エピローグ
「うぅ……歩きにくい」
「結葉、転ぶなよ」
「修一郎、ちゃんと結葉の手を握ってあげなさいよ」
「わ、分かってる」
修一郎に手を引かれ、いつもよりも圧倒的に小さな歩幅で石畳を歩いて行く。
もうなんでこんなに歩きにくいんだよ。こんなに歩きにくいんだったら着物なんて着なきゃ良かった。
十二月三十一日。もうすぐで新年を迎えようとしている深夜。ボク達はこの街でも有名な神社へ初詣へとやってきていた。
ボクと咲良は着物を着ていた。発案者は咲良だ。
『着る機会なんて早々ないでしょ? 折角だから着ましょうよ』
そう言って咲良がうちに持ってきたのが、今ボクが着ている花柄の着物。どうやら咲良の母さんの物らしく、タンスを整理していたときに出てきた物を咲良が拝借してきたらしい。
せっかくうちにまで持ってきてくれたのに、恥ずかしいとかそんな些細な理由で断るのは咲良に悪い。そう思ったボクは渋々着物を着ることにした。
『きっと修一郎、喜んでくれるわよ』
『な、なななんで修一郎の名前が出て来るの!?』
べ、別に修一郎が喜んでくれるかなあとか、そんなこと思ったわけじゃないんだからね!
……ま、まあ、待ち合わせ場所に行ったときに、開口一番「綺麗だ、似合ってる」と言ってくれたのは、素直に嬉しかったけど……。
「うわっ、人多いなっ!」
修一郎が目の前に広がる光景に声を上げた。
どこを見ても人、人、人。神社本堂まではまだ距離があるのに、これ以上前に進むのはちょっと無理そうなくらいに人の山が形成されていた。
「ここで待つしかないか」
「なんで夜中なのにこんなに人がいるんだよー」
文句の一つも言いたくなる。真冬の深夜。氷点下とまではいかないだろうけど、それに近い温度。耳当てをしていないから耳が痛いし、手袋を忘れて手が痛い。風があまり吹いていないのが唯一の救いってところだ。
「結葉、手袋はどうした?」
両手を合わせて息を吹きかけていると、めざとく修一郎が話しかけてきた。
「家に忘れた」
思っていたよりも着付けに時間がかかり、慌てて家を出てしまったせいで忘れたのだ。
「寒いか?」
「凄く寒い」
「よし、来い」
「へっ? ひゃっ!?」
突然体に手を回され、強引に引き寄せられた。修一郎はコートを広げていて、その中にボクを抱き込んだのだ。
「しゅ、修一郎!?」
「こうすれば暖かいだろ?」
「そ、そうだけど、恥ずかしいよ」
「大丈夫。誰も見てねーから」
そう言って修一郎はコートの前を閉じた。小柄なせいでとくに苦しくもなく収まった。
「……俺達が見てるんだけどな」
「バカップルね」
晴人が苦笑し、咲良がニヤリと笑う。体は冷たいのに、顔だけが暑くなった。
「は、離してよっ」
「おいおい落ち着けって。今更離れても遅いって」
「遅くない! 高校の頃の友達とかに見られたらどうするんだよ!?」
「そんときは自慢する」
「自慢!? いやだそんなの恥ずかしい!」
ボクがどんなに暴れても着物がボクの動きを阻害していたし、彼が力強く抱きしめているせいでコートの中から抜け出すことはできなかった。
はあ、もう嫌だ。付き合い初めてからずっとこんな感じだ。人の目をはばからずベタベタと引っ付いてきて。ボクがどれだけ恥ずかしい思いをしているのか、彼は分かっているのかなあ……?
抜け出すことを諦めたボクは大人しくして、代わりに彼を睨み上げた。
「手袋を忘れたのも寒いのも恥ずかしいのも、全部修一郎のせいだ」
「ああ。俺のせいだな」
睨んでいるというのに、修一郎は笑った。ドキリと心臓が跳ねたのはたぶん気のせい。
彼と付き合い初めてまだ一週間。彼氏彼女な関係になっても、ボク達はあまり変わっていなかった。ただちょっと、前より迷惑をかけられるようになり、迷惑をかけるようになった。
たとえば、修一郎はいろいろとボクに要求してくる。一日一回は電話するからちゃんと出ろとか、週一回はデートをするとか、プレゼントしたものはちゃんと身につけろだとか。今日だって朝に一度電話したし、耳と首と左手の薬指には彼からもらったピアスとネックレスと指輪をしている。渋々彼の言うことを聞いているという感じだ。代わりにボクは愚痴を聞いて貰ったり、八つ当たりさせてもらっている。約束通り、ボクの嫌なところを彼に請け負って貰っているのだ。一応直すつもりではあるけど、当分はこのままかな。
ちなみにこの3つもあるアクセサリー。たった一週間でこんなにも貰ったのには理由がある。ピアスは2年前に、ネックレスは1年前に、そしてこの指輪は今年のクリスマスにボクにプレゼントしようと思って買った物らしい。つまり、修一郎は少なくとも高校3年生の頃にはボクのことを好きだったということだ。情けないというか一途というか……ま、まあ嬉しいけど。
晴人と咲良の方はと言えば、順調に進んでいるようだ。この前のクリスマスイブにはキスもしたらしい。ちなみにボク達はと言えば、こうしてベタベタはしているものの、キスもその先もまだ何もしていない。大学生にもなってキスの一つもできないのはどうかと思うけど、どうしても元男だということが、そういう行為をすることにブレーキをかけていた。そんなわけで、修一郎にはもう少し待って貰っている。かわいそうだとは思うけど仕方ない。代わりと言ってはなんだけど、いつかそういう時が来た日には、ボクの方から彼にするつもりだ。
ふと時計を見る。あと少しで今年が終わる。この一年、とくにこの最後の二ヶ月はいろいろとあった。朝起きたら女の子になっていて、目の前にボクがいて……修一郎と付き合うことになって。
晴人だった頃のボクが今のボクを見たらなんて言うだろう。男と付き合うなんて気持ち悪い、だろうか。それとも、元の自分に戻りたくはないのか、だろうか。たぶんどちらでもないだろう。きっとボクはボクを見て、こう言うだろう。良かったね、と。
そのとき、突然夜空に低い鐘の音が響いた。
「お、年が明けた」
「え、うそ」
修一郎が腕時計を見せてくれる。たしかに長針と短針が真上を向いて重なっていた。
「あー。年が明ける瞬間を見ようと思ったのに」
「残念だったな。まあ来年の楽しみにとっとけよ」
自分はちゃんと見ていたからだろう。余裕の笑みに頬を膨らませる。
周りが騒がしくなり、少しずつ列が前に進み始める。ボク達もそれに合わせて歩みを進める。ボクの場合は修一郎に抱きしめられたまま。
「着物で歩きにくいのにさらに歩きにくい……」
「ははっ。離さないからな」
「どうせそうだと思いました」
小さくため息をついて、転ばないようにゆっくりと進む。
「結葉」
「んー」
歩くのに集中していて素っ気ない返事をする。
「明けましておめでとう。今年もよろしくな」
ハッとして顔を上げる。そこには満面の笑みを浮かべた修一郎がいた。
ボクはきょとんとその顔を数秒見つめ、そして返事する。
「明けましておめでとう。今年も……うーん、ちょっと違うかな」
ボクの言葉に修一郎が怪訝な顔をする。ボクはクスッと笑ってから、そっと彼の頬に触れた。
「これからよろしくね。ボクの彼氏さん」