第二章 良くも悪くも変化していく2
家から駅まで徒歩で十五分。そこから電車で五駅。そして駅から大学までが徒歩五分。計四十分弱の通学時間を経て大学へと到着する。ちなみに咲良と修一郎とは電車の時間が同じらしく、大学前の駅で降りて、改札口を出たところで大抵顔を合わせる。
「おはよう」
「よお」
今日はいつもより少しだけ早く、電車を降りたところで合流した。挨拶を交わして改札口を抜ける。咲良は晴人の隣に、修一郎はボクの隣に並ぶ。
「今日は寝坊しなかったんだな」
「目覚ましが優秀だからね」
冷やかすように言う修一郎に、そうはいくかと普通に返す。ちなみに優秀というのは亜依莉という全自動目覚ましのことだ。優秀すぎて休みの日にまで働くのが困ったところだけど。
「なあ結葉。結葉ってケーキ好きだよな?」
「うん。嫌いじゃないよ」
基本的に甘い物は好きだからケーキも好きだ。
「姉ちゃんから美味いって評判のケーキ屋を教えて貰ったんだよ。今度一緒にいかねーか?」
「いいよ」
「ほ、ほんとか!? いつ行く?」
「ちょっと待って、晴人と咲良に聞いてみるから」
「お、おう……」
あれ、修一郎がシュンとしてしまった。何かボク変なこと言ったっけ?
咲良と晴人に確認したらオーケーが出た。明後日なら午前中で講義が終わるから、ということでその日になった。
そんなことを話しつつ、一限目の講義が行われる教室にたどり着き、窓際の中ほどの席を確保する。四人一列じゃ端と端で声が聞こえないから、二人二列になって座る。前には晴人と咲良、その後ろに修一郎とボク。最初の頃はボクと晴人、咲良と修一郎だったはずなのに、いつの間にかこの席になってしまっていた。まあ、どうでもいいんだけど。
「ふあ……」
講義中。内容が詰まらなさすぎて欠伸が出る。晴人も眠そうだ。それなのに咲良だけは欠伸をすることなく真面目にノートを取っている。彼女の講義を受けるときの態度はほんと尊敬する。マネできないからなおさらのこと。
ぼーっと咲良を見ていると、彼女は隣で眠そうにしている晴人に気付いたようで、くすっと笑ってからシャペーンで晴人の腕をツンツンとつついた。
なんかいい雰囲気だなぁ。まるで恋人同士みたいだ。……あれ、ボク(晴人)と咲良ってこんなに仲良かったっけ? とくに咲良のあの優しげな表情……。
「ねえ、修一郎」
前の二人に聞こえないように、修一郎の耳元で囁く。
「んあ、どうした?」
修一郎、寝てたのか。ちょっと悪いことをした。
「ふと思ったんだけど」
「うん」
「咲良って晴人のことが好きなの?」
冗談のつもりだった。「んなわけないって」という答えが返ってくるものだとばかり思っていた。
「ああ、そうだ」
しかし返ってきたのは、まったく正反対の答えだった。
……え、そうだったの? 本当に?
修一郎が嘘を言っているようには思えなかった。そう言われた途端に咲良が晴人を慕っているように見えてしまう。プラシーボ効果?
