魔法の地アヴェル
家を飛び出して、そろそろ一月が経つ。
一月の約束だったのに、俺はまだ、アヴェルを見つける事も出来ていなかった。村を出てひたすら北東。ひいじいちゃんの方位磁石だけを頼りに進んできた。
もう少し。あと少し。
根拠のない自信が、俺を突き動かしていた。一際大きな葉を切り落とすと、突然目の前が拓けた。
綺麗に整備された草原。その中には木道が走っている。
そしてその上で、少年少女が深々と頭を下げていた。
『アヴェルへようこそ』
少女が言った。
『へ?』
『お待ちしておりました、ジャン・イーグ様』
『えぇぇえぇぇぇ?!』
少年が何故か俺の名前を呼んだ。
この初めて味わう種類の恐怖感。
腰が抜けそうだ。
『こ、こここここここ』
『ここはアヴェルでございますの』
少女がにこりと微笑む。
『ジャン様お待ちしておりました。我らが主の所へご案内致します』
少年は、さも当然といった風に、手で木道を指す。
『どうぞこちらへ』
俺は成す術もなく、ただ二人の後を付いていくより他なかった。
アヴェルは、美しく、そして小さな村だった。
家が十軒ほどあり、その全てが木道で繋がっていた。
村の中心には、金を贅沢に使った神殿が建っていた。目も眩むとは、まさしくこういう物を指すんだろう。土足で入るのが躊躇われる程の美しさだ。
『こちらで履き物をお脱ぎください』
『あ、脱ぐんだ。ですよね~』
俺はいそいそと履き物を脱いだ。長旅で、ボロボロのズタズタになっていた。
改めて見ると、ギリギリ履き物の体を保っているが、穴から水も虫も入りたい放題だ。
俺は指示された棚に履き物を置くと、不審者よろしくキョロキョロと辺りを見回しながら歩いた。
見たこともない銅像が飾られ、見たこともない花が活けられていた。紅く塗られた廊下が厳かさを増していた。
『あ、すみません。キョロキョロしちゃって』
『いえ。珍しいでしょう?』
少年が優しく答えてくれた。
『先日来た旅人の方は、入り口で気絶されましたから。ジャン様はまだ気丈な方ですよ』
『はは…そうですか』
それにしても、礼儀正しい。この村の教育レベルの高さに感心する。
『ところで、ジャン様はお若く見えますけど、おいくつですの?』
少女が可愛い笑顔で尋ねてきた。無邪気だな。
『20歳です』
『まぁお若いですの!』
『いやいや、二人から見たら僕なんておじさんでしょ?』
『十分お若いですの!』
『私は105歳ですから』
『へ?』
『私は108歳ですの♪うふふ』
目の前が真っ暗になる。なんて面白くない冗談を言うんだ。大人をからかうにもほどがある。
『あら、倒れてしまいましたの』
『全く。マハラがからかうのがいけないんだぞ』
遠くで二人の声が聞こえた。
はっと目を覚ますと、だだっ広い部屋の真ん中、羽根が敷き詰められたフトンの上だった。
『気がつかれましたか?』
顔を覗かせたのは、冗談キツい少年だ。
『良かったですの!今お水を持って参りますの』
悪ノリ少女がパタパタと部屋を出ていく。
『おれ――』
言い終わらないうちに、冗談キツい少年が、部屋の奥を指差した。
『あちらにいらっしゃるのが、我らが主、セービー様でございます』
セービーと呼ばれた女性は、ゆっくりと立ち上がると、こちらへ歩いてきた。パタパタと悪ノリ少女が水を持って戻ってきた。
『あ、ありがとう…ございます』
俺は水を一気に飲み干した。
セービーは美しい女性だった。
あまりの美しさに目が離せなかった。
顔の大きさなんて母ちゃんの半分くらいで、目なんて母ちゃんの倍は大きくて、鼻筋がスッと通っていて唇はぷるっと赤かった。シルバーのまっすぐな長い髪が、歩く度に揺れていた。
ん、待てよ…なんだかこの感じ。初めて出会うのに、どこかで一度会ったような…
そうだ!親父が言っていた、夢に出てきた女の人に、特徴がそっくりだ!
『え?!あの夢に出た女の人?!』
驚く俺に、セービーはゆっくりと近付いてくる。そして、右手を軽くあげた。それを見て、少年少女が頭を下げて後ろへ下がった。
赤く美しい唇が、ゆっくりと動いた。
『黙れ小僧。貴様の夢になど頼まれても行くか』
俺はまた気が遠くなった。