものを目の前に差し出され、まじまじと見詰める。

包装の方はピンクに近しい赤をしており、飴本体よりも可愛らしい。

そうしてその包装の真ん中には、丸みを帯びたフォントで『ざくろ』の三文字。


「はぁ、珍しいわね」

「俺もこれは初めてなんだけどよ」


ずるり、私の口内から飴を引っ張り出すベルゼブブは、そのまま飴を自分の口に戻す。


「ザクロって、人肉の味っていうよな」


ベルゼブブの唇の隙間から覗く赤が毒々しく、同時に生々しい。

ケラケラと笑い声を上げるベルゼブブは楽しそうだが、私には理解しかねる。

思ったことがそのまま顔に出ていたのか、ベルゼブブは、そうだよなぁ、と独り言のように呟いた。


しがない物書きとして生活する私は、実家が裕福で金銭面で困ったことはない。

だからこそ、ゆったりだらだらと物書きを続けていられるのだろう。


そして、世間一般の目では物書きや先生と名のつく位置にいる人間は、大抵どこかネジがズレていると思われがちだ。

独特の感性を持っている、と言っても良い。

その、独特の感性の中でも、私の感性というものは見える人間と見えない人間、そして信じる人間と信じない人間の別れる存在が見え信じることだった。


「悲しいかな。私は人間で雑食だけれど、人間を食べたことはないんだよ」


すぅ、と目を細める。

ベルゼブブ――格式高く気高い蝿の王である、悪食を司る悪魔が笑う。


私には、神様が見えて天使が見えて悪魔が見えて幽霊が見えて妖怪が見える。

目の前のベルゼブブは間違いなく悪魔であり、人の形を模して人の生きる世界で、さもリゾート気分でいるのだ。


私の中で、人によりけりで別れる存在を、いると固定して生きている。

だって見てるもの、だって喋れるもの、だって触れるもの、だっているんだもの。

どれだけ口にしてみても、見える人間と見えない人間、信じる人間と信じない人間の差は大きく埋まることのない溝がある。


「ベルゼブブ」

「あー?」

「詰まらない質問だ。君は、人を食べたことがあるのかい?決して美食家とは言えない、暴飲暴食。可能性はゼロじゃない」


右手人差し指をベルゼブブに突き出す。

爪を切っておらず伸びっぱなしのそれは、刺さればそれなりに痛い、鈍い凶器だ。


物書きとしてのジャンルは大雑把に言って、人と人ならざるものを話になる。

現代ファンタジーと言えば聞こえは良いのか、九本の美しい尾を持つ狐に攫われる人の子だとか、常にお腹が空いた暴食の悪魔に食料として飼われる人の子だとか。

読者が別れるようなものばかりだろう。


「あると思うか?」

「……あれば参考までに」


笑みで歪んだ顔が近付く。

目鼻立ちが整っているが、やはり幼さが抜けない顔立ちで、クラスや学年にいるムードメーカー的な青年だ。

あくまでも、顔付きに限った話。


飴の赤と、舌の赤。

微妙に彩度の違う赤を見て、手を伸ばしてみる。

見ているよりも太く感じる首に手を回し、そのまま勢いを付けて引き寄せれば、膝に置いていた本が滑り落ちていく。


「っ、う……」


本が足の上に落ちたところで、ベルゼブブが私の下唇を噛んだ。

ガリッ、と小さくなった飴でも噛む勢いでやられ、鈍い痛みが襲う。

生理的な涙が浮かぶが、その水気の奥で、ベルゼブブが笑っている。


離れていったベルゼブブの顔を睨みながらも、噛み切られた唇を守るように両手で押さえた。

完全に皮膚が裂け、血が流れている。

滲んでいる、なんて可愛らしい表現では収まらずに、生温い血液が流れていた。


「こんな美味くねーって。多分な」


どちらとも付かないような返答を投げやりに寄越したベルゼブブは、カラコロと飴を歯にぶつけながら笑う。

私の目付きが更に悪くなるのを気にも止めずに、落ちた本を私の膝の上に戻した。

先程とは違うページだ。


物語の中では、悪魔の食料となった人の子が、件の悪魔に生きたまま心臓を抉り取られているシーンだ。

恍惚とした悪魔の顔と、食べられることを心待ちにしていた人の子の興奮が見られる。


「残念だったな」


物語の中では『良かったな』だが、現実、聞こえてくるのは真逆とも言える言葉。

本を指し示すベルゼブブの指先は、悪魔の癖に切り揃え整えられており、その指で、私の胸もとを更に指し示した。

丁度胸の谷間辺りだ、人の子が悪魔に腕を突っ込まれた部分。


「……本当にね」そう答える私に、手を振ったベルゼブブは書斎を出ていく。

小さな音を立てて閉じられた扉を見て、私は渋々引き出しから原稿用紙と万年筆を取り出す。

仕事道具には未だ暫くお世話になる、らしい。


後は本棚のスペースを拡張し、珈琲を淹れて来なくてはいけなかった。

書斎に残る安っぽい柘榴の香りは、私の望みを叶えてくれなかったのだから。

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