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未来視の水晶4

 未来視の水晶が入った鞄を肩に下げ、占い師の女、ファシニアが宿を出た。

 さすがの彼女も、酒樽通りのみすぼらしい宿に身をおいてはいないらしい。


 彼女が泊まっていた宿は、サナドルでも中の上辺りの高級な店だ。

 二階建ての宿は一階が食堂で、客のために用意される部屋は二階の三部屋のみ。部屋は手狭ではあるが、備品は清潔に整えられている。

 浴場が近いことも、人気のひとつだろうか。


 とにかく彼女、ファシニアはこの宿を気に入っているようで、もうここに宿泊してから十日目にもなる。

 それまでは別の宿を一日ごとに転々としていたようだが、最終的にこの宿に落ち着いたのだろう。




「ふう」


 食堂で摂った朝食がそこそこ美味しかったためか、ファシニアは機嫌良さげに歩いている。


 酒樽通りでの未来視の報酬は、一件一件の額こそ少ないが、そこそこに実入りは良い。

 高級な宿と、食事と、共同浴場。一日のうちにそれらを利用したとしても、まだお釣りがくる程であり、ファシニアの日中の楽しみは、主にその余剰分の活用にこそあった。


 脚の向かう先は、サナドルの大劇場。

 一日に三回の公演が行われるその劇場では、様々な趣の劇が公開され、連日の人気を博している。

 史実に基づく英雄譚から空想上の物語まで、行われる演目は多種多様。そのため、演目によって来客に偏りが生まれる。

 古い話であればそれを好む老人ばかり。

 英雄譚であれば心を躍らせる子供。

 恋愛物語であれば悶えようとする婦人であるとか。

 観客席は、何かしらの偏りによって、沸き立つ声の色を変えるのである。


「今日は……見てない演目ね、良かった」


 では、ファシニアはどのような物語を好むのか。

 もちろん彼女にも好みはある。しかし、“見たことがなければ何でも見る”と言えるほどの雑食性を、ファシニアは持っていた。


「すみません、“蒲公英畑の魔法使い”、一枚いただけますか?」

「はいよ、そろそろ始まるから、急いで入りな。席は……もうわかるね?」

「ええ、ありがとうございます」


 丁度の代金を支払い、チケットに判が捺される。

 眼鏡の奥を輝かせて、ファシニアはそれを受け取った。




 座席はほとんど埋まっているが、席は全て指定されているので、座りそびれることはない。

 サナドルの大劇場はしっかりと運営されているので、もしも指定された席に先客がいたとしても、そういった相手は入り口付近で待機する警備員により、すぐに退去されるだろう。


