第一章 どうやら女の子になったようです2
何がどこで役に立つのか分からない。それを今日ほど感じたことはない。
視線を下げて見えるのは、ブラウンのワンピースに濃いグリーンのカーディガン。どう見ても女物ですありがとうございます。
そんな女の子女の子した服をボクは着ていた。ちなみに考えたくはないけど、見られたときのことも考えて、下着もバッチリ女物を着ている。この姿で男物の下着を穿いているのを見られるのは、女物の下着を見られることよりも恥ずかしいと判断したからだ。今のボクは一応女の子なのだから。
男の服とは構造が違ったので、着るのに少しばかり戸惑ったけど、なんとか一人で着ることができた。まさか二年前の高校での文化祭でやったメイド喫茶の女装が役立つとは夢にも思わなかった。あのときは友人のことを恨んだものだけど、今なら少し許してあげてもいいかもしれない。
それにしてもスカートというものはスースーする。ほとんど下半身を露出しているような、何も着ていないに等しい感じだ。足を閉じて椅子に座っているから見えないはずなのに、気になって何度も裾の位置を確認してしまう
「まったく、二人して寝坊ってどういうことよ」
「へ、あ、あはは。ごめんね」
顔を上げると、咲良にジト目で睨まれた。本当のことが言えるはずもなく、ボク達は遅刻の理由を寝坊としたのだ。
なんとか一限目に間に合い、出席扱いとなったボクと晴人は、続いて二限の講義も受け、昼食を取るために友人と学食へと来ていた。
「いつものように亜依莉ちゃんが起こしてくれたんじゃないのか?」
咲良の隣、相澤修一郎が晴人に言う。
「二度寝したんだよ。言わせんなよ恥ずかしい」
「恥ずかしいなら一人で起きろよ……」
修一郎が正論過ぎて晴人をフォローできない。うどんを啜りながら、こっそりとみんなを見回す。
ミディアムショートのさっぱりした黒髪に一見すると好青年に見える極々普通な晴人に、耳が隠れるほどの長さの茶髪に耳にはピアスと、晴人とは違い好青年とは言い難い修一郎。肩に僅かばかり届かないまっすぐな黒髪に縁の赤い眼鏡をした、見た目インドア風なのに実はアウトドア派な咲良。そして「お前日本人じゃないだろ」という声が聞こえてきそうなボク、結葉。
学食のテーブルを囲むのはその四人。結葉を除けば、以前のボクもよく知る仲のいい三人組だ。
「そうやってまた前期みたいに単位落としても知らないわよ?」
「つ、次からは気をつけるよ」
「そのセリフを何度聞いたことか」
「うっ……」
二の句が継げられないボクを見て、咲良が小さくため息をつきながら、パスタをフォークでクルクルと巻いて口に運ぶ。あんな風に塊にしたら、麺にした意味がないような気がするのはボクだけだろうか。
「で、その帽子はどうしたの?」
咲良が口から引き抜いたフォークでボクの頭を指す。それは家を出るときに被ってきた、くたびれた無印の帽子だ。たぶん父さんのものだろうけど、変色し、埃を被ってたから、勝手に使っても問題ないと思い、拝借してきたのだ。
「……変かな?」
「変よ」
「ですよねー」
じゃあ脱ぎなさい、という無言の視線に、渋々帽子を取る。中に詰め込んでいた銀色の長い髪が重力に引かれてハラリと落ちた。無理矢理詰め込んでいたのでボサボサだ。手で梳いて跳ねた髪の毛を直していく。
「相変わらず結葉の髪って綺麗よね」
「そう? ありがとう」
たしかにこの髪は綺麗だと思う。こんなに長いのに枝毛も切れ毛もなく、手で梳いてもひっかかることはない。光を受ければキラキラと綺麗に輝くのだから、鬱陶しいのにもったいなくて切るのを躊躇ってしまう。
