サトの旅
いくつの村を訪れ、いくつの山を越えただろう。いくつの川で休み、いくつの森で眠っただろう。
『だって姉ちゃんてば、救いようがないくらいヒドイ方向音痴でしょ?』
ペトの心配そうな微笑みが脳裏に蘇る。
『お前はどうしてこの狭い村の中で遭難出来るんだ』
小さい頃、父上にそう言われて呆れられた事を思い出す。
ただ光の筋に従い歩いているはずなのに。きちんと地図も見て、方位磁石も使って、夜には星座図も活用している。
でも迷う。
本当に私ってば、恐ろしいくらい方向音痴なんだなぁ…はぁ~
どの村で聞いても『光が指してるのはこっちだね』と言われる方向には決まって、一つの街がある。
鍛冶の街、ハヌワ。
きっとそこにたどり着かなくてはいけない。のにたどり着かない。もどかしい。
『ごめんね…水晶さん』
また目の前に川が現れた。とにかく汗だらけの体を流したい。被っていたフードを取り、持っていた袋を置き、服を脱ぐとゆっくりと川へ入る。水晶は、首から下げた袋の中。弓は袋に入れて右手に。水に浸けないように頭に載せる。この二つは、どんな時も肌身離さず持っている。
『…はぁ~生き返る~』
ふと周りを見ると、一羽の大型の鳥が、対岸の川の中に佇んでいる。
『ラッキー♪』
長旅で気付いた事。こういう大型の鳥が川の中に佇んでいたら、その場所は――
ゆっくりと鳥の近くへと、川の中を滑るように移動する。鳥はチラッと私を見たが、特に気にする様子もなく、森へと視線を戻す。
『はぁ~温か~』
そう。お湯が湧いているのだ。どうやってお湯が湧いているのが判るのか、是非教えて欲しいくらいだ。でも、こういう鳥のお陰で、何度か自然のお風呂にもありつけているのだから感謝しないと。
突然、鳥がバサバサと飛び立った。急いで荷物へ視線を送る。
魔物だ。
小さめの、ネコくらいの大きさの魔物が荷物を漁っている。
『こらーー!』
大声を出すと、魔物がチラリとこちらを見た。緑色の目がギョロっと動く。でもすぐにまた、荷物を漁り始めた。
『ったく』
弓袋から矢を一本取り出し弓に付ける。ギリギリと引き絞ると、一気に矢を放った。
矢は空気を切り裂いて真っ直ぐに魔物へと向かう。ドサッと魔物が倒れる音がした。
『夕飯ゲット~♪』
川から上がると、いそいそと服を着る。魔物から矢を抜くと、近くの草をむしり矢じりを拭う。手を広げると、風に乗って草は飛んでいってしまった。
木を集めて火を起こす。
もうすぐ暗くなる。
魔物が活発になる時間だ。焚き火は魔物避けにもなるし、火を見ていると何故か心が落ち着いた。
川原で適当に拾った石で、村から持ってきた矢じりの基になる石を叩く。中が黒いからナカグロと呼ばれるこの石は、村の近くの山から採れる。この石から矢じりを作るのが修行の第一歩だ。石を叩くと、ピシッという音がして石が裂ける。これが最初はなかなか上手くいかないのだ。
『もっと力を加える方向を気にしなさい』
『ダメだ、もっと強く』
『今度は弱すぎる』
『感覚を覚えなさい』
父上の説教が、いつも頭を駆け巡る。なかなか上手く裂けずに、泣きながら石を叩いた。ペトは器用で、コツを聞いて一度で石を裂いた。でも、すぐにその石を隠した事は私だけが知っている。私が上手く作れるようになるまで、ペトもずっと“下手なフリ”をしてくれた。
裂けた石を、今度は叩いて矢じりの形に割っていく。こうして一時くらいで一個の矢じりが出来上がる。出来た矢じりに、瓶から粉を振りかける。この粉は、灰色と白が混じったキセキと呼ばれる石を砕いて作る。この粉を振りかけると、矢じりは白くなり魔物を倒せるものになる。キセキ自体は軽いし、鋭利に裂けないから矢じりには向いていない。しかし何故か、キセキに触れると魔物が弱ったり、中には死んでしまうものもいる。だから、魔物用の矢じりには、このキセキの粉を振りかけるのが私達の掟だ。このキセキは、茶色い壺に入っているのだが、使っても使っても、一晩経つとまたキセキが増えている。この茶色い壺は、魔法の壺と言われている。魔法だなんておとぎ話だと笑う者も多いが、ムゼの村人は誰も笑わない。その目で魔法の壺の効果を見ているから。
空を見上げると、星が光っている。やけに緑色の星が多い。
『姉ちゃ~ん!』
『…ペト?!』
聞き慣れた声。驚いて振り返ると、ペトが立っていた。
『どうして?!』
『どうしてって…姉ちゃんを助けるのは弟の役目でしょ?』
『だって!稽古場は?!』
『今日は休みだよ。もう姉ちゃん大丈夫?』
『私は…』
『大丈夫って言うんでしょ?いつもそうだよね』
『うん…』
『なに?悩んでるの?』
『え、うん。私ってば本当に方向音痴なんだな~って』
『え?ぷっ…ブハハハハハ!い、今頃?!アハハハハ』
『ヒ、ヒドくない?笑いすぎ!』
『だってさ~!アハハハハ!隣の人の家に野菜を持っていったまま遭難したのは…ヒヒヒヒヒ…伝説だよ?』
『そ、その話はヤメテ…』
『あの時の父ちゃんの顔ったら…ブハハハハハ!絶望を味わったって顔してたじゃん?あんな父ちゃんの顔見たことないよ!』
『もうっ!私の事笑いに来たの~?』
『いやいや。姉ちゃんが困ってそうだな~って思ってさ』
『困ってるよ!ハヌワって街に行きたいのに、全然着かないんだもんっ』
『ハヌワならもうすぐだよ。ほら、目の前の川を下れば着くから。ね?』
『え?!』
どうしてハヌワを知ってるの?と言いかけて気付く。
星だと思ってたのは、光る藻で、ここはムゼの洞窟だと。
『なんだ…夢…か』
『姉ちゃん!もうすぐだから!』
ペトの笑顔の余韻を引きずったまま目を覚ます。
辺りは朝日で白み始め、焚き火は消えかけていた。
『夢にまで心配して来てくれるんだ…』
一つ背伸びをして、焚き火に川の水を掛ける。少ない荷物を持つと、ペトを信じて川に沿って足を進めた。