第二章 良くも悪くも変化していく1
ボクが結葉となってから一ヶ月が経った。
「お兄ちゃん! 今日は一限から講義なんでしょ? 起きないと遅刻するよ!」
ドアがバタンと勢い良く開き、いつもの甲高い声が部屋に響いた。
……眠い。寝かせて欲しい。昨日は咲良達と遅くまでファミレスでレポートを書いていたんだ。今日くらい休んでも単位は逃げないよ、たぶん。
ボクは布団の中で丸くなった。
「おー……今起きる」
すぐ隣の晴人が亜依莉に返事する。彼が起き上がったせいで布団が捲れた。寒いじゃないか。
「はあ……お姉ちゃん。またお兄ちゃんのベッドに潜り込んでる」
「お、お姉ちゃん?」
晴人がまぬけな声を零す。うっすらと目を開けてみれば、晴人とバッチリ目が合った。
「晴人寒い」
「な、なんでお前が寝てんだよ!?」
毎度お馴染みのセリフ。冷たい外気に触れて目が覚めてしまったので、渋々起き上がる。
「ふぁ……。おはよう晴人、亜依莉」
「おはようお姉ちゃん」
「お、おはよう……じゃねーよ! なんでお前はいつもいつも俺の布団に潜り込んでんだ!」
「なんでって、落ち着くからだけど?」
布団を引き寄せ、体に巻き付ける。暦は十二月。クリスマスまであと一週間というこの時期。暖房の入っていない晴人の部屋はとてもとても寒かった。
「それじゃ、あたしは先に学校に行くから、戸締まりちゃんとしてね。いってきまーす」
「いってらっしゃーい」
ベッドの上から亜依莉を送り出す。ガチャンと音が聞こえてから晴人の方を向いた。
「何か言いたそうだね」
ボクがそう言うと、晴人は大きくため息をついた。
「お前なあ、毎日毎日人の布団に入ってくるなよ。嫌がらせか?」
「違う違う。そんなつもりは毛頭ないよ。だって仕方ないじゃん。結葉の部屋じゃ寝られないんだから」
「なんで寝られないんだよ」
ボクは鼻先に布団を引き寄せる。
「晴人の匂いがする」
「やめろ!」
布団を奪い取られた。寒い。
「お前は変態か!」
「変態だなんて人聞きの悪い」
「じゃあなんて布団を嗅いだんだ!?」
「さっきも言ったよ。落ち着くからだって」
「なんで落ち着くんだよ!?」
「自分の……って、この場合は晴人か。晴人の匂いって凄く落ち着くんだよ」
「……何言ってんのお前」
凄く真面目に答えたのに引かれてしまった。ショックだ。
「ってお前またワイシャツ一枚かよ! 寝る前はパジャマ着てたのに。……もしかして、それも俺の匂いがするからなのか?」
「ううん。これは違う」
裾を持って持ち上げてみせる。露骨に晴人が目をそらした。ふっふっふ、ウブなヤツめ。
「じゃあなんだよ」
「もちろん晴人を困らせるた――むぐっ」
思いっきり枕を投げられた。
ボクが結葉になってから一ヶ月が過ぎても、いまだボクは結葉のまま、この世界にいた。
◇◆◇◆
「さむっ」
駅のホームで電車を待つボクに、冬の冷たい風が切り裂くように吹き抜ける。手袋をした手やマフラーをした首回り、そして何枚も重ね着をしているので大抵のところは風をシャットアウトしていて暖かいのだけど、タイツだけの脚と無防備な耳だけはとても寒かった。
「寒いならスカートを穿かなければいいのに」
「結葉はズボンを持ってないんだよ」
「ゼロってわけじゃないだろ?」
「いくつかはあるけど、それを穿いたとして、どの服と合わせればいいのか分からないんだ」
「ああ、なるほど」
晴人がニヤリと笑う。この顔は当時のことを思い出して笑っているんだ。そうに違いない。
服はセットで買い、セットで着る。自分でアレンジはしない。一度失敗して咲良に大笑いされたことがあるボクの教訓だ。
「脚はまだいいんだ。ちょっとは慣れたから」
「慣れるものなのか……」
「半分以上はやせ我慢」
「女は大変だな……」
まったくだ。おしゃれのために寒さも我慢するとか意味が分からない。冬場の中高生が生足を出しているけど、きっともの凄いやせ我慢をしているんだろうなあ……。その根性は男よりも男らしいのかもしれない。
「あれから一ヶ月か……戻る気配もないし、もしかするとこのままなのかもな」
「そうだね」
結葉になって一ヶ月。最初の頃は四六時中元の世界に戻ることを考えて、毎朝起きる度に元の世界に戻ってるんじゃないかと期待して、その度に隣の晴人を見て落ち込んでいたけど、半月ほど経つ頃にはほとんど諦めモードに入り、さらに一週間経過すると朝起きても特に何も思うことはなくなり、そして今じゃ元の世界に戻ることそのものを考えることがなくなっていた。
「お前もあの頃から比べるとかなり女の子らしくなったよな」
「そう? 自分じゃあまり変わったとは思えないんだけど」
「元々女っぽかったが、仕草とか口調が前より自然になった」
「元々は余計」
くすくすと笑ってハッとする。なるほど、たしかに自然だ。
「でも、お前はそれでいいのか?」
「いいのかと言われても、どうしようもないしね」
そう、どうしようもない。晴人のせいでボクが結葉になって、こんなにも苦労しているんだとしても、それもどうしようもない。何も変わらないのだ。だから心の中だけで愚痴る。そうしないとやっていられなかった。
「まあそうだけど……」
晴人が見るからに落ち込む。ボクのこれからのことを案じてくれているのだろうか。否応なく女として生きていくことになったボクのことを。
ボクは表面上明るく振る舞う。大きく振りかぶって晴人の背中を叩いた。
「心配しないっ。どんなボクになろうと、ボクはボク。加志崎晴人だよ」
たとえ体が女でも、世間からは加志崎結葉と認識されても、ボクの心は晴人のままなのだ。
「それが問題なんだよ……」
晴人の呟きが風の音で掻き消される。
「ん、何か言った?」
「いや、何も。それより電車遅いな。遅れてるのか?」
晴人がボクから視線を外し、電車が入って来る方を見やる。追求することでもないかと思い、ボクも彼の視線の先を追った。