出産
その夜、俺は羽根の布団、ユニパの上で、眠れずにゴロゴロしていた。
ふと、隣の部屋から何か音がする事に気付いた。一度気になり始めると、確かめずにはいられない。そっとユニパから下りると、恐る恐る部屋を出た。
廊下には薄い灯りが灯され、紅く塗られた壁が恐怖を掻き立てる。音は、隣の部屋から聞こえてくる。
足早に廊下を通ると、小さな扉の前に立った。ゆっくり力を込めて扉を押すと、意外と扉は軽く、勢いよく開いたそこから俺の体は面白いぐらいにポーンと部屋の中へ転がり込んでしまった。
『…何をしている』
恐ろしく冷たい声は、セービーのだ。見なくても分かる。
『あら、ジャン様。眠れないんですの?』
『はは…まぁ、そんなとこで…』
『しかし、勝手に転がり込んでくるのはいかがかと』
『すみません…』
『まぁいい。ちょうど今、占いをしていた所だ。お前の事を』
『お、俺ですか?』
『そうだ。あの【言葉】の事を知るには、これからお前がどうすればいいか…ちょうど答えが出た所だ』
『え!スゴい!ありがとうございます!それで俺はどうすれば?』
『…これから、バスラに向かうといいそうだ』
『バスラ…?』
『聞いた事ないか?闘う者達が集う街だ』
『闘技場があるとかいう、あの闘いの地ですか?!』
『…あぁ。そこで、黒い剣を使う男を見つけるといいそうだ』
『バスラで黒い剣…剣士って事ですよね!なんだか、すごく冒険っぽくなってきたなぁ~…あ、でも俺、一月の期限付きで家出たんだった…どうしよう…土産物も渡したいし』
『あら、でしたら文を書かれてはいかがですの?』
『アヴェルには文を届けてくれるフミドリがいるんですよ』
『テーブルクロスも運んでくれますの♪』
『…文、か…』
すると突然、セービーが口を開いた。
『…実はな、お前の旅に私も付いていこうかと――』
『へ?!』
『…予知夢を見たり、私に似た女がお前の父上の夢枕に立ったり…。なんだか私も気になるんだ。無関係ではないような、胸がザワザワするんだ。お前さえ良ければ連れていって欲しい』
『いや、俺はいいんですけど別に、はい!付いてきてもらえるなら百人力です!』
『魔法の力を人目に触れさせる事は禁忌だが、人目にさえ付かなければ使えるから、幾分か助けにはなるだろう』
『それはもう願ったり叶ったりです。あ、そうだ!俺を村に戻す魔法とかって…ないですよね?』
『…ない事もない』
『え?!』
『しかしセービー様!あの魔法は!』
クハラが急に慌て出した。
『そうですよ!危険ですの!』
『え?そうなの?!』
『人を動かす魔法は、かなりの魔力を必要とするんですの!人の質量が大きい事もそうですが、魂の質量が意外と大きいんですの!』
マハラが目をつり上げてまくし立てる。
『死体を移すだけならまだマシですが、生きてる者を生きたまま動かすというのは、かなりの精神力も必要とするんですの!生半可な精神力では、転移に成功したとしても、魔術を使った者が精神を壊すんですの!』
『…セービー様はかなり強靭な精神力をお持ちです。しかし、やはり使う魔力は凄まじく、3日は目を覚ましませんし、ただ眠ってるだけでなく、死線をさ迷われるのです』
『え?!そ、そんな恐ろしい魔法使わないでください!文、書きます!フミドリ貸してください!』
『すまんな。まだまだ私が未熟者ゆえだ。いずれ使いこなせるように、鍛練を怠らないから許して欲しい』
『いえいえ!今のままで十分鍛練されてますから!』
これ以上鍛練されたら、ダイヤモンド並みの頑丈過ぎる精神力を持った、言葉にも殺傷能力とか乗っかっちゃう、無敵の魔法使いになってしまいそうだからなぁ…
『そんな事よりもセービー様!本当に旅に行かれるのですか?!』
クハラが心配そうな顔で尋ねる。
