1.ぷろろーぐ
ふらふらとした覚束ない足取りで歩く少年。
その顔は、まるで死人の様に精気も乏しい。
陽の光も射し込まぬ様な木々が鬱蒼と茂る、そんな森の中と思わしき場所。
行く手を阻む草木を薙ぎ倒し進んでいたがついに力尽き、ひと際大きな木の根本にへたり込んだ。
「厄日だ……」
渇ききった喉から、掠れた声が吐息と共にもれる。
思考を巡らすが、現状を打破する活路は見出だせず脱力して頭を垂れた。
「………はらへった!」
不意に大声を上げるがその空元気も虚しく、深い森へと吸い込まれていく。
「くそ…何でこうなった。俺のメロンパン…」
少年は走馬灯の様に、ここに至るまでの出来事を思いだし歯噛みした。
身体を覆う脱力感は空腹からだ。少年──紅葉は何か無いかと辺りを探るが、見える範囲に生息する植物は見たこともない物ばかり。更には食べれる気がしないほど、どれも形や色が毒々しかった。
ならばと今度は目を閉じて周囲の気配を伺うが、こちらも生物の気配すら感じられず空振る。
絶望的な現状に暫し途方に暮れるが、じっとしていても飯は来ないと、紅葉は重い腰を上げた。
「…メロンパン…食べ物…飯」
その様は血肉に飢えたゾンビが如く、足を引きずり森の中を散策を始めた。
そんな状態で歩き回ることいくばく。遠目に見える草が、微かに揺れたのを目ざとく見つけた。常人ならば見逃す程の僅かな動きだったが、飢え狩人と化した紅葉はそれを見逃さなかった。
「ひひ…食事が自らやって来た」
その笑みはもはや人の笑みではなく、悪魔だ。
活路が見えた事に歓喜しながらも、冷静に腰を落としいつでも動ける様に身構えた。あちらも気付いたのか、紅葉を目掛け猛スピードで近付いてくる。
遂に獲物が目前まで迫り、ピタリと草木の動きが止まる。
緊張の一瞬。
まるで互いの出方を伺うような空白の時間。ここで取り逃がせば、次に食物に出会えるかは分からない。紅葉は脚に力を溜めて、いつでも動ける様に待ち構える。
息を詰め待つこと数秒。目前の草から獲物が飛び出したかと思えば、互いに見つめ合う事になった。
「うおっ…ら……っ!?」
「………………」
紅葉は飛び掛かろうとした動きを、つんのめりながらも何とか急停止する。そんな驚いた紅葉に相反して、相手は無言で紅葉を睨み付けていた。
飛び出してきたのは人だったのだ。
しかも、まだ小さな女の子。
翠玉色の腰まで伸びた髪と大きな瞳。人では考えられないほど綺麗な色。そのインパクトに負けじと、やや幼さが残ってはいるものの、綺麗な顔立ち。
しかしその整った容姿が、逆に紅葉の警戒心を煽った。
そんな子が何故こんな薄気味悪い森の中に…と。
更に紅葉は見てしまった。異様に先の尖った……人ではあり得ない耳を。
「おい、貴様…なぜいる」
少女は猜疑心、警戒心丸出しで威圧的に問う。
しかし、その問いに対して紅葉は、
「……分からない」
としか答えようが無かった。
紅葉自身も自分の置かれている状況を、全く理解できていないのだから。今もそれら全てを棚上げし、食欲と言う目先の誘惑のままに行動していたに過ぎないのだから。
しかし少女は紅葉の理由など知らない。それで納得出来る筈がなかった。
「あくまでも、しらを切るのだな…」
少女が言い、辺りの空気が変わる。
肌にひしひしと突き刺さる───殺気。
「お、おい、ちょっと待て!だから、本当に何も分からないんだって」
「貴様が自分から喋りたくなるようにしてやる」
苛立ちを含んだ声色で、どこから取り出したのか少女の右手には鍵が握られていた。
右手をゆっくり紅葉に差し向け、少女は流れるように囁く。
「精霊回路開錠…風の刃!」
手首を軽く捻った動作の後、腕を上に薙いだ。
突如、風が吹き抜けたかと思うと、紅葉後方の木が弾け飛ぶ。
「…………………マジか」
まさに開いた口が塞がらない。
舞った木片が、ぱらぱらと辺りに散らばる。その様子を呆然と眺めている紅葉に、声が掛かる。
「今のはわざと外した。次は貴様の腕が飛ぶぞ。なぜここにいる?その目的はなんだ!」
