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未来視の水晶3


 水晶球の上に置かれた、皺だらけの手。

 その上に、やわらかな白い手が重ねられ、魔力が満ちる。


「……」


 占い師の女は目を閉じ、精神を集中させる。

 その向かい側では、老人が緊張した面持ちでその名目を見守り、職人らしい寡黙そうな口を、より固く結んだ。


「見えました」


 程なくして女は青い目を開き、手を離す。

 周囲を囲む野次馬は沸き立ち、椅子に座る老人は鍔を飲み込んだ。

 喧騒の中で、女は、語る。


「あなたはこれからの未来において……お孫さんの言うことを聞かなければならなくなるでしょう」

「馬鹿な」


 間髪入れず、老人はしわがれた声で答えた。


「聞かなければ、未来はおそらく、ミスタ。貴方の思う通りとなるかと」

「……まさか」


 老人は視線を隅に泳がせる。

 サナドルの街から見える狭い空、浮かぶ月は、不安に駆られるほど美しい。


「……俺が孫の言うことを聞いたら、どうなるんだ」

「そこから先は、おぼろげではありますが」


 占い師が指を立てる。


「より良くなるかと」


 それを聞いて、事情の知らないような呑気な外野は、更に沸き立った。

 神妙な顔で聞いていたのは、正面の男のみである。


 男はしばらく皺の寄った眉間を揉みほぐしていたが、早々に考えをまとめると、膝を叩いて立ち上がった。


「……占い師さん、あんたの言葉、信じてみるよ」

「占い師、というより、未来視なのですけどね」


 どう違うんだ、と笑う野次馬の中に混じって、老人も朗らかに笑った。


「占いでなく未来視と言うのであれば、じゃあ私らは貴方をなんと呼んだらいいのかねえ」


 老人は笑いながら、去り際に“ありがとう”と手を振って、どこかに向かい、帰っていった。

 その後姿を見送りながら、占い師は何か思案げなように目を伏せながら、“お大事に”とだけ呟いた。




 占い師の女は、二週間ほど前にこの街、サナドルへとやってきた。

 突然に現れた彼女は、前触れもなく酒樽通りの寂れた場所に机を構え、細々と辻占いをやり始めた。


 当初は生真面目な値段設定と土地柄から、誰も彼女の事を信用していなかったが、一人、もう一人と占ってゆくうちに、今ではすっかり、この通りの有名人になってしまった。

 しかし客入りが良いからといって、彼女は値段を釣り上げるようなことはせず、客への態度もすり替えない。


 彼女はただ淡々と未来を見て、一人、もう一人と、その悩みを解消してゆくばかりなのだ。




「こんばんは」


 そして今宵もまたもう一人、腐りかけの木椅子に客が吸い込まれた。


「いらっしゃい、ませ」


 占い師はいつものように水晶球を乾拭きし、占い師としての姿勢を正そうとしたが、かけられた声のあまりの若さに気づくと、言葉の紡ぎを淀ませた。


 客は、若い、というよりは、若すぎる少女。

 ボロボロのケープに、真っ黒なとんがり帽。紺色の髪に黄色い瞳の。大人らしい静かな雰囲気は物腰からわずかに漂うものの、紛れも無く子供だったのである。


「ミス。未来視は、有料ですが」

「お金ならあります。おいくらでしょうか」

「書いてある通り、二百YENをいただければ」

「おお、親切なお値段ですね」


 子供に対しては酷な設定ではあると思っていたが、しかし少女はためらいなく、懐から小銭袋を取り出して、硬貨を二枚、机に重ねた。

 占い師は見た目と行動の違和感に思う所があったのだろうが、客は客と受け入れたのだろう、すぐにその硬貨を自分の側に寄せると、水晶球の位から拭きの仕上げに取り掛かった。

