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未来視の水晶8

 自称傭兵のクローアは、剣先についた赤い液体を振り払い、馬車の中を見渡した。


 幌の中は、少ない荷物と、彼一人のみ。

 もともとこの馬車は、隣街へ赴く人々や簡単な荷物を運ぶための馬車で、決まった時間というものがない。

 ある程度の荷を載せるまで、ある程度集まったら出発という、賃金が安い代わりに時間が安定しないという馬車だった。


 そんな馬車を急ぎで出させたのは、金の力である。

 御者に普段の荷物の一台半程度の運賃をまとめて握らせれば、出発はすぐだった。


「……予定では、追いつかれるはずもなかったんだけどな」


 巷で噂の“未来視の水晶”を騙し取り、さっさと街を二つ三つ跨ぎ、髭を剃って染めた髪を元に戻すだけ。

 それだけでクローアの仕事は完了し、半年分の金にはなるはずだったのだ。


 しかし、未来視の占い師、ファシニアは追い付いてきた。

 どうやって追いついたのかは、幌の向こう側にいたクローアは直に見ていなかったが、御者が叫んでいた魔女という単語と、外から聞こえてきた小さな子供の声を聞けば、状況はなんとなく理解できる。

 魔女について詳しいことは知らないが、珍妙な集団であること自体は、朧気ながら聞いている。


 しかし、今さっき与えた刺突の手応えは確かなものだ。

 相手がどのような存在であれ、血を流し、後方で破壊音が鳴っていれば、自らの勝利は確定的である。


 話を聞いてしまった御者には、残念ながら死んでもらわなくてはならなくなったが、唯一の障害であろう魔女を含めた占い師は地に落ちた。

 これ以上の邪魔立ては来ないだろう。


「クローアさん!」


 そう思っていた矢先に、背後からの攻め立てるような声。

 クローアは幌の天幕を見上げ、大きなため息を零しながら振り返る。


 そこにいるのは、幌の後ろ側から中へと侵入してきた、ファシニアであった。

 眼鏡の奥の瞳は僅かに潤み、怒りに震えているかのように見えた。


 ――ガキみてえに、そんな歳でもないだろうよ。

 クローアは静かに嗤い、それを隠すように、彼女好みの人の良い笑みを作った。


「やあ、ファシニアちゃん」

「……どうして、こんな事を……」

「どうしてって、何のことかな」

「……全部、ですよ」


 ファシニアが睨み、クローアを非難する。しかしクローアは剣を構えたまま、薄ら笑いを浮かべるだけであった。


 クローアは、たとえファシニアが現れようとも、剣一本でそれを迎え撃つ強い自信があった。

 ファシニアが魔術を扱えることは、木っ端盗賊を捨て駒に利用することで知っていたし、その練度も、おおよそ会話の中で聞き出している。

 踏み込んで、突く。その二つの行動だけで、たとえ後手であろうとも、今の距離であれば完封できる。総合的に考えた末、クローアはそんな確信を持っていた。


「……ふふん、旧貴族は頭がおめでたくて助かるよ。庶民には一生縁のないような強力な魔具を見せびらかして、その上、簡単に騙されてくれるんだからな」

「そんな……」

「貧乏人相手に、宝物を使って慈善事業でもやってたつもりかね。あんたの事は変装して何度も見ていたけど……正直、反吐が出そうだったよ」

「!」


 ファシニアの表情が強張るのを見て、クローアは口元を歪めた。


「まぁ、あんたみたいに、貧乏人相手に施してやって、悦に浸るようなクズから金を掠め取るのが俺の仕事だ……あんたはクズだが、少しは感謝しなくちゃな?」

「そんな、ち、違……私は……」

「何が違うって? 魔具を使って聖人面して、貧乏人どもから有難がられて、高いところから見下すように悦ぶ……それがあんただろうが!」


 ファシニアはついに何も言えなくなり、顔を手で覆って、その場にしゃがみこんだ。

 彼女の姿を見て、クローアは更に笑みを深める。クローアにとって、ファシニアの行ってきた未来視の辻占いについては、実のところどうでも良かった。

 言うほど彼は占いについてなんとも思っていないし、むしろ貧乏人の娯楽が出来て良いだろうとさえ思っている。

 つまり、こうしてファシニアを罵ったのは、ただの遊び。彼女を傷つけたいがためだけの、ただの純粋な罵倒に過ぎなかった。

 ファシニアが夢見たクローアとは、人の良い化けの皮を剥がしてみれば、そのような邪悪な獣だったのである。


「さあ、傲慢なファシニアちゃん……今まで心の中で嘲笑ってきた人々に謝りながら……」


 ロングソードの鋭い刃が、ファシニアの頭上に掲げられる。

 ファシニアはその場でしゃがみこんだまま、動く気配はない。


「死ね」


 腕が勢い良く振り下ろされる。




 クローアの振り下ろす長剣が、蹲るファシニアの首元で急停止した。


「ん、なっ……!?」


 それは、彼が寸前で止めたわけではない。

 凶悪なクローアの意志は、一太刀でファシニアの首を切り落とすつもりで剣を振るったはずだった。