「ついに結葉も気付いたか。結葉が兄離れした証拠だな」
「あ、兄離れ?」
そんなものをした覚えはない。というよりボクが晴人にくっついていたことなんて……今日も朝はくっついてたっけ。
「この間までお前と晴人ってべったりだったろ? それが急に距離をあけるようになって……って、あけるというよりは適正な距離になったというべきか。それでやっと咲良が晴人に近づけるようになったんだよ」
ボクと晴人がべったり……? ああそうか。ボクが結葉になる前の結葉のことか。たしかにホームビデオの結葉は晴人に必要以上にくっついていた。兄妹だというのに腕を組んだりしていたくらいだ。
「修一郎の言い方だと咲良は前から晴人のことが好きだったってことになるけど、だとしたらいつ頃から咲良は晴人のことが好きだったの?」
自分のことを聞いているようでちょっと恥ずかしい。しかしそれ以上に晴人が女の子に、しかも咲良に良く思われていたなんて、嬉しかった。
「さあ。詳しくは知らねーけど、俺が気付いた頃には咲良は晴人のことが好きだったと思うぜ。遅くとも一年の夏頃のあたりには」
い、一年以上前のことじゃないか。なんでボクは少しもそれに気付かなかったんだ。彼女が隠すのが上手かったのか、それともボクがただ鈍感だっただけなのか。きっと後者なんだろうなあ……。まさか自分がそんなふうに思われていたなんて思ってもみなかった。
「ともかく、だ。俺達はそっと見守っていようぜ」
「う、うん」
今も何か晴人に話しかけている咲良。その表情は明るく、とても楽しげだった。
◇◆◇◆
「久しぶりに飲みにいかねーか?」
修一郎の提案により、今日は居酒屋へ行くことになった。結葉として飲みに行ったことはないので、前回飲みにいったのはまだボクが晴人だった頃。たしか十月あたりだったと思う。約二ヶ月ぶりだ。
大学生なので値段の張るところへは行けない。ということで、大学前の通りにある、安くて美味しいと評判の居酒屋チェーン店に行くことにした。
一応両親には連絡を入れて、今日は遅くなることと、晩ご飯はいらないことを伝えてある。日付が変わるまでには帰ってきなさいと言われたけど、そんなことは分かりません。
店内はそれなりに混んでいたけど、待つことなくテーブルへと通された。大学の前にあるせいでお客のほとんどが学生だ。店員もボク達と同年代のようで、きっとうちの大学の子なのだろう。
「さて、何頼む?」
晴人がみんなに見えるようにメニューを広げる。
「一杯目は全員ビールだろ。乾杯はビールって相場が決まってんだ」
「君はサラリーマンかっ」
「まあまあいいじゃねーか。店員さん。生中四つよろしく!」
修一郎が勝手に店員を捕まえて注文する。咲良が不満そうに口を尖らせた。
「あんたねぇ。勝手に人の分を頼まないでくれる?」
「一杯目ぐらいビールでいいだろ。後は好きに頼んでいいから」
まったく……と呟きつつも、咲良が注文をキャンセルすることはなかった。
「あの、お客様。失礼ですが、お客様の中に未成年の方はいらっしゃいますでしょうか?」
さすが大手チェーン店。ちゃんと未成年が飲酒しないように確認するんだ。ここは大学のすぐ近くだし、特に気をつけているんだろうなあ。
しかし、だとしてもだ。さっきから店員がボクをチラチラと盗み見てくるのはどうしてだろう。というよりむしろボクしか見てない。
疑われている。その気持ちは分からなくもないけど、メンツ的に察して欲しいものだ。仕方なく財布から学生証を取り出し、彼女に突きつけた。
「ちゃんと二十歳です」
「え!? は、はい。ご、ご協力ありがとうございます」
彼女はペコペコと頭を下げる。なんでそんなに動揺してるんだ。そしてなんで今も目を丸くして、ボクと学生証を何度も交互に見比べてるんだ。ないとは思うけど、ボクのことを高校生くらいだと思っていた? もしそうだとしたら、とてもとても失礼だっ。
その後飲み物以外にもいろいろとおつまみになるものを注文する。店員さんが注文を繰り返して下がり、五分も経たないうちにビールと注文した品物のいくつかがテーブルに並んだ。
「そんじゃ、今週もお疲れ様でした。乾杯!」
『かんぱーい』
修一郎が音頭を取り、グラスをカチャンと鳴らす。修一郎がゴクゴクと良い飲みっぷりを披露する。
「ぷはあっ。うまい! この一杯のために生きてるって感じだな」
「だから君はサラリーマンかっての」