 そのような憂いもなく、ファシニアは無事に着席した。

 席は、良くもなく悪くもないといったところ。

 彼女はオペラグラスを鞄から出すべきかでしばらく悩んだが、結局はグラスを使わずに見ることにしたらしい。




 やがて暗幕が閉じられ、劇場内の雰囲気が暗く変わる。

 沈黙の中で子どもたちの密やかな騒ぎ声が増し、大道具の動く音が聞こえ、役者の走る音が小さく響く。


 これから、劇が始まるのだ。演目は、“蒲公英畑の魔法使い”。

 昔から存在する有名な童話であり、劇として用いられることは多々ある題材だ。

 それでも物語としての面白みは褪せること無く、いつの世代の子供をも、変わらずに魅了し続ける。

 大人になってからこぞって見ようと思えるほどのものではないためか、劇場内には子供の姿が多いものの、その子供たちにとっては、胸を躍らせる物語であるには違いない。


 大人にとって色褪せたものであっても、夢のある魔法使いの活劇は、子供たちの心に深く残るだろう。


「……」


 ファシニアは、鞄の中から缶入りの飴玉をひとつ取り出して、口に含んだ。

 彼女の目は今、キラキラと子供の瞳のように輝いている。




 終劇。

 蒲公英畑の魔女は、野辺を黄色く染め、結婚する二人の未来を祝福した。

 燦々と燿が降りる蒲公英畑で、男と女は肩を寄せ合う。


 朗らかな音楽が響き渡り、物語の終幕を知る者達からの拍手が鼓膜を震わせる。


「……ふふ」


 ファシニアは会場の一人として惜しみない拍手を送りながら、目尻から溢れる涙をハンカチで拭った。

 涙を流すものは、そう多くない。題材が子供向けのもので、知る者にとっては陳腐であったからだろう。


 だがファシニアにとって、世間一般の評価などはどうでもよかった。

 事実、その物語は没頭するほどに心温まり、涙が流れるのだから。

 その気持ちに偽りは無い。涙に恥じる理由は、一つもないのだ。




「はあ」


 ひとつ、心の何かを洗い流した気分で、ファシニアは劇場を後にした。

 時間は、およそ真昼。まだまだ仕事をするには明るすぎるし、食事とするにも、劇場から引っ張った気分が喉に閊えている。


「うん」


 ファシニアは一人合点し、爪先の方向を図書館に定めた。


 彼女の趣味は、読書と劇団観賞。

 生真面目な彼女の容姿ほど、それらは崇高そうなものではない。

 面白ければ何だって読むし、何だって観る。ファシニアは、そんな人間だった。


 日中は文学や劇を楽しみ、夜は人の未来を視て占う。

 それがファシニアのここしばらくの生活で、きっとこれからも続くであろう日常に違いない。

 少なくともファシニア自身は、そう信じて疑っていなかった。


「……ほう、やっぱりここに立ち寄るか……」


 図書館に入るファシニアの豪奢な後ろ姿は、ボロ服の男がしっかりと見送っていた。




 日が暮れる。

 ファシニアはこの日、本を調度良く一冊読破して、満足気であった。


 読後の現実離れした浮遊感と脱力感が、夜風に冷やされ覚めてゆく。


「……よし」


 劇場の後も、小説を読んだ後も、不思議な感覚に取り憑かれることは多い。

 それでも、自分は自分で、己の人生をこなさなくてはならない。

 自分の人生は、別の空想に逃げることは叶わないのだから。


 ファシニアはそのところがしっかりしていたので、金銭に余裕があろうとも、日々の仕事を休もうという考えは起こさなかった。

 娯楽は娯楽で楽しむとして、仕事はまた別なのである。


 いつも通り、人気の多い通りから、寂れた裏通りへ。

 少々臭いのする酒樽通りへと、ファシニアはフードを下ろしながら、足を踏み入れてゆく。


「おっと……」

「!」


 路地裏に入ったところで、目の前に人影が現れた。

 自分と同じ、フードを被った人間。体格の良さから、同業の占い師でないことは確かだろう。


「……そこをどいていただけますか」


 ファシニアは、目の前の道を塞ぐ男に冷淡な声を掛けた。

 当然、その言葉に真面目に応じるはずもない。男は口元に笑みを浮かべながら、一歩ずつファシニアに近づいてゆく。


「おや、未来視の占い師さんじゃありませんか」

「それ以上近づかないで下さい」

「実は俺、貴女のファンなんですよ。百発百中、摩訶不思議の未来予知……すごいと思います。気になりますよ。どうやって未来とやらを観ているのか……」


