弓使いサト
『姉ちゃん!たたたたた―』
『ペト?どうしたの?』
『すいすいすい―』
『落ち着いて』
『水晶が光ってる!』
『……えぇっ?!』
私の住む村ムゼは、村人全員が弓使い。私は代々師範を務める家系の長女として産まれ、ごく当たり前に弓と触れ合い、ごく当たり前に家を継いだ。そんな我が家には、弓と同じくらい大事にされ、先祖代々伝わっている物がある。
水晶だ。
掌に載るくらいのあまり大きくない水晶だが、ずっしりと重い。いつも神棚に置かれ、周りの景色を映しているだけ。
でも今は違う。
水晶から眩しいくらいの光が放射状に広がり、部屋を満たしている。白く、強く。水晶が意志を持ったとしか思えない光。
入口で立ち尽くしたままの私の隣で、弟のペトは、ただひたすらオドオドしていた。
『ね、ねぇこんな時さ、姉ちゃん、こんな時さ』
『落ち着いて』
『うん、落ち着こう。それが~一番大事~!』
『はい深呼吸。吸って~』
『すぅぅぅぅ』
『もっと吸って~』
『すぅぅぅぅ』
『まだまだ吸って~』
『すぅ…ぅぅぅ』
『天国が見えるまで――』
『っはぁぁぁぁぁ!ねぇ吐かせてぇぇぇ!ねぇ!交互にやらせてぇぇぇ』
『ふふっ。落ち着いた?』
『あ、…うん。ありがと姉ちゃん』
『どういたしまして』
『あ、ねぇ光が!』
思う存分光って満足したのだろうか。
突然光は収束し、そして一本の光の筋を作った。その光の筋は、窓の外へと伸びていた。
『…収まった?』
『みたいね』
私はゆっくりと部屋へ足を踏み入れた。そこは幾度となく、そう、今朝も入った居間。何にも変わらない。ただ一つ違うのは、初めて水晶が光ったという事。
『姉ちゃん、大丈夫かよ?!』
心配する弟の声をよそに、私はそっと水晶へ手を伸ばした。熱いかと思って少し躊躇ったが、触れた指先は、水晶がいつもと変わらず冷たい事を教えてくれた。ゆっくりと水晶を手に取ると、胸の前で抱える。光の筋は、相変わらず窓の外へと射している。
『もし水晶が光ったら、その光に従いなさい』
ふと、父の顔が頭をよぎる。父から託された言葉が、耳に蘇る。
『…はい。父上』
水晶を優しく撫でると、私はペトに向かって告げた。
『ペト、家督を譲るわ。今日からあなたが師範になりなさい』
『は?!ねねねねね、ななななな』
『落ち着いて』
『ねねねね姉ちゃんこそな!』
『私は…落ち着いてるよ』
その日の稽古場は騒然とした。
なにせ突然、師範が旅に出るなんて言い出すから。
そして、ペトが師範になる事に動揺する者もいた。
『本当にペト様で大丈夫ですか?』
『なにもすぐに旅立たなくともよろしいではないか』
『ペト様がしっかり師範としての鍛練を積まれてからでも』
『サト様一人で旅など…』
あまり背は大きくないペトだが、この日ばかりはいつも以上に小さくなっていた。
ペトは、技術面では全く問題ない。問題があるとすれば…
それは精神面だ。
心が優しすぎる。考えすぎる。自信がなさすぎる。
やれるのに、いつも私の影に沈もうとする。私がでしゃばりな性格だから、ペトが遠慮してしまうのかもしれない。
『…わかりました。ではこうしましょう。私とペトで弓の勝負をしましょう。ペトが勝てば、ペトが師範となる事に異議はありませんね?』
『姉ちゃん!』
『…ないようですね。では――』
『姉ちゃん待って!』
『…ペト。勝負です。いいですね?』
『やだよ!』
『夜七時。中央広場にて。解散』
『姉ちゃん!』
ザワザワと村人達が稽古場を後にする。とうとう、私達姉弟だけが残った。ペトは、ずっと怖い顔で私を睨んでいる。
