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未来視の水晶1

 腐りかけの木椅子にどかんと腰を落とし、酔いの回った男が気分よく項垂れていた。


「占いなんて、当たるもんかよ」


 彼が冷やかし半分で腰を降ろした椅子の向かい側には、生真面目に姿勢を正した女が一人、こちらは品よく座っている。

 ローブを着込んだ彼女は、真向かいの客の口から発せられるワインとビールが混濁した安っぽい酒臭さに眉を潜めている。それでも、深く被ったフードは感情を隠し、神秘的な態度を崩すことはなかった。


「占い、ではありません」

「おう?」


 女は懐の山羊革鞄から、両手のひらに包んでも収まりそうもない程の水晶球を取り出して、小さな机上の中央にそっと配置する。

 水晶は傷一つなく、路肩に灯る灼街灯(しゃくがいとう)の暖かな光に照らされ、妖しく光っていた。


「占いは、当てずっぽうが成す奇跡に過ぎません。私のこれは、未来視なのですよ。ミスタ」




 夜になると、飲んだくれが樽のように道端で転がっている。

 そのため、そこは酒樽通りと呼ばれていた。

 だが、いつからの事であろうか。普段は酔っぱらいとスリしか寄り付かないような噴水街サナドルの酒樽通りに、腕の良い占い師、いや、予言者が現れるようになった。

 最近噂のその占い師は、銀糸の刺繍が施された祭事用のローブを着こみ、傷のない大きな水晶球を持って現れるのだという。安宿と煤けた酒場の中においては、場違いなほど豪奢な装いだ。