揚げ出し豆腐をお箸で切り分けながら修一郎にツッコミを入れる。自分の分をお皿に乗せて、さらに小さくお箸で切って口に運ぶ。なんで居酒屋の揚げ出し豆腐はこんなに美味しいんだろう。
「店員さん、生中おかわり!」
「はやっ」
水を飲むような速さで空になったジョッキを掲げる修一郎。
「ん? こんなんアルプスの奥地の清らかな源流水を丁寧に濾過したミネラルウォーターを飲むようなもんだぜ」
「普通に水でいいんじゃないの?」
チビチビとビールを飲む。炭酸がシュワシュワと喉に当たってちょっと痛い。けど美味しい。ビールを考えた人は偉い。ダイナマイトを発明した人くらい偉い。
「結葉はほどほどにしておきなさいよ」
「なんで?」
「なんでって……まあ今日は大丈夫かしら」
歯切れの悪い物言いをしてボクから視線を外す。唐揚げにぱくつきながらメニューを見る。ビールの次は何を頼もうかな。カルアミルクか酎ハイか、梅酒でもいいなあ。
「まだほとんど飲んでないのに次を決めないの」
「えー。こうやって選んでるのも楽しいじゃん」
「咲良、この千年の梅酒ってのが甘くてうまいって隆俊が言ってたぞ」
「へぇ~。あいつ梅酒好きだものね。あたしは次それいってみようかしら。結葉、メニュー見せて」
咲良にメニューを渡す。ちなみに隆俊というのは同じ学部、学科、学年に所属するスポーツマンだ。それなりにボク達と仲がいいのだけど、野球部に所属しているからそっちで忙しいらしい。休みの日なんかも部活の子と遊んでいるのだとか。特に最近では彼女ができて夢中だと惚気られた。アイツはピッチャーでエースだからモテるんだろうなあ。……け、決して羨ましいわけじゃないけどねっ。
「唐揚げにレモンかけていいよな?」
修一郎がレモンの欠片を押し潰しながら言う。もうかけてるじゃないか。
「あたしはいいわよ」
「半分だけにしてくれ。俺と結葉はレモンなしの方がいい」
「あ、悪い。もう全部かけた」
「お前なあ……」
悪びれた様子のない修一郎に晴人が半眼を向ける。酸っぱいのは好きじゃない。でも唐揚げは好きだから、レモンがあまりかかってないのを選ぼう。
「ほら晴人、いっき、いっき!」
「やらないって」
と言いつつも一口で半分ほど減った。いい飲みっぷり……って、いつのまにかボク以外みんな結構飲んでるじゃないか。早いよ。一杯目くらいみんなと合わせたいのに。
「んぐっ、んぐっ……ぷはっ」
少しボクには重たいジョキを両手で持ち上げ、グイッと傾けて喉に流し込んだ。
「おぉ、いい飲みっぷり」
「無理しちゃだめよ」
「これくらい大丈夫だって……ひっく」
あれ、しゃっくりが出ちゃった。
「あんたは体がちっさいんだから、酔いが回るのも早いのよ」
「もう、咲良はまた適当なことを、ひっく。あとボクはそんなにちっさく、ひっく」
「結葉、お水貰おうか?」
「だいじょーぶ」
お皿に盛られたキャベツに手を伸ばす。生のキャベツにタレをちょっとかけただけの料理。でも美味しい。
「店員さん、生中おかわり!」
修一郎はもう三杯目? よく飲むなあ。
「修一郎はビール以外は飲まないの?」
「俺はビールが好きだから、って結葉、顔真っ赤だぞ」
「んー、ほんと?」
鞄の中から鏡を取り出す。ほんとだ。耳まで真っ赤だ。まるで茹で上がったタコのように。
「あはははっ。なんか面白い!」
鏡の自分を指さしてケタケタと笑う。その姿が面白くてまた笑う。笑うと喉が渇く。
「んぐんぐ……ぷはっ。むっ、なくなっちゃった。店員さーん、おかわりくださーい!」
空になったジョッキを掲げて店員さんを呼んだ。すぐさまやってきた彼女にジョッキを渡す。
「お店のビールって美味しいよね。あのビールサーバーっていうの? あれうちにも欲しいなあ~。そうしたら家でも美味しいビール飲めるのに。缶ビールは変な味がするから飲めないし」
割り箸を一本持って絞られて薄くなったレモンをツンツンとつつく。
「……はぐれ檸檬柑橘派。搾り取られた果汁の行方はいずこに」
「レモンの絞りかすで何を遊んでるのよ……」
「ん? サスペンス劇場。ちなみに後半のはサブタイトルだよ」
「それ、楽しい?」
「うん。きっと取り調べでは『お前が搾ったんだろ!』って事情聴取するんだよ。あはは。なんか楽しくなってきたっ!」
「……酔ったな」
「酔ったわね」
「はあ……」
修一郎と咲良にはジト目で見られ、晴人はため息をついている。別にボクは酔ってないのに。