第一章 どうやら女の子になったようです1
『晴人、早くこっち来て。見てよ、この夜景。凄いよ!』
『待てって結葉。まだ亜依莉と父さんが下にいるのに勝手に進むなって』
「……結葉、だってよ」
「結葉、らしいね」
晴人の姿をした彼がボクを指さし、晴人のはずなのにテレビに映る女の子と同じ姿をしたボクが自分を指さす。彼は笑おうとしてるのだろうか、口角が上がっているのに頬の筋肉が引きつっているらしく、表情はぎこちない。きっとボクもそうなっているんだろうけど。
彼が起きて一悶着あった後、ボク達は母さんが撮ったホームビデオを見ていた。母さんは何かに付けて記念に残したがる人で、イベント事があるとこうして動画や写真にして取り収めているのだ。今見ているのは去年の夏休みに家族旅行で函館の夜景を見に行ったシーンで、ボクの姿をした女の子と晴人が仲良さそうに並んで夜景を眺めているところだ。
今は大人しくボクの隣でテレビを見ている彼だけど、起きた当初はそれはそれは大声を上げてボクを困らせた。まあ、いつまで経ってもこっちの話を聞きそうになかったので、イラッときて落ち着けと叫んでやると、意外とすぐに大人しくなった。恐らく単純に怖じ気づいたんだろう。もし彼が外見通りにボク自身であれば、こんな自分より頭一つ分は小さな女の子に怒られることなんて今までの人生の中でなかったことだし。
で、見た目上落ち着いた彼に、ボクはまず自分が加志崎晴人であることを伝えた。聞きたいことはいろいろとあったけど、何よりも最初にお互いの素性(中身)を知ることが先決だと考えたからだ。ボクが晴人だと証明するのは意外と簡単なことで、他人が相手ならともかく、相手は恐らく自分自身、自分相手に自分が晴人だと信じさせるのなら、ボク達しか知らないことを言ってみせればいいのだ。例えば、亜依莉や両親に見られたくないようないかがわしい書籍の隠し場所がクローゼットの右隅にあるダンボールの中だとか、お気に入りのウェブサイトはデスクトップのフォルダにまとめてあるとか、家に帰ってきてまずすることは、携帯電話の充電と財布を机の一番上の引き出しにしまうこととか、寝る前にこっそり腹筋をしていることとか。
特に最初の書籍の隠し場所については効いたようで、彼は顔を真っ赤にして詰め寄り、口を塞いできた。そしてその行動は同時に、彼が本当に晴人、ボク本人だということを表していた。自分のことでなければこれほどの反応は示さないだろう。信じられないことだけど、ボクも彼も、見た目はともかく、中身は同じ加志崎晴人だったのだ。
そして今。お互いが晴人だと理解し合えたなら、次に把握しなければならないことは当然「このボク(外見)は誰なのか」になるわけだ。起こしに来た亜依莉の反応から、もしかしてと二人でホームビデオを見ることにしたのだが……選んで正解だった。どうやらボクの外見である女の子は亜依莉の姉であり、晴人の双子の妹、晴人と同じ大学、同じ学部、同じ学科に通う加志崎結葉という正真正銘の加志崎家の一員だった。なるほど、それでさっき亜依莉はボクを見て、お姉ちゃんって言ったのか。
「……結葉なんて双子の妹いたか?」
「いない。そっちは?」
「俺も」
ボクも彼も、結葉という双子の妹の存在を知らない。両親は隠し事をするような人達じゃないから、実際結葉なんて女の子は存在しなかったはずだ。しかしさっきの亜依莉が嘘を吐いているようにも見えなかったし、数年分のホームビデオを見ても、そこにいないはずの結葉の姿があった。本当に結葉という妹がいるのだ。
つまり、ボク達には双子の妹はいなかった。しかし、ここには……この世界には結葉がいる。ちゃんと存在しているのだ。そして、その結葉のいる世界に、晴人であるはずのボクと彼がいる。
この結果から導き出されるのは、だ。
「ボクと君は別の世界、パラレルワールドから来た晴人、ってこと?」
「……俺も今それを考えてた」
余りにも突拍子のないことだけど、今のボク達にしっくりくるのはこれだろう。パラレルワールド、結葉という双子の妹がいない平行世界の住人であるボク達が、結葉のいるこの世界へやってきたと考えれば辻褄が合う。
「でも、なんでこんなことになったのかさっぱりだ。昨日何か変なことしたっけ……」
「ボーリングしてカラオケに行っただけじゃないか?」
「だよね」
それからしばらく二人で昨日のことを思い返したけど、やはりいつもと変わらない日常で、特に要因になりそうなことは一つとしてなかった。もしかすると原因はボク達にあるわけじゃなく、誰かの陰謀に巻き込まれたとか、若しくは不可抗力的な何かしらの大きな力が働いてここに来たとか、そういうものなのかもしれない。……いや、むしろ原因なんてなくて、突然雨が降るように、突然ボク達はこの世界に来ただけなのかもしれない。