『…勝手すぎるよ』
『どうして?』
『俺の話は全然聞いてくれない』
『…ごめんね』
『いや…俺こそ。なんか…ごめん』
『ペト。あそこ、行こうよ』
『?』
『洞窟』
村の外れにある洞窟は、夏は涼しく、冬は寒い。
幼い頃から、修行が嫌になると、私達は決まってこの洞窟へ逃げた。
『なんかここに来るの久しぶりね』
『父さん死んでからだから…二年くらい?』
『そうね。思えばがむしゃらな二年だったな~』
『本当。でも、すっかり師範も板に付いてきたじゃん』
『そう?ありがと。でもさ、必死すぎて、最近こうしてペトとゆっくり話してなかったよね』
『そういえばそうだね。お互い必死だったよね』
『ここに来ると思い出すよね…』
『…泣きまくった子どもの頃でしょ?』
『父上は本っ当にきつかったよね』
思い出しただけで、吐けそうなくらい、厳しい修行の日々だった子どもの頃。
辛くなると、ペトと手を取り合ってこの洞窟へ逃げてきた。そして、この洞窟の天井を見上げていた。
この洞窟の天井には、光る藻が生えている。年中暗い天井に、ぼぅっと星のように淡く光る藻。それを見ているだけで、心が落ち着いた。
ある日、私だけが父上に呼ばれた。
『お前が、師範になりなさい。この家を継ぐのです』
凄く驚いた事を、今でもはっきりと覚えている。男である弟が継ぐものだと、勝手に思っていた。私は自由になると。
『…私は病気だ。もう、長く生きられないだろう。明日から、お前に師範となる為の修行をつける。心しなさい』
『…お父さん!』
振り返ると、ペトが立っていた。
『…ペト』
『今、サトと大事な話をしている。部屋へ戻っていなさい』
『僕にも、僕にも姉ちゃんと同じ修行をつけてください!お願いします!』
師範になる修行。
それはどう考えても厳しいものだ。
なのに、師範になれと言われてもいないペトが、自分から修行をしたいと土下座している。
どうして?
悔しくないの?
嫌じゃないの?
何故かわからないけれど、涙が零れた事を覚えている。
『ペトって、本当に優しいよね』
『え?どうしたの急に』
『…ううん。昔からそう思ってた』
幼い頃からペトは優しかった。洞窟へ来るのも、決まって私が泣いていたり、修行に疲れてる時だった。ペトはいつも、周りをよく見ていた。
師範になる修行も、きっと私だけ辛い思いをさせたくないと思ったに違いない。
そんな事はちっとも言わないけれど。
『ペトはさ、師範になりたくないの?』
『え?!僕?!え~だって僕さ、ナヨナヨしてるし。師範って“がら”じゃないよ~』
『ペトの気持ちは?絶対になりたくない?一緒に修行したじゃん?』
『みんなの上に立つ自信はないよ』
『自信か…。そんなの私もないよ?』
『え~そうなの?もう自信満々って感じだよ?』
『自信満々の師範じゃなきゃ格好悪いでしょ?だから演じてるんだよ。みんなの望む師範の姿を』
『そうなの?』
『そうだよ!忘れたの?私は泣き虫サトだよ?』
『あはは。懐かしすぎるよそれ!いくつの時のあだ名?』
『…本質は変わってないよ。私は今でも泣き虫サトだよ。ペトは昔から強かったよね』
『え~?僕だって泣いてたよ~』
『ううん。私だけ泣き虫って言われないように、わざと泣いてくれてたでしょ?』
驚き顔のペト。
私はクスクスと笑った。
『姉弟だもん、解ってたよ。だから言ったじゃん。ペトは昔から優しいって』
『…いや~。やっぱり姉ちゃんには敵わないや』
『じゃあ潔く師範になりなさいよ』
『それはちょっと』
