未来視の水晶2
未来視の水晶。
その女の占いを目の当たりにした者は、かの道具をそう呼んだ。
一見すれば、多少薄緑色に色づいただけの大きめの水晶玉なのだが、知る人はその玉を、ただの宝石などとは思わない。
卓を見守る野次馬は次第にそれを、畏敬を込めて眺めるようになっていたという。
女による占いの手順は、極々簡単で、一般的である。
まず客が、机に置かれた水晶玉の上に、自らの手のひらを差し出す。
次に占い師はその手の上に自分の手を重ね、物事を訊ねるのだ。
その後、占い師は“未来の形を見る”と沈黙し、しばらくの後、占いの答えが出るのだという。
「俺はよ、一ヶ月ずっと失くしたままだった運搬ギルドの証書の在処を教えてもらったんだ。おかげで高い金を払わずに済んだ」
波々と泡がこぼれんばかりに注がれた赤ビールを片手に、男は赤い顔を自慢気に歪ませて語る。
「ほー、そりゃすごいな」
「俺も、半信半疑でとりあえず“娘の誕生日にぴったりな贈り物は何だ”って聞いて見たら、そりゃもう的中でよ」
もう一方では、安いブランデーを片手にちびちび飲む男が、これもまた自慢気に語りだす。
「それを言うならこっちだって、最近の腹痛の原因を聞いてみたら、そりゃまるで医者みてーに的確な答えが……」
酒場の一角で、最初は何がきっかけだったのか、男達が件の占い師について話していた。
周囲の者も話の内容に興味があるのか、彼らの一角に混じり、体験談はどんどん膨らんでゆく。
彼らが占い師に相談した内容は様々で、恋愛相談はもちろんのこと、将来の展望や忘れ物に関する相談まで、多岐に渡る。
それはもう本当に多岐に渡るのだが、占い師の女は、ともすれば専門家を何人も必要とするであろう多種多様なそれらの相談に、驚くほど的確に答えているのだという。
まるで占い師の女には、実際に彼らの過去や未来が見えているかのようだと、この酒場の男たちは口々に語る。
こんなエピソードが、今日もまた語られる。
あるひねくれた男がいた。
男は酒場の中で例の占い師の噂を聞いて、“また新手の詐欺師に違いない”と最初から疑ってかかったという。
当初、そう考える者は少なくなかったが、化けの皮を剥がしてやろうと、実際に料金を支払ってまで席についたのは、おそらく彼が初めてなのだろう。
ひねくれた男は飲みかけの酒を置き去りに表へ出ると、運良く営業中の占い師を見つけ、客用の椅子に腰掛け対面するなり、こう言った。
『首都で暮らす母が元気にやっているかを知りたい』
男は神妙な顔でそう告げたが、彼は内心ではほくそ笑んでいたのだろう。
なにせ、男の母はもうこの世の者ではないのだ。彼の母親はずっと昔に他界しており、その上、母親は首都に行った経験など、聞いたことさえ無いのである。
既にこの世にいない人物の、ありえない相談。
占い師を陥れる罠を仕掛けた男は、自信満々に“未来視の水晶”に手を預け、占い師の意味深な沈黙を、心の中で大いに嘲笑っていた。
そして、たっぷり開いた空白の時間の後、占い師は静かに口を開き、告げた。
『未来の無いものは、この水晶に映りません』
……と。
ひねくれた男と占い師によるこの掛け合いは、それから折に触れて酒場で語られることになり、占い師の信憑性は日に日に高まり続けた。
結果、彼女の噂は遠方まで響く事となったのである。
同時に、彼女が持つ商売道具……“未来視の水晶”の噂話も。
「なるほど、そういうことですか」
占い師の話題で盛り上がる煙っぽい酒場の梁の上で、とんがり帽子の少女が微笑んだ。
彼女が星付きタクトをくるりと振ると、その姿はキラキラとした光に包まれて、煙と一緒に消えてゆく。
少女がいた事に気付いた者も、少女が消えた事に気付いた者も、この酒場にはいなかった。