 怪しい金持ちがうろついている。

 良くも悪くも、たったそれだけの事実で、日雇い傭兵達の酒の肴として話題に挙がるのには十分だった。

 これがただ金持ちな風を見せびらかしているだけの者であれば、遠からず強盗にでも遭うだろう。

 しかしこの占い師の噂は、ただ目立つ姿のそれだけで終わらなかった。




『未来視の水晶』




「ものすっごく良く当たる占い、ですか」


 大きな黒いとんがり帽子を被った少女が、頭を横に傾げた。

 黒いボロのケープの裾が、ボロ屋に吹き込んだ隙間風でひらりと揺れる。


「そうだ。ものすっっっごく、良く当たるらしいぞ」


 少女の視線の先、暖炉の前の揺り椅子に座る女は、燃え盛る赤い火を見つめながら口調を真似るように答えた。

 女もまた大きなとんがり帽を被っており、揺り椅子のリズムに合わせて、帽子の鍔に縫い付けられた金飾りを揺らしている。


「ものすっっっごく、ですか」

「ああ、ものすっっっごいらしい。私も最初はよくある酒飲み連中の戯言だと思っていたが、それにしてはどうも、酔いの覚めた調子で語る奴が多くてな」

「大婆様、お酒飲みと薬飲みの話は信用なりませんが」

「そうは言っても、数が多いのさ。妄言にしたって、規模が大きすぎる」


 揺り椅子の女が、手の中で羽ペンをくるりと一回転させると、一枚の紙切れが宙を舞い、少女の手元に滑り込んだ。

 少女は手にした紙切れを暫し眺めた後、“わーお”と無感情に呟き、紙をわざとらしく手放して床に落とした。


「アリアネよ、魔女会からの仕事をお前に託すぞ」

「占い師の真偽を突き止めろ、でしょうか。大婆様」

「そうだ。百発百中の占い師……これが本当だとすれば、そいつを酒樽通りで野放しにしておくわけにはいかんだろう」

「ネズミが多いですからね」

「そういうことだ」


 重い揺り椅子がぐるりと回り、少女の方へ向き直る。

 揺り椅子の女の長い黒髪が一瞬、ふわりと宙に浮いたが、すぐに元通りの綺麗な総として、両胸の前でまとまった。

 妙齢の女の艶めかしい目線と、無感情で神秘的な少女の目線が交錯する。


 女の風貌は、“大婆様”と呼ばれるには、あまりにも若い面持ちと、それ以上の美貌を備えていた。

 決めの細やかな白い肌、凛と澄ました赤い両目、ハリの失われていない紅色の唇。

 悪意ある者がどう失礼に見積もろうとも、彼女の姿は四十を超えるようには映らない。


「まずは、占い師の真偽を調べろ」

「このアリアネにお任せ下さい」

「もしも占い師が本物であれば、忠告を入れてやるように。偽物であれば、その時は……」

「……」


 女の赤い目が、スッと細められる。

 対応して、アリアネと名乗った少女の黄色い目も、長い睫毛の中に埋もれ、不穏な気配を湛えた。


「その時は……からかってもよろしいですか」

「うむ、公衆の面前で大笑いでもしてやるといい」

「わーい」


 アリアネと呼ばれた少女は、両手を掲げて無感情に喜んだ。

 その様子を見て、女は面白そうに含み笑いをこぼしながら、煙管の吸口にキスをする。


「ところで、大婆様」

「ん?」

「大婆様は、その占い師を訪ねたのですか」

「……うーむ」


 女は、肺まで満たそうとした紫煙の半分を部屋のカンテラに吹き付け、考えこむ。


「……興味はある。本当は、私が直々に行きたかったんだが、ねぇ」

「まだ、腰の調子が悪いのですか」

「……ま、そういうことだ」


 残った煙を溜め息と一緒に吐き出して、女は気だるく揺り椅子の背もたれに倒れた。

 やや仰向けになった表情はどこか疲れたようにも見えるし、恥ずかしがっているようにも見える。


「……歳には、叶わんね」

「あははははは」

「こぉらっ! からかうんじゃないよッ!」

「わー」


 からかった女にどやされて、少女はおどけた調子で部屋から出て行った。

 玄関の扉はキィと軋んだ音をあげ、霧のかかった闇夜の森を映している。


「……全く、悪戯魔女め」


 女は気を取り直して、煙管の吸口を啄んだ。





 噴水街サナドル。そこは、腕の良い石工と庭師達が集う、大きな街だ。

 大通りの石タイルは街の特色を象徴するかのように均一に並んでおり、少し遠くを見据えれば、タイルの継ぎ目が一直線に伸びているのがわかるだろう。

 広場の噴水は大時計と連動し、正午と共に水流の幻想的な空間を作り出す。


 美しい石と、噴水の街。

 水の国で最も良く整備された街であると、多くの旅人はサナドルの景色を称える。


 そんなサナドルだが、一歩裏通りに出れば、やはりそこは裏通りらしく、文字通りに裏ぶれている。

 日々の食い扶持を適当に済ませる傭兵くずれや、職人仕事に挫折し酒に溺れた石工などが、裏の主な住人である。

 件の酒樽通りも、サナドルの掃き溜めのひとつであった。




「お」


 夜。仕事上がりの男らを交えて賑わいを増した酒樽通りの一角に、ちょっとしたひとだかりができていた。

 酒場の主人の気まぐれな早仕舞いで追い出された男は、その人だかりが目についた。


 男は中途半端なほろ酔いをもう一度深めようかと歩いていたが、どうやらこの日は、それが吉と出たらしい。


「こりゃ運がいい。噂の占い師じゃないか」


 人だかりの隙間から、占い師の女の姿はよく見える。

 そこにはどうやら、男のような暇人が列を作っているようだ。




「あんまり、大きな声じゃ言えねえから、ぼかした事しか言えねえんだけどよう」

「はい」


 大きな水晶球を挟み、壮年の猫背男と背筋の良い女が向かい合っている。

 男はバツが悪そうに頬を掻きながら話し、女は真っ直ぐ男を見据え、聞きの体勢を取っているようだ。


「それで、占……視て欲しいことってのはよ……」

「おいおいロイドのじーさん、浮気がばれてないかって相談かい?」

「じゃかあしいっ! 誰が浮気なんぞするかっ!」

「あっはっはっはっ!」


 一対一。それだけならば占いとして一般的な姿である。ただ、その周囲には無数の野次馬が興味深そうに、あるいは面白そうに二人を眺めており、遠目からは見世物のようにも映っていた。

 時折、占い師とその相手には周囲から茶々が入れられ、なかなか占いの話は進まない。


「……あの、皆様方。今は未来視の最中です。集中の阻害にもなりますので、控えていただけないでしょうか」

「おっと、へへ、すんません」

「全く、若造どもが調子乗りやがって……」


 しかし、ローブ姿の女が促せば、一応は茶々入れも収まるらしい。野次馬達の目的は、ただ彼女をからかいたいだけではないようだ。

 一進一退、遅くはあるが、和やかな雰囲気で占いは進められてゆく。


「では、お客様。水晶の上に手を置いてください。これから、あなたの未来を覗きます」

「お、おう……」


 男の皺だらけの逞しい手が、水晶球の上にべたりと置かれる。

 すると、それまで茶化し続けていた外野が嘘のように黙りこみ、真剣な面持ちで息を呑んだ。


「……未来視の水晶」


 誰かが詰まった声で、小さく呟く。


「見えます……貴方の手を、魔力を通して、貴方の未来の形が……」

「!」


 女の白く細い手が、男のごつごつした手の上に重ねられる。

 その間、女は誰にも聞こえない声でぶつぶつと呟き続け、深く俯いている。




 そんな格好が数十秒ほど続き、男の手が緊張に汗ばみ始めた頃、女は重ねた手をふっと持ち上げた。

 そして、女は言う。


「見えました」

「「「おおおっ」」」


 女の言葉に、野次馬が顔を見合わせながら歓声を上げる。


「な、何が! 水晶に、何が見えたのだっ!」


 すぐさま食いついたのは、女に向き合った男本人だ。

 自分の占い、自分の未来なのだから、彼の気持ちが急ぐのも当然であるが。


「これからお話します」


 興奮する男を軽く右手を掲げて制し、占い師の女は静かに語り始める。


「……貴方の求める品物は、紛い物でしょう」

「な、なにっ?」

「話を持ちかけた人物は、貴方の不安定な心につけこんだ、詐欺師に他なりません」

「なんだとっ!?」


 男はこめかみに青筋を浮かべ、勢い良く席を立ち上がった。


「おいおい、じいさん。暴力はいけねえよ」

「そうだぞ、その占い師さんは……」

「こうしちゃおれん、ワシは奴をぶっとばしに行く!」


 周りが止めようかと手を迷わせる中、壮年の男は怒りの形相を固めたまま、ずんずんと歩いて野次馬の輪を抜け出して行った。


「……なんじゃあら」

「わからん。わからんけども……」


 初老の猫背男の後ろ姿が酒樽通りに消えてゆく。

 野次馬は、その背中をぽかんと半口を開けて見送るしかない。


「……わからんけれども、占いはきっと、当たっていたのかもしれねえな」


 呆気に取られている男たちの中心で、占い師の女は、もう仕事は終わったとばかりに、粛々と仕事道具を片付け始めている。




「ふむ。未来視の水晶、ですか」


 とんがり帽子の少女は、酒場の屋根の上からその様子を眺めていた。



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