しかし、やはりというか、この髪は目立つらしく、帽子を脱いだ途端に幾つもの視線を感じるようになった。それが嫌で帽子を被っていたのだけど、咲良にそれを言ってしまうと「今更になって?」と不思議がられるのは目に見えていた。だから素直に帽子を脱いだのだ。
慣れないとなぁ……。ボクのいた世界に戻れるのがいつになるのか、それ以前に戻れるのかどうかも不明なこの状況では、嫌でもこの体にお世話になるしかないのだ。まったくもって、隣の晴人が羨ましい。
「ん、どうした?」
「別に」
短く答えて視線をそらす。晴人も特に気にすることはなく、ハンバーグを口に運ぶ。やけに前が静かだなと思って顔を上げると、咲良と修一郎が目を丸くしてボク達を見ていた。
「どうかした?」
「え、う、ううん。なんでもないわ」
慌てた様子で両手を顔の前で振る咲良。修一郎も視線を下げた。なんとなく二人とも嬉しそうなのは気のせいだろうか。
「そ、それで、この後はどうする?」
「この後? うーん……」
あからさまに修一郎が話題を変える。特に追求することもないので、それに乗ることにする。
今日の講義は午前中のみ。午後からはフリーだ。
「レポートはないし、他に用事もないし……」
「じゃあ、ボーリングでも行くか!」
修一郎の提案に、全員が眉をひそめる。
「ボーリングは昨日行ったじゃない」
「もう一回晴人と勝負したいんだよ。あんな結果、俺は認めない! 昨日は調子が悪かったんだ!」
ビシッと修一郎が晴人を指さす。一瞬「あれ、ボクじゃないの?」と言いそうになったが、今のボクは結葉だった。危ない危ない。
「俺はいいぞ。ただし、付き合ってやるんだから、お前が負けたらゲーム代くらいはおごれよ?」
「おう。というか、今日は全員俺のおごりでいいぜ。バイトの給料日だからさ」
貯めるという考えはないのかコイツには。……まあ、奢ってくれるって言うなら甘えるけど。
「ふーん。それだったらあたしもいいわよ。結葉は?」
「うん。いいよ」
「よし、決まりだなっ」
修一郎が勢い良く立ち上がる。って早っ!? ボクはまだ半分も食べてないっていうのに、大盛りだったはずのカツ丼のどんぶりは綺麗さっぱりカラになっていた。
「結葉、まだ全然残ってるじゃないか」
うっさい。これでも急いで食べてるんだ。だけど、汁が飛ばないようにとか、髪がどんぶりの中に入らないようにとか、口が余りにも小さくてたくさん入らなかったりとかで、思うように食べられないんだ。
お箸を置き、背もたれに体を預ける。もうお腹がいっぱいだ。結葉は胃が小さいらしい。
「まーた結葉は残すのか。お子様ランチくらいでちょうどそうだな。ははは」
修一郎が笑う。お子様ランチという単語にカチンと来た。
「うっさい。キャラメルを食べて奥の銀歯が取れてしまえ」
修一郎がヒィッと声を出して右頬を押さえた。ついこの間経験した痛みを思い出したに違いない。歯医者が怖いって、どっちがお子様なのやら。
まだ半分くらい残ったうどんをお盆ごと彼の前に押す。修一郎が変な顔をしたままボクに視線を送る。
「まだ食べられるならどうぞ」
「……い、いいのか?」
「うん。残したらもったいないし。食器を返却するときに残ってたら、なんか悪い気がしない?」
「お、おお。そうだなっ。そんじゃありがたく」
修一郎が座り直し、自分が使っていた割り箸を持つ。
気持ちのいいくらいにズゾゾと音を鳴らしてうどんを啜る彼を見つつ、お茶を飲む。そんなに啜ってたら汁が……あ、ほら服に飛んだ。黒だから気にしてないのかな。
と、咲良がまたボクを見て目を丸くしていた。何を驚いているのか分からず、ボクと晴人は首を捻った。