徐々に間合いを詰めながらも、少女の握った怪しげな鍵は紅葉に狙いを定めている。
「だから、何も分からないって言ってんだろ!」
叫びながら紅葉は徐々に後退るも、嫌な汗が止まらない。
「ふん…強情な奴め。仕方ない、貴様の身体に聞くとしよう」
そんな物騒な言動と共に、少女は右腕を自身の左腰に引いた。まるで抜刀時の構えの様に。
危機を察した紅葉は……………背を向け一目散に駆け出した。
「待て!!」
少女の静止を無視して、紅葉は全力で足場の悪い道をひた走る。追って来る気配を感じるが、振り返って確認する余裕はなかった。
悪路をがむしゃらに逃走するが、少女の気配は遠退くどころか近付いてきている。
焦燥感にかられた紅葉だったが、その逃走劇は呆気なく終わりを迎えた。
命の危機に直面し、言わば現在は火事場のくそ力。それが長く続くわけもなく、更には少女と出会う前の紅葉の状態を鑑みればおのずと答えは出る。
「うがっ!ぐへ…うげ!」
踏ん張るはずの足の力がカクリと抜け、無様としか言い様のない体勢で地べたを転がった。受け身を取れず全身を強打しながら頭を下に、逆さまの状態で樹にぶつかり止まった。
「喋る気がないなら死ね!鎌鼬っ!」
駆ける少女は今が好機と、右手を数回振るう。すると紅葉へと向けられていた殺意が、風の刃と形を成して迫った。
「くそっ!」
逆さまの状態ながら咄嗟に両腕で顔を庇い、紅葉は襲ってくるであろう痛みに備え歯を食い縛った。
だが待てどもいっこうにやってこない痛み。
不審に思った紅葉が庇った腕越しに様子を伺うと…それぞれ頂点に鍵がある、三角形を型どったシャボン玉の様な薄い膜が展開していた。
一見儚げなその膜が、鎌鼬から紅葉を守っていたのだ。
「……へ?」
状況が飲み込めず、間抜けな声を上げた紅葉は、呆然と事態を眺める。それは少女も同じく、足は止まり、半開きの口で起こった光景を眺めていた。
「あたっ!」
気の緩んだ拍子に逆さまのままだった身体がずり落ち、紅葉は腰を強打して声を上げた。痛む腰を擦りながら、目前に展開している膜に触れる。
「痛てて……何なんだこれ、うわっ!?」
まるでシャボン玉が割れるかの様に簡単に弾けて消えてしまった。
残った3つの鍵は、宙を漂いながら目前で停止している。紅葉が恐る恐る両手で掬い受けとると、見る見る内に透けて無くなった。
「おい、今のはなんだ!?」
少女は意識が復活するや、大股で紅葉へ近付きながら怒鳴る。
「だから、俺にも分から―――――」
“ギュルルルウゥゥグガガァァァァ”
殺気まる出しで近づく少女に返答しようとしたが、途中で盛大に紅葉の腹の虫が喚いた。
本当にただ紅葉の腹の虫が喚いただけなのだが………。
「き、貴様!?今度は何をした!」
少女は紅葉が何かしたと思い込み、後方に飛び退き様に鍵を構えた。しかしながら、あの様な音では少女の勘違いも致し方ないだろう。
「ちょ、ちょっとま───ぶっ」
慌てて立ち上がろうとしたが足に力が入らず、紅葉は言葉半ばに地面とキスする。
「無様だな少年。だが、もはや問答はいらないな。危険なモノは……消し去るのみ」
「あー………くそ…」
少女が鍵を地面に倒れる紅葉に向けるが、紅葉には指を動かす程の力すら残っていなかった。
「さよならだ。風の───」
「これ、待つのじゃルシア」
森の中からややかすれ気味の、優しい声が少女を制止する。
不意に名前を呼ばれた少女──ルシアは、紅葉を警戒しつつ声の聞こえた方へと顔を向けた。
森の奥から現れたのは、年季の入ったシワを携えた、耳の尖ったかなりご年輩のお爺さんだった。
「しかし、村長!こやつは……!」
「分かっておる。だが、サージ様が良いと言ったのじゃ」
「サージ様が!?」
驚くルシアの横を通りすぎ、紅葉のもとへと歩み寄る村長らしきお爺さん。
「おーい、大丈夫かの?」
紅葉の横にしゃがむと、ぺしぺしとその頬を叩いた。
しかし紅葉の空腹は極限に達しており、朦朧とする意識の中で助かった事を理解し一言。
「……はら…へった」
そう村長に告げると、紅葉は意識を失った。