 水晶球を拭きながら、占い師の女はいつも通り、本題を訊ねる。


「それでは、どのような未来を知りたいのでしょう」

「未来、ですか」

「ええ。占いではありません。私が行うのは、未来視です」

「ふむ……」


 とんがり帽子の少女が、拭かれる水晶球を優しく見つめる。

 緑がかった丸い水晶は美しく、一見すれば傷のない、まるで新品のようなものであることが伺えた。


「それでは、私の今の仕事が上手くいくかどうかについて……その未来を、見ていただけますでしょうか」

「仕事ですね」


 仕事。それは成人前の人間であっても、別段珍しいことではない。

 しかし今の占い師の女には、目の前に座る少女の客と“仕事”というものが、どうしても自然な形で結びつかなかった。


「それでは、この水晶に手を重ねて下さい」

「はい」


 水晶に、小さな白い手が置かれる。

 占い師はその上から、大きな手を重ねて当てた。


「見えます……貴女の手を、魔力を通して、貴女の未来の形が……」


 瞑目。占い師は深く被ったフードの下で集中し、重ねた手に感覚を寄せる。

 月色の目の少女が、重ねられた手を静かに見つめる。

 占い師の女は、ただ“未来視”に集中するのみ。


 周囲のギャラリーは、不思議と今日はいない。

 少女と占い師だけの、一対一の沈黙であった。


「……」


 しばらく経って、女の目が開かれる。

 未来視を終える合図であった。


「見えました」

「ふむ」


 言葉に。少女は薄く微笑んだ。

 その笑みは誰の目にも、占いの結果に喜びはしゃぐ子供のものには見えないだろう。


「では、結果は……」

「失敗するでしょう」


 少女の問いかけに、間髪入れず女が答える。

 手のひらを重ねたままの、即答であった。


「な――」

「何故ならば、私がそのおせっかいをお断りするからです」

「……」


 少女と女、両者の視線が交錯する。

 一方は余裕そうな月色の目で、もう一方は、真面目そうな青い目で。


「何か、私を心配をされているようですね。助けようと、画策されているようですが……」

「その通りです、占い師さん。未来視、ですか……話が早くて助かりますね?」

「結構です、ミス。あまり、大人を見くびらないでいただきたい」


 占い師の女は少しだけ怒気の篭った声で言い放つと、水晶球を乱暴に取り、席を立った。


「どちらへ?」

「今日はもう、店じまいです。私の気分の営業ですから」

「占いで生計を立ててらっしゃるのに、随分とお早いですね」

「占いではなく、未来視です。貴女も御存知の通り、私はそれなりに儲かっていますから。一日分の儲けは、宿に数泊できる程度はありますので」


 女はフードを後ろへ下ろし、服の中の長髪をバサリと振り乱す。

 紺色の髪は長く、美しい艶は常に手入れされているようだ。


「それに、ミス。私はこれでも、仕事に誇りを持っています」

「誇り」

「ええ。未来視……それによる、この街の方々の手助け。なので、例え私が儲からないとしても、この仕事をやめるということはありませんよ」

「……ふむ」


 少女のとんがり帽が斜めに傾いた。


「それで、お話は以上ですか? 小さな魔女さん」


 更に占い師は懐から、眼鏡を取り出し、装着する。

 真面目な顔立ちと細い眼鏡は、先ほどまで以上に、彼女のイメージをより気難しい、知的なものへと変えていた。


 近づきがたい印象は、少女の方も抱いたらしい。

 相手にこれ以上会話を続けるつもりがないと知ると、諦めに近い溜め息をついて、少女は微笑んだ。


「……名前だけ、お伺いしてもよろしいでしょうか」


 少女が尋ねると、女は少しだけ考えるような間を開けてから、


「私は、ファシニア。それだけで結構です」


 と、答えた。


 ファシニア。少女は女の名を反芻し、心の中に刻みこむ。


「ファシニアさん、ですね。私の名は、アリアネと申します。是非、覚えていただければ」

「ええ、ミス・アリアネ。また、名を用いる機会があれば、ですが」


 引っかかりを外すような言い方を残して、占い師……ファシニアは去ってゆく。

 手入れの行き届いた髪に、高価な服の裾が翻る。


「……ふむ」


 少女、アリアネは腕を細い腕を組んで、木椅子の上で考え込んだ。


 若い女というだけでも、酒樽通りにはとても似つかないというのに、あの風体。

 一般的に成金とまでは言わないまでも、貧困の気配の多いこの場所では、ファシニアの姿はまるで、自らを金持ちだと言わんばかりの豪華な装いである。

 普通の易者であっても、機嫌を悪くした酔っぱらいに絡まれたり、よそ者を嫌う連中に商売の邪魔をされたりと、ろくな目には合わないものなのだが。


 それでもファシニアがこの通りで占い師を続けていられるのは、彼女が持つ“未来視”の正確さが、通りの住人たちの信頼と信用を得ているからに他ならない。

 通りの者達が信頼する相手を、そうやすやすと手出ししようという者はいないのだ。


 認められているからこそ、彼女はこの通りの住人として溶け込んでいる。金を稼いでいる。

 しかも、正確な占いでありながら、料金は決して、足下を見たような額ではない。後になって客が増えてから、釣り上げたような話も聞いていない。

 ファシニアは、極々善良な占い師で間違いない。アリアネのそれは、確信であった。


「……しかし」


 しかし、アリアネは心配だった。

 優しささえあれば生きていけるほど、この世界は甘くない。

 あの女占い師が、何か良からぬことに巻き込まれなければいいのだが。



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