 男が懐から、錐のような武器を取り出した。

 細い針を三十センチほど伸ばした、鋭利な武器。見た目にナイフほどのギラつきはないものの、無駄を省いている分、最低限の殺傷力は逆にわかりやすかった。


 現れた凶器に、ファシニアが一歩後ずさる。


「ねえ占い師さん……未来視の水晶……ちょっと見せてくれませんかねぇ」

「……お断りします」


 錐を向けてくる男に、最大限の警戒はしつつも、怯えることなくファシニアは答えた。


「なら、しばらくこの毒針で……動けなくなってもらうッ!」


 交渉の余地なし。怯まないファシニアからそう判断し、男は錐を手に襲い掛かった。


 針の先端には即効性の痺れ毒が塗られ、少しでも傷つけられれば、身体は感覚を失ったかのように動かなくなるという。

 当たりどころや傷の深さによってはそのまま衰弱死することもある、恐ろしい暗殺武器だ。


「――“イグジム(痺れよ)”」

「がッ」


 だが、男の悪意に満ちた一撃は、眩い閃光によって止められた。


 雷の初等魔術、“イグジム(痺れよ)”。

 自らに近い相手にしか効果を及ぼさない魔術だが、強烈な雷撃は武器越しにでも相手にダメージを与え、一時的にではあるが行動力を根こそぎ奪う。

 針を構えた男は調度良く雷の的になり、青白い光の餌食となった。


 錐が地面に落ち、男が膝から崩れる。

 顎は大きく開いたまま痙攣し、思うように動かせていない様子だった。


「油断は禁物ですよ、ミスタ」

「がっ……う、ぐぁ……!」


 錐を遠くに吹き飛ばし、男の背を蹴って、地面に這いつくばらせる。

 未だ身体が痺れる男にはどうしようもないくらいに鮮やかな、制圧の手順であった。


「……で、魔女会の……アリアネさん、でしたか。そこで私を見てらっしゃるようですが……?」

「おや、気付かれていましたか」


 地に倒れ伏す男の両手を後ろ手に踏みつけながら、ファシニアは路地裏奥の影に声を掛けた。

 すると、影はふらりと動き出し、闇の中に同化しかけていた少女の姿が浮かび上がる。


 魔女会から派遣された少女、アリアネだ。


「まさかとは思いますが……これは、魔女会からの差し金ですか?」

「魔女はそのようなロマンのない武器を使いませんよ」

「なるほど、魔女会とは違う、別件の人間ですか……」


 ファシニアは鞄の中から麻紐を取り出して、男の腕に巻きつけてゆく。

 紐は幾重にも巻きつけられ、身体強化を込みにしてもびくとも動かない程度にまできつく縛られた。


 その捕縛術は手慣れたもので、わずか数十秒で行われている。

 しかも全てファシニア一人によるものなのだから驚きだ。


「……見ての通り、私は自分の身は自分で守れるのですよ、アリアネさん」

「ふむ、やはり魔術が扱えるのですね。調度良いタイミングでドラマチックに助太刀しようかと思っていたのですが」

「……私は強い。貴女方の組織に属する必要性は、今のところ全くないのですよ」

「そうかもしれませんね」


 男が乱暴に引き上げられ、無理矢理に立たせられる。フードを外され顔が暴かれると、男はついに観念したのか、殺気立った顔から、情けない許しを請うものへと変わっていった。


 許してくれ。出来心だった。反省してる。

 色々とやかましいことを言っているが、この路地裏にいる女のどちらも、彼の言葉に耳を貸すつもりはない。


「アリアネさんはこの仕事は諦めて、自らの成すべきことをされるといいと思いますよ」

「私の、成すべきことですか?」

「ええ。貴女はせっかくお若いのですから。もっと、人の役に立てるような仕事をされるべきです」

「……」


 ファシニアは勝ち誇った笑みを浮かべながら、男の後ろ手を掴み、元来た路地を戻ってゆく。


「……ああ、ファシニアさん、お聞きしたいことが」

「何でしょう?」


 大通りへと消えかけたファシニアを、アリアネが呼び止める。




「貴女は何故、この事件が起こる事を予知していなかったのですか?」

「……この男を突き出さなくてはなりません。急ぐので、それでは」


 ファシニアは煙に撒くように、路地裏から退場した。


 残されたのは、薄暗い丁字路に佇む幼き魔女のみ。


 アリアネは、薄く妖しい笑みを浮かべていた。



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