『それでは首長不在になってしまいます!いくら閉ざされたアヴェルといえど、いつなんどき何かあるとも限りません!首長不在ではみなの動揺が…』
『うむ、確かにな…』
セービーは、右手をあごに当て、少し考え始めた。
そして、はっと顔を上げると
『マハラ、クハラ。申し訳ないが、今からここへ村人達を集めてくれるか?』
『い、今からですか?!』
『あぁ…今後の事について皆に話しておきたい』
ふぅっとため息を吐くと、やれやれといった感じで、クハラが立ち上がった。
耳に右手を当て、丸くした左手を口に当てると
『イセーク』と呟いた。
『皆の者。クハラである。これよりセービー様からお言葉を賜る。皆、神殿へ参られよ』
言い終わると、クハラはガクッと膝から崩れ落ちた。顔からは大量の汗が流れ落ちている。
『だ、大丈夫?!』
近寄ろうとする俺を、クハラは手で制した。
『だ、大丈夫でございます。私は年ゆえ、魔法を使用すると少々堪えるのです』
すると、しゅぅぅぅぅとクハラから湯気が立ち上ぼり、元気で若々しい10歳の顔から、みるみる皺くちゃで皮膚も黒ずみ、シミだらけのお爺ちゃんの顔になっていく。
『ヒェッ?!』
あまりの驚きにのけ反った次の瞬間、クハラは立ち上ぼる湯気に包まれ…
そして元の、若い10歳の少年へと戻った。
『ふぅ。難儀しました』
またいつもの飄々としたクハラに戻っている。俺は夢でも見たのか、狐にでもつままれたのか。ただ目をこする事しか出来なかった。
『クハラ。…すまない。私がもっと完全なる魔法を確立出来れば…』
セービーがクハラの頭にそっと触れる。クハラはゆっくりと頭を下げる。
『勿体ないお言葉です。しかし、人が死ぬのは運命。不老不死や若返りなど、運命に逆らっていれば、いずれしっぺ返しが来ます。こうして見た目だけでも若くして頂けて、有り難く存じます』
状況が飲み込めない俺に、マハラがそっと耳打ちをする。
『私達、肉体が若返ってるわけではないんですの。あくまでも見た目だけ、なんですの』
『そ、そうなんだ』
『はいですの。もう私達も相当な年ですから、魔法を使う為の技術はありますの。でも精神力や体力はやっぱり、若い者からすると劣ってしまいますの』
『て言うか!マハラさんもクハラさんも魔法使えるんですね?!』
にこりと微笑み頷くマハラ。
『ここに住む者達は皆使えるんですの。セービー様達、代々の首長のお陰ですの。皆に魔力を少しずつ分け与えて、更に魔法の技術も教えてくださるんですの』
『そうなんだ…。…若返ってる訳じゃないのに108歳?!長生きですね?!』
そう言うと、何故かマハラは少し悲しそうな顔になった。
『私達は長寿の民なんですの。…大体200歳くらいが寿命ですの。首長を除いては』
『え?なんで首長だけ…?』
『さぁ?なんでかは解らないんですの…同じ民なのですけど。セービー様のお母様も、50歳でお亡くなりになりましたの』
そんな話をしていると、徐に扉が開き、ぞろぞろと村人達が頭を下げながら入って来た。
『遅くなりまして申し訳ございません』
『有り難きお言葉を頂戴しに参りました』
村人達は、口々に色々な言葉をセービーに投げ掛ける。セービーは、ただ微笑みながらゆっくりと頷いていた。
『ジャン様はこちらへ、ですの』
マハラに促され、部屋の隅へと誘われる。
――完全に部外者の俺が、この場にいていいのだろうか?かなり疑問は残るが、とりあえず俺のせいでセービーが旅に出ると言い出した訳だし、無関係ではないか…
何が起こるかわからないが、固唾を飲んで成り行きを見守る。
『皆の者、良く集まってくれた。今日は他でもない。私は首長の座を譲ろうと思う』
『うへぇ?!』
突然の発表に、村人みんなが狼狽える。しかし、一番狼狽えたのは、間違いなく俺だ俺だ俺だーーー!
『セービー様!まだ首長になって5年でございますよ!』
マハラは必死だ。当然だろう。かなりセービーに感謝してるみたいだし。
『だ、誰に譲られるのですか!?』
『そうです!まだお子も…』
村人達から次々に声が挙がる。セービーは目を閉じて話を聞いていたが、村人の声が収まると、ゆっくりと目を開いた。
『…実は私は、旅に出ようと思っておる。そこにいる、若者とだ』
皆の視線が無遠慮に俺へと突き刺さる。
…そりゃそうだ。大事な首長が、どこの馬の骨ともわからん男と、旅に出るとか言い出したんだから。
『これは頼まれた事ではない。私達、アヴェルの民の秘密を探す旅だ。先ほど占いをした。その時に、この者と旅を供にすれば、アヴェルの民の秘密が解ると出たのだ。何故、私達だけが魔法を使えるのか。何故、私達は長寿なのか。そのルーツを私は知りたいのだ』
水を打ったように静まる部屋。そこにセービーの重厚感溢れる、しかし優しい声が響き渡る。
『まだ首長としての役目も果たし終えていないのに、このような事を皆に申し出るのは我が儘だと解っている。…しかし、最後の我が儘だと思って許してはくれまいか』
『セービー様…』
クハラが苦しそうな表情で、セービーを見つめている。
『…反対する者は…おらぬな?』
皆、セービーを見つめている。誰も手を挙げない。
『ジャン。申し訳ないが、私に2日ほど時間をおくれ。マハラ、クハラ。ジャンをしっかりもてなすように』
『…仰せのままに』
マハラとクハラが頭を下げる。
『これより、次期首長となる娘を産む!』
セービーはゆっくりと立ち上がると、村人に向かって右手をかざす。
『おお、魔力が高まるのを感じる』
『セービー様…有り難き幸せ!』
皆がザワザワと騒ぎだした。どうやら、みんなに魔力を配っているらしい。マハラとクハラは、体の周りがぼーっと明るく光って、オーラが出ているように見える。
それにしても、今から娘を産むとか言ってなかったか?本当にここは、俺の狭い常識では聞いた事のない言葉がポンポン出てくるし、俺の経験した事のない事がポンポン起こる。
そんな事を思っていたら、突然、セービーが眩しいくらいに――まるでそこに太陽でもあるかのごとく――燦々と輝きだした。
セービーは、自分の腹部をいとおしそうに両手で撫でると、そのままお腹から何かを引っ張り出すような仕草をした。
そして、その引っ張り出された“何か”は丸いらしく、玉でも磨くかのように、“何か”をぐるぐると撫で上げる。すると、そこにうっすらと白い光が集まり始め、みるみるうちに、光の中に赤ん坊が見えてきた。
……もう驚かない。何が起こっても驚かない。
そう思っていた。
しかし俺の口は正直だった。顎が外れんばかりに開いていた。隣にいたクハラが、見かねて俺の顎を押し閉じた。
やがて、赤ん坊ははっきりと実体を帯びてきた。
村人達からは『おぉ~』とか歓声が上がっている。セービーは、白い光ごと赤ん坊を胸に抱えた。すると
『ほぎゃぁぁぁぁぁ~』
元気良く赤ん坊が産声をあげた。
俺も元気良く後ろへ倒れた。
『ジャン様は何度目の気絶だろうか』
『セービー様はこのような精神の弱き者と旅をして大丈夫ですの?心配ですの』
遠くでマハラとクハラの呆れた声が聞こえた気がした。
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