 ところが剣は動かない。柄を押し込んでも、引いても、どれだけ身体強化を込めても、びくともしない。

 まるで、空中に縫い付けられているかのように。


「空間停止の魔法。貴方の剣は、馬車の一部としてそこに固定されました」

「!」


 場違いなほど呑気な幼い声に、クローアは勢い良く振り向いた。


「こんにちは、アリアネです」


 そこに立つのは、一人の子供。

 大人びた薄い笑みを浮かべ、黄色い瞳に余裕を宿した、異質な子供。

 とんがり帽にボロボロのケープを羽織り、しかし袖口からは綺麗に整った純白の袖口が覗けている、ちぐはぐな子供。


「お前、何……!」


 その異質さに、不可解さに目が奪われた。

 謎めいた表情や、底の知れない語り口に注意を奪われた。


 子供には、そこに立つだけで人を惹きつけるような“何か”があったのである。


「どうやって……!」


 そのためにクローアは、一瞬だけ忘れてしまった。意識を逸らしてしまった。


 顔を背けたそこには、蹲っているとはいえ、自らの敵が健在しているというのに。

 恨みつらみを抱えた一人の女が、背中に隠し持ったワインボトルを振り上げていたというのに。


「最低」


 クローアの意識は、ファシニアの冷淡な一言を最後に、鈍痛を伴って途切れた。




「いやぁ、クローアさんは強敵でしたね」

「……」


 停止した馬車の外に出た二人の女は、斜め上の燦々と輝く太陽を見上げていた。

 カラリと乾いた空気に、暖かな日差し。

 アリアネは眩しそうな顔で空を見上げているが、つばの広いとんがり帽子は、彼女の目元にしっかりと影を作っていた。

 その姿を横目に、ファシニアは注ぎ口だけが残ったワインボトルを片手に、深い溜息をつく。


「……クローアさんが残していったワインを血に見立てて、死んだふりをするとは……」

「そして、その瓶を使って復讐を果たす。なんとも清々しい結末ではありませんか」

「復讐だなんて物騒な言い方はやめてください。彼はまだ生きているでしょう」


 ファシニアはちらりと、馬車の方を見た。

 開いた幌の入り口からは、頑丈に簀巻きにされたクローアの足だけが覗けている。


「でも、してやったりという気持ちはあるでしょう?」

「……まぁ、それなりに」

「それは良かったです」


 空を見上げていたアリアネは振り向いて、ファシニアに微笑んだ。

 その表情はやはり、どこか大人びていて、捉えどころがない。

 可愛らしいだとか綺麗だとかよりも、まず不気味であるとか、胡散臭いというような気持ちが湧いてくるような笑顔だった。


「……アリアネさん。いつから気付いていたのです」

「何のことでしょうか」

「この期に及んで、とぼけないでくださいよ」


 ファシニアは小さく首を傾げたアリアネの手を取り、両手で包み込んだ。

 眼鏡越しの真面目な目が、どこか浮ついたアリアネの黄色い瞳を、観察するように見つめている。


「私の能力についてのことです」

「能力ですか」

 ――さあ、心が読めるだなんて、私は気付いていないのですが……

「それですよ、それ」

「ふふっ」


 アリアネが笑う。

 今度は、あまり不気味でもない、可愛らしい少女の笑い声だった。


「確かに私は、自分の能力を使っていることは白状しましたが……心が読めるとは、一言も」

「ふふ、そんなこと、言わなくてもわかりますよ。正確には、“身体が触れている相手の心が読める”でしょうか」

「……」


 核心を突くアリアネの言葉とその心に、ファシニアは思わず手を離した。

 しかしアリアネはその手をもう一度、今度は彼女の方から握りしめ、両手で包み込む。


「不気味などとは思っていませんよ。素晴らしい能力ではありませんか」

「……!」

「人の心を読み解き、奥に潜んだ答えを見つけ、迷いから救い出す……先ほどのクローアさんは酷い言い方をしていましたが、私はそういった占い、とても素晴らしい仕事だと思います」


 それは、ファシニアが待ち望んでいた言葉。

 しかし待ち望んでいながら、誰からも言われることはないであろう言葉でもあった。


 ファシニアはその決して短くはない人生の中で、誰一人として自らの力を打ち明けていなかったのだから。


「そして、心が読めたからこそ、クローアさんの意表を突くことができた。私の作戦を疑うことなく信じ、ファシニアさんは見事に動くことができた」

「……そう、かもしれませんね」

「ええ、そうなのですよ」

「……そうなのでしょうね」


 意味の薄れた言葉の応酬の末に、ファシニアは先程までのアリアネと同じように、中途半端な高さの太陽を見上げた。

 からりと乾いた空気と暖かな日差し。そして、ちょうどいいくらいの陽の傾きは、うっすらと浮かびかけた涙を押しとどめてくれそうだったから。



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