新しき首長
アヴェルに着いて、何度目の目覚めだろう。
まだここに着いて1日しか経っていないのに、随分とこの羽根のフトン―ユニパ―に慣れてしまった。
体を起こすと、隣に小さなテーブルが置いてあり、その上に水が用意してあった。気付けば、痛いくらいに喉が渇いている。水差しから透明のカップへ、零れるのも気にせず水を注ぐと、一気に喉へと押し込む。2杯、3杯…少しずつ喉の痛みが引いてきた。
『おはようございます』
クハラが食事を持って部屋へ入ってきた。
『あ、すみません。また気ぃ失っちゃったみたいで』
『夜でしたので、眠かったのでしょう。イビキをかきながらよく眠っておられましたよ?』
『そですか…なんかすみません』
『湯の支度も出来ておりますの。よろしければこの服をお使いください。ジャン様の服、かなり汚れてるみたいですし』
そう言いながら、マハラが服を持って入ってきた。
『何から何まですみません』
恐縮する俺に、マハラが屈託のない笑顔を向けた。
『セービー様の言い付けでございますから。ジャン様をもてなせと』
『…!そうだ!セービーはどうしたんですか?』
二人は顔を見合わせた。
『まずは、食事と湯を』
『その後にご案内致しますの』
食事を取り、風呂に入り、新しい服を着た俺は、二人の後ろに付いて歩いていた。
『この服は捨てても?』
ゴミでも触るみたいに俺の服をつまんだマハラが、さも当然のように聞いてきたが
『すみません!母ちゃんが作ってくれた大事な服なので!』
と言うと
『じゃあ…洗っておきますの』
と、なんとか処分せずにいてくれた。相変わらず、服はつまんだままだったが。
アヴェルの服は、薄い色を基調とした軽くてサラサラとした手触りの服だった。俺達の着ている、ごわごわとした麻の服とは大違いだ。
紅い廊下を進むと、黒い扉の前に着いた。明らかにそこだけ異質なのは、俺にもなんとなくわかった。
『ここは?』
『ここは、魔力を高める部屋でございます。首長の寝室になります』
『この部屋には高濃度の魔力が充満しておりますの。魔力の弱き者、精神の弱き者が入ると、あっという間に溶けてしまいますの』
『と、溶ける?!』
『はい。正確には、魔力に吸収されるという感じでしょうか?その魔力を、首長がまた吸われるのです』
『そうして首長は魔力を高めていかれるんですの』
すると、後ろから
『マハラ様、クハラ様。本日の魔物でございます』
『どわっ』
突然現れた男に、俺は腰を抜かしそうになった。
『ご苦労様。引き続き警備を頼むよ』
『は』
男は白い煙に包まれると、忽然と姿を消した。
『いいいいいまのは?!』
『隠者ですの』
『いんじゃ?!』
『えぇ。この村を守る為に色々と働いてくださるんですの。村の監視をしたり、こうして魔物を捕まえてきてくれたり』
マハラの掲げた籠の中には、うじゃうじゃと黒い物が蠢いていた。
『この周辺には、めっきり魔物が減ってしまったんですの。最近は随分と遠くまで足を伸ばして獲ってきてくださるんですの』
そう言いながら、マハラは笑顔で黒い扉を押し開ける。そうして、今受け取った篭から、バサバサと魔物達を部屋へと放り出す。この篭のどこにそんなに大量の魔物が!?というくらい、どっさりと魔物が出てきたが、しゅぅぅぅぅと黒い霧に包まれ、一瞬で消えていく。
『ね?消えましたでしょ?』
至極楽しそうに笑うマハラ。間違いなく趣味の悪い女だ。
『あははは、本当だ~面白~い』
俺のひきつった笑顔なんてお構い無しに、マハラが続ける。
『入ります?』
『入りません』
即答だ。当たり前だ。
『でもぉ、セービー様はこの中ですの。ジャン様の為に、お子を産まれたのですよ?』
『入りません』
即答だ。
『マハラ。それくらいにしてやれ』
呆れたようにクハラが間に入る。マハラが小さい声で
『セービー様の糧となればいいのに』
と呟いたのを、母ちゃん譲りの地獄耳は聞き逃さなかったけどな!