『じゃあ、ちゃんと真剣勝負しなさいよ。手抜いたら…追放だからね?』
『え?それは師範として言ってる?』
『勿論です』
真面目な顔で返すと、本気だと伝わったみたいで、ペトも真剣な顔になる。
『わかったよ。ま、姉ちゃんには勝てないから』
ペトは天井を見上げて笑っていた。
夜七時
約束の時間だ。
中央広場には、全村民が集まっていた。
『皆様、お集まり頂きありがとうございます。これより勝負を始めたいと思います。今回の勝負は、こうもり狩りです』
『おぉ』『難しいな』と村人達が口々に話している。
こうもりは、飛び方が不規則で弓で狩るのは至難の技だ。この村でこうもりを狩れるのは…私達ぐらいだろう。
『矢は五本ずつ。狩った数の多い方が勝ちとする。…ペト。いい?』
『いいよ』
『それでは、始め!』
私達は別々の方向へ走り出した。
私が、五羽のこうもりを手に広場へ戻ったのは、三分後。
私が戻って一分後、ペトが戻って来た。
『ペト様が戻られたぞ』
『何羽持ってる?!』
皆の視線が、ペトの手へと注がれる。
『五羽だ!』
『引き分けだ』
『…いいえ。ペト、ここへ獲物を』
私達は、台の上にこうもりを並べた。
『皆様、良く見てください』
私が狩ったこうもりと、ペトが狩ったこうもり。全員が見比べる。
『…何か気付いた者はいますか?』
『なんだ?』
『どちらも頭を狙ってるな』
『あ!』
一人の村人が声を上げた。
『どうですか?何か気付きましたか?』
『あ、あの。サト様のこうもりは、すべて頭を狙われておりますが、矢の刺さった場所はバラバラでございます。でもペト様の方は…』
『ほ、本当だ!全部右目に刺さっている!』
『えぇ?!』
どよめきと共に、皆がペトのこうもりを見る。
ペトのこうもりは、すべて右目に矢が刺さっていた。
『こ、これは!』
『こうもりを狩るだけでも至難の技なのに、同じ場所を射抜くとは…!』
自然と拍手が沸き起こる。
『皆様、これでペトの力はよく解って頂けたと思います。ペト。素晴らしい技術です』
『姉ちゃん…!』
『ペト。あなたに足りない物。それは自信です。見なさい、あなたの力を。あなたは間違いなく、この村一番の弓使いです』
『ペト様!失礼な発言をお許しください。これほどまでの実力がおありとは!』
『…では、ここに正式にペトへ家督を譲り、ペトが新しい師範として、皆様の指導を致します。これまで良く付いてきてくれました。本当にありがとうございました』
ゆっくり頭を下げると、拍手が起こる。私はペトの肩を軽く叩く。
『あなたなら、安心して任せられます』
私は広場を後にした。
後ろから、ペトが走ってくるのがわかった。
『姉ちゃん…!』
『…なに?』
振り向かずに答える。
『なんで?』
『何の話?』
『なんで手ぇ抜いたの?こうもりの右目を射ち抜くのは、姉ちゃんが教えてくれたじゃないか!それが一番、こうもりも苦しまないって!』
私はゆっくりと振り返ると、意地悪に微笑んだ。
『“演じてる”って、言ったじゃん?』
翌朝。
旅支度を整えた私は、誰にも言わずに村を出た。
いや、出ようと思っていた。
村の外れに来ると、何故かペトと皆が待ち構えていた。
『どうして?』
『解るよ。姉弟だからね』
ペトが微笑む。
『サト様!お気をつけて』
『これをお持ちください!』
『本当に心配です』
皆から渡された物。
方位磁石、地図、星座図。
『みんな…』
『皆、姉ちゃんの事心配してるんだよ。だって姉ちゃんてば、救いようがないくらいヒドイ方向音痴でしょ?』
ペトが心配そうに微笑んだ顔は、今でも忘れられない。