……まあいずれにしろ、ボク達が考えたところで全ては臆測に過ぎず、答えは出ないのだ。そしてそれはボク達に限らず誰に尋ねても同じことだろう。十中八九変な目で見られて、嫌な思いをするだけだ。結葉になってしまったボクは特に。
「はあ……。原因が分からないんじゃ、元の世界に戻る方法なんて絶対分からないよね」
「まあな。なるようにしかならないだろ」
コイツ、なんか吹っ切れてるなあ……。中身は同じはずなのに、どうしてこんなにさっぱりとしたものの考え方ができるのだろう。どちらかといえば、加志崎晴人という人物はネチネチと考え込む内向的性格のはずだ。。
「そうだけど、そのなげやりな態度はむかつく」
「見たところ結葉がいる以外は俺のいた世界と同じようだから、意地になって戻る必要もないしな。そう気にしていない。それに――」
ふいに彼がニヤリと笑う。
「俺は俺のままだしな」
「それだ、それ! なんで同じ晴人なのに君が晴人のままでボクが結葉なんだよ!」
「俺が知るか。けど、敢えて言うなら、俺の方がここの晴人に近かったから、とかじゃないのか?」
どこが!? と言い返しそうになって、止めた。彼の言うように、ボクもホームビデオを見て、彼の方がボクよりもこの世界の晴人に似ていると思ったのだ。口調も、表情も、性格も。
ボクはため息をつく。
「同じ晴人なのに、ボクと君達で何が違ったんだろう」
「何がって、そりゃいろいろと……」
晴人が言葉を途中で切って腕を組む。何度か首を捻り、やがて「あー」と声を上げた。
「お前の喋り方、それ中学の頃のままじゃないか。もしかしてお前、高校デビューのときに自分のことを『俺』って言い換えるのに失敗したのか?」
「え、そっちじゃやり通したの?」
驚くボクに彼が頷く。
それは四年前、高校に入学したばかりの頃。何を思ったのか、ボクはふいに「せっかく高校デビューしたのだから、もっと男らしくしてみよう」と思い立ち、今まで『ボク』と言ってきた自分のことを『俺』と、そして口調をちょっと乱暴に変えてみたのだ。結局は恥ずかしくなって数日で止めたのだけど……。コイツはそれをやり通して今に至るらしい。
「まさかそれで? そんな些細なことでこうも違うなんて……」
頭を抱えるボクの横で、彼がはははと笑う。彼がボクと同じであれば、ここで笑うようなことはしないはず。
「病は気から。性格は口調からって言うだろ」
「言わない」
睨まれた。睨んでも言わないものは言わない。
まあ、でもそうか。パラレルワールドであれば全てが全てボクと同じことをしてきたわけでもないんだろう。人というのはその生きてきた過程で性格やら何やらが形成されていく。同じボクでも、それはそっくりそのままボクというわけでもないんだ。
とそのとき、ポケットの中にしまっていた結葉の携帯電話が震えた。取り出して、僅かに躊躇してから見れば、それは友人の伊月咲良からのメールだった。
『代返してあげたから、バレる前に来るように』
「……講義のこと、すっかり忘れてた」
「あ」
お互いの顔を見合い、時計を見る。九時十分。とっくに一限目が始まっていた。
『やばっ!?』
同時に声を上げる。弾かれたように立ち上がり、一階のリビングから二階の自室へと向かう。
「お前の部屋はあっちだろ!?」
「え? あ、そうだった」
晴人の部屋は今は彼のものだった。彼に道を譲り、手前の部屋へ戻る。そこはボクの記憶では物置部屋だったはずだけど、この世界では結葉の部屋になっていた。
見知らぬ女の子の部屋に入ろうとしている気分だ。実際そうなのだから、緊張するのも仕方ないことだ。
「ああそうだ」
「な、何?」
もう部屋に入っているだろうと思っていた彼から声をかけられ、思わず緊張から声が上擦る。
「あー……お前には悪いかもしれないけど、どっちも晴人じゃ訳が分かんないから、俺が晴人、お前が結葉、でいいよな?」
「……まあ、いいんじゃない? そうするのが自然だろうし」
ここでボクが『晴人』と呼ばれることに固執したとしても、いいことは何もない。ボクは結葉なのだ。そのボクが妥協すれば丸く収まるのなら、これくらいは目を瞑ろう。……全然これくらい、じゃないけど。
「悪いな」
「いいよ。君の……晴人のせいじゃないし」
敢えて彼の、晴人の名前を出す。結葉が彼のことを「お兄ちゃん」と呼んでいなくて助かった。さすがに恥ずかしすぎる。
元は同じ加志崎晴人だからだろうか、すぐに彼はボクの気持ちをくみ取ってくれたようで、「ありがとう」と、そして「結葉」と言って微笑んだ。
先に部屋へと入っていく晴人を見届けて、ボクはため息をつき、ドアノブに手をかける。
「まあとりあえず、今日を頑張ってみるか」
他人の世界に来たことへの不安を短期的な決意の声で吹き飛ばし、ボクは自分の部屋へと入っていった。