『ジャン様。朝、水を飲まれましたよね?』
『テーブルに置いてあったやつですか?』
『そうです。あの水は、特別な水でございます。セービー様の魔力が溶け込んだ水でございます。私達も毎朝あの水を飲んでおります。あの水を飲めば、セービー様の魔力を体内に入れる事が出来ます。ですので、体内の魔力が高いうちは、この部屋へ入る事も可能でございます』
『体内の魔力が高いうちって?』
『水に溶けた魔力は、水と一緒に体内から抜けていきます。ですので、汗をかいたり厠へ行かれたりすると、魔力は体外へ出てしまいます。そうしたら、もう一度あの水を飲まなければなりません』
『あの水、魔力が溶け込んでますから、すごーく硬くて独特の味がしませんでした?』
『え?!喉が渇いてて気付きませんでした。3杯飲んじゃいました』
『3杯も?!』
マハラが驚きのあまり、白目を剥いていた。
『それはすごい…。アヴェルの村人ですら、あの水を一口飲むのが精一杯の者もおりますし、私達でも2杯も飲めば吐いてしまいます』
『おぇぇぇぇ~ですの!』
『…マハラ。白目』
見かねたクハラが教えてやると、マハラははっと我に返った。
『嫌だわ私ったら♪』
今更ぶりっこされた所で、色々と見てしまった俺は、ただただ恐怖しか感じないが。
『では、中へどうぞ』
クハラが先頭で部屋へと入っていく。後ろにマハラが続く。俺は恐る恐る、部屋へと足を踏み入れた。
小さな部屋は、壁が真っ黒で、その中央に不自然なほど真っ白な羽根のユニパが置かれていた。
その上で、金色の光に体を包まれたセービーが眠っていた。セービーの隣には、小さめのユニパが置かれ、そこには2歳くらいの可愛らしい少女が眠っていた。セービーの体を包む金色の光は、隣で眠る少女へと繋がり、少女も金色の光に包まれていた。
『…この子は?』
『昨日セービー様がお産みになったお子様ですの』
『は?昨日の…?』
『左様です。今、セービー様がお子様へ、魔力を注がれております。その力で、お子が育っております』
『えぇぇえぇぇぇ?!だ、大体セービーって妊娠してました!?』
思わず大きな声が出る。マハラとクハラが同時に、怖い顔で口に人差し指を当て
『シーーーッッ!』
『お子が起きるですの!』
『…はい、ごめんなさい』
『アヴェルの首長は、代々お子を妊娠しません。いわば、お子は分身でございます』
『分身?』
『そうですの。ご自分の体から、魔力を使って、ご自分の分身となる子を創られるんですの。でも、成長過程での教育や、触れ合う人や、吸収する魔力。色々な要因によって、魔力も考え方も性格も違うんですの。あ、顔だけはほぼ同じなんですの』
『先代の首長、セービー様の母上は優しい方でしたが、非常にマイペースで周りを見れない方でした』
『セ、セービーとは随分違いますね』
『そうなんですの。セービー様は口が悪くてドSですけど、それでいて本当に気配りの方ですの。ですから、村人達から本当に愛されてますの…なのに旅だなんて…』
マハラのため息が耳に痛い。
『…ごめんなさい』
『マハラ。止めなさい。ジャン様の謝られることではありません。あれはセービー様が決められたこと。私達はセービー様のお心に従うだけです。…さぁ、そろそろ出ましょう。今はいつも以上に魔力が濃いですからね』
促され、部屋を出る前に、ふと子どもに目をやると、明らかにさっきより大きくなっていた。
『おっきくなってません!?』
『当たり前ですの。明日には10歳くらいに成長してますの。さ、出ますの』
押されるように部屋を出る。成長の早さにただただ驚くばかりだ。本当にここは、俺の常識なんて通用しない、伝説の地だ。
俺達はそのまま、アヴェルの村を回った。
途中で文を書き、フミドリに魔法のテーブルクロスと一緒に、タッシュまで届けてもらう事にした。
フミドリは、魔力の入ったエサを食べているらしく、かなり速く飛べるらしい。恐らく、タッシュの村まで三日もあれば着きそうだという。
俺が必死に歩いた一ヶ月が、なんだか虚しい。
昨日食べた米の作り方、グーズーの塩漬けの作り方、そして紙の作り方も教えてもらった。
アヴェルの地は、およそ1,000年前に、首長の祖先が作った事。一番最初の首長が魔法を使っていて、アヴェルの村民にも魔力を分け与えてくれた事。魔法を門外不出とし、外界との交流を断った事。何故かアヴェルの村民は長寿になってしまい、首長は短命な事。首長はずっと女性だという事。アヴェルに纏わる色々な話を聞かせてくれた。
『こちらへどうぞ』
通された広間は、たくさんの銅像が並んでいた。その上に、セービーと同じ顔の絵が大量に並んでいた。
『ここは首長を祀ってる広間でございますの。この銅像は、アヴェルの護り神、アマースですの。首長が亡くなると、アマースを一つ奉納するのが決まりですの』
『じゃあ上の絵は…』
『歴代の首長ですの。皆様同じ顔をされてるでしょう?』
『…怖いぐらいに』
『中央に飾られてる絵が、一番最初の首長アマース様でございます』
『え?アマースってじゃあ…』
『アマース様が亡くなられた時に、アヴェルの村民がアマース様への感謝を込めて、アマース様を神として祀る事にしたと聞いております』
『…それほどアマース様と魔法に救われた…って事ですかね』
『そう言い伝えられております』
『…もうセービー様の絵も飾らないといけないんですの…』
『え?!だってセービーは旅に出るけど生きてるじゃないですか!』
『首長を止める、村を出るというのは、もう死んだ扱いになるのです。今までに村を出た首長はおりません。村を出たらセービー様がどうなるか…それだけが気掛かりで…』
『ジャン様。どうかセービー様を守って頂きたいんですの!どうかお願い致します!』
マハラとクハラが揃って頭を下げる。こんなに、村民から愛されてる首長も、滅多にいないだろう。そんな首長を、いてくれたら助かるなんて軽く旅のお供に決めてしまった事、今更ながら凄まじく後悔している。
『必ず守ります。だから頭を上げてください』
『是非頼りがいのあるお供を見つけて欲しいんですの!』
『それはいい!力自慢とか魔物使いとか剣士とか!とにかく強い人だな!セービー様にも言っておこう!』
『…あれ?ジャン様?』
『どこに行ったんだ?』
とにかく、どこまでも期待されてない事は痛いほどよーーくわかった。
セービーが眠って二日。
俺は村人達と一緒に、首長の部屋へ来ていた。
今日、セービーと少女が目覚めるそうだ。
まず、クハラが部屋へやってきた。
『皆の者。大変待たせて申し訳ない。これから、セービー様と次期首長のお子様がいらっしゃる。姿勢を正すように』
村人はもちろん、俺も自然と背筋が伸びた。
すぐに、マハラに手を引かれてセービーが部屋へ入ってきた。後ろ手に娘を連れている。昨日産まれたばかりの赤ちゃんが、本当に10歳くらいの少女になっていた。見た目も大きさも、マハラ達と同じくらい。
…そしてやっぱり、顔がセービーとソックリだ。
セービーは、娘を連れて長椅子に腰掛けた。
『親愛なるアヴェルの民よ。待たせて申し訳なかった』
ゆっくりと頭を下げるセービー。皆が一斉に『顔を上げてください』『我らがセービー様』と声を掛ける。泣いている者もいた。
『こうして、次期首長となる娘をもうける事が出来た。皆に紹介しよう。…セイラだ。セイラ?皆にご挨拶をしなさい』
『はい母様。皆様、セイラでございます。よろしくお願い致します』
そう言うと、セイラは突然ぐんと頭を背中の方へ曲げた。
驚く皆を尻目に、セービーが冷静に
『セイラ。逆よ』
『あ、間違えちゃった♪』
片目を瞑るあどけない顔をして、セイラは頭をしっかりと下げた。どうやらオトボケキャラみたいだ。
パチパチ…とまだらに起こる拍手。それはすぐに、部屋を覆うほどの大きな拍手となった。村民みんな、嬉しそうな顔をしている。マハラとクハラも、じいちゃんとばあちゃんみたいな優しい顔で、セイラを見つめていた。
こうして、アヴェルに
新しい首長が誕生した。
俺が初めてアヴェルにやって来た時に通った木道。
そこに、旅支度を整えた俺とセービー。そして、見送りのマハラとクハラ、また少し大きくなったセイラがいた。
『母様。お帰り、おまちしております』
セイラが寂しそうな顔で、セービーの服を掴んでいる。
『ん。必ず戻ってまいる。それまでに、素敵な首長となりなさい』
そっとセイラの頭をなでる。
その顔は慈愛に満ちていた
『マハラ。クハラ。セイラが良き首長となれるよう、しっかり支えておくれ』
二人をしっかりと見つめ、ゆっくり頭を下げる。
『お止めください!セービー様!もったいのうございます』
『そうですの!そのお言葉だけで、私達は頑張れますの!セイラ様の事、お任せください』
『二人に任せておけば大丈夫だろう。アヴェルの繁栄を祈っておる』
セービーは胸の前で、ハート型を描くと、そっと指を組んで祈った。
『…さぁ。参ろうか』
『あ、はい。じゃあ行きますか』
勢いよく歩き出す俺に、不思議そうに問いかける声が後ろから投げ掛けられた。
『歩くのか?』
『へ?』
振り返ると、ぷかぷか浮かぶ絨毯に、さも当然のようにちょこんと座るセービーがいた。
俺は慌てて手を挙げた。
『はいはい